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第4話 スーツ
宙を泳ぐ白くて細長い指。思わずその手をとって指先に口づける。愛しさにたまらず指をしゃぶると甘い吐息が聞こえる。
「んん・・・っ。」
目を閉じて、快楽におぼれる表情がたまらなく綺麗だ。その髪を梳くようにして深く口づけると、舌がねっとり絡んできた。強く吸いながら、ゆっくり脚を開かせると
「早く・・・きて。」
「綺麗だよ・・・雄介。」
・・・え、雄介?
「うわぁっ!」
はっと目覚めて、愕然とした。夢の中とはいえ、雄介とあんなことをするとは・・・俺は最近どうかしている。
雄介と瀬島は食事をした後店が始まるまでの時間をゲームセンターに行ったり、町をぶらぶらして過ごした。
エアホッケーで勝つたびに子どものようにはしゃぐ雄介。
フルーツパーラーで巨大なフルーツパフェを前に鼻の頭に生クリームをつけてニコニコとする笑顔。
ホストとして気の乗らないデートが続いていたから、心の底から楽しいと感じるなんて久しぶりだった。
そうして、時折見せるはかなげな表情。
そう言う時の瞳は切なくて、そう、北の丸公園で散歩をした時もそうだった。
手をかざすようにして太陽の光をもてあそぶ表情を見て、思わず抱きしめてキスしたい衝動に駆られてしまったのだった。
(俺はどうかしているのか・・・?)
ブンブンと頭を振ると、気をとり直して会社に行く支度をした。
仕事中、早紀からメールが入っていた。「今晩会えない?」
ダメだ。七時半にKホテルで代議士Yの夫人と同伴の約束だから。代議士Yは次の選挙で当選すれば閣僚ポスト間違いなしという人物で、夫人は金まわりがやたら良い。
ここのところ瀬島にご執心で指名をもらっているので、上客として是非キープしておきたいところだ。
それにしても・・・なんて返事書こう。気が重い。これだけナイショの行動をとっていれば怪しまれるのも仕方ないことだ。こんな時、雄介だったら「仕事ですもんね。お互いがんばりましょう。」とでも言うのだろうが。
(なんで早紀と雄介を比べるんだ?)
やはり自分はおかしい。借金持ちで水商売でこれにゲイまで加わるというのだろうか。人生裏街道フルコースになりそうだ。
(頼む、これ以上自分の身の回りを複雑にしないでくれ。)瀬島は哀願したい気分だった。
約束の時間にKホテルのラウンジで待ち合わせた。コーヒーを飲みながら、(一応サラリーマンなので)日経など読んでいた。いままでは金融情勢でも政治情勢でも仕事に直結すると熱心に読んでいたはずなのに、右から左へ抜けていく。先日、Pホテルで同伴を見られていたらしいこともあって、新聞を深く掲げるようにして読んでいると、Y夫人が現れた。
「そうしているとまるでエリートサラリーマンみたいよ。」
セットした長めの髪をたっぷりカールさせ、若草色のワンピースを着ている。選挙戦でYの傍らで内助の功を見せつけている時の地味な印象とはかなり違う。
「(リーマンみたいって・・・)誰かに仕えるなんてボクには向いていませんよ・・・マダムは別格ですけれどね。」
「まぁ、あたくしでなくって、カオルさんがあたくしのことを従えているんではなくって?」
笑うと片頬に小さなえくぼができて、それが若い印象を与えている。実際、後妻にはいったというこの女性は他のマダム達よりはかなり若い。
「行きましょうか。」
そう言って、手を取ろうとした瞬間、熱いものが顔にかかった。
「うわっ!」
咄嗟によけたが、間に合わず頭から浴びてしまい、それが自分の前にあったコーヒーだと気づいた時、目の前に肩で息をする早紀がいた。
「早紀。」
「何よ、メッセージもスルーで、これって!誰よ、このオバサン!!」
「早紀、落ち着けよ。こんなところで・・・。」
ラウンジの空気が凍っている。
まずい、これまでここまでの修羅場はさすがにないぞ・・・マダムにもどう説明しようか、など冷や汗をかきながら言葉も出ずにいると
「あなた、カオルさんの恋人?あなたもオトナの女の方でしたら、公衆の前で殿方に恥をかかせるようなお下品な真似はおよしなさい。可愛らしいお顔がだいなしですわ。」
そう言って、チラッと目線を動かすと、秘書らしい男が駆け寄ってきた。
「お嬢さんを、送って差し上げて。」
「あ・・・。」
早紀は怒りと恥ずかしさで目に涙を浮かべて真っ赤になっている。
「さ、カオルさん。」
その脇を音もなく夫人が横切っていく。瀬島も“営業中”なので促されるがまま席を立った。目を合わせることもできず、伏目がちに歩く自分は史上最低の男に違いない。恋人をかばうこともできず、いや、かばおうとも弁解しようという気すら起こらず、金で買われた偽りの愛につられてしまう。
「そんな格好じゃ、オモテ歩けないわね。ちょうど良かったわ。」
そう言ってエレベーターに乗ると、専用のカードキーでプレジデンシャル・フロアに向かった。
「シャワー浴びていらっしゃい。スーツは今、ランドリーに頼むわ。」
たださえ馴染まないシチュエーションなのに、早紀にその現場を抑えられてあんなみっともない展開になってしまって言葉も出ない。シャワーの熱い湯と共に、全て流れてしまえばいいのに。
バスローブを羽織ってシャワーブースから出ると、夫人はゆったりとソファに腰掛けてワインを飲んでいた。
「災難だったわね。」
「申し訳ありません。あの・・・。」
「恋人がいたっていいじゃないの?私とカオルさんはそういう間柄ではないでしょう?」
Yの後妻に入るまではさる経済界の大物に囲われていたらしい夫人ならではの割り切りのよい考え方だった。
「でもね・・・あの娘じゃ、安っぽすぎるわね。」
「え?」
「あなたにはもっと業の深い人が合いそうね。業が深いか、スネに傷のあるような・・・まぁ、危ない人ね。」
そう言って冗談とも本気ともつかない微笑を洩らすとグラスをサイドテーブルにおいて、すっと手を差し出した。
その手の甲に優しく口付けると、夫人はすっと立ち上がって髪をかき上げるようにして
「ホック、外してくださるかしら?」
と背中を向けた。
背中のジッパーを下げると、どこかでみたようなタグが裏地に貼り付いていた。
ああ、このロゴは知っている。前に出張に出た時に早紀にこのロゴのついた口紅を頼まれたっけ。あれだっていい値段したから、この服は幾らぐらいするのだろう。
白い背中。白い指。
夢の中の雄介の姿が重なり、自分でも誰を抱いているのか、これが夢か現なのか分からなくなっていた。
「クローゼットを開けて御覧なさい。」
言われた通りにすると、新品のスーツが入っていた。黒いスーツで、よくみると細いストライプが入っている。
「いつもサラリーマンみたいな格好だから。たまには遊びでこういうのもどうかしら?」
シャツは赤いシルクで、鮫島がよく着ていそうなタイプのだった。派手だ。こんなもの着て町を歩けない。せめてシャツが白だったら。貧乏性なのか、タグをふと見ると、芸能人が良く着ているイタリアのブランドだった。軽く20万はするだろう。
「ほらぁ、すごく似合うわ。まるでモデルさんみたいね。」そう言ってはんなりと微笑まれると、
「ありがとうございます。少しは、マダムにつり合いますか?」
と微笑み返した。
「まぁ、お上手言うこと。」
ルームサービスで簡単な食事をすると、運転手付のベンツで店に向かった。政治・経済の裏側を知り尽くしているこの夫人と同じぐらいこの運転手も日本社会の中枢に巣食う闇を知っているのだろう。早紀は無事帰っただろうか。
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