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第5話 Disclosure

 店に着くと、雄介がいつもと変わらない微笑で迎えてくれた。 「いらっしゃいませ。」 瞬間、今朝方の夢を思い出し、顔が赤らむのが自分でもわかった。 「カオルさん、どうしたんですかぁ?うわっ、すごくクールですね、そのスーツ。」 いつものスーツとは違う、ノーネクタイでダークな色のスーツを着こなす様はすごく格好イイなぁ、と雄介は素直に見とれてしまっていた。ジュンさん(=鮫島)が着ているスーツと似ている雰囲気だけど、あの人が着るとワイルドで、カオルさんだと、すごくセクシーな香りがして・・・。 このマダムはいいなぁ、おおっぴらにカオルさんとデートできるんだもんなぁ・・・グラスを拭く手も休めて魅入っていた。 「そうか?・・・ありがとう。いつもと違うから気後れしてしまったよ。」 そう言って、照れたようにうつむき加減にフロアへ向かっていく。その後姿を見ながら、雄介は瀬島と”デート”した日の明け方に見た夢を思い出していた。  夢の中で瀬島は雄介を優しく抱きしめてくれた。 「柔らかいね・・・。」 そう囁いてふっと笑う表情を見つめていると、唇が「かわいい」と呟いた。 その後は、自分のことなのにまるで幽体離脱して見ているような気分だった・・・目を閉じた瀬島の睫毛は長くて、その唇は柔らかくて・・・。 (うへっ、ヤバイ。元気になりそう。) まさか自分がこんなことを考えているなんて、あの人は気づかないだろう。彼女だっているんだから。 それに・・・俺なんて。あのひとにはふさわしくないから。もう誰かに微笑んでもらう資格なんてないんだ。 小さく溜息をつくと、冷凍庫に氷を取りに行った。  「どうしたぁ、瀬島。今日芸風違うじゃん。」 休憩時間にロッカーで一服していると鍔木が入ってきて肩を抱くようにして冷やかした。 「・・・マダムにいただいた。」 「ほーぉ、すごいじゃん。これ、ア●●ーニの春コレじゃん。さっすが、ナンバーワンホストだな。」 「冷やかすなよ。なんだか、本当にリーマンじゃなくなっていくみたいでな。」 「それもいいじゃん。そう水商売だって、捨てたもんじゃないぜ。」 ポケットからDubidoffを出すと火をつけて、ゆっくり煙を吐き出した。鍔木は法学部在学中に司法試験に受かっているのに修習もしないで歌舞伎町にいる変り種だ。「裁判所の壇上からは白黒つけられねぇもんって、あるだろ。」というのが口癖だ。 「まぁな。」 法曹界であれ水商売であれ鍔木は上手に世の中を渡っていけるのだろう。器用な友人が羨ましかった。 「あ、ここにいたっ!」 雄介が嬉しそうにドアを開けて入ってきた。 「はい、カオルさん。差し入れですよ。」 見ると、この間一緒に弁当を食べた時の試作品のフィンガーサンドが小皿に盛ってあった。 「なんだよ雄介、カオルだけか?」 「支配人、だって最近お腹出てきたって言っていたじゃないですか。」 「だから昼間はジム通って腹減ってんだよ。ほら、どうだ。この腹筋。コイツは今日マダムと美味いもん食ってきてるんだから。」 スーツをめくり上げて自分の腹を指差し、それを雄介は軽くパンチして「おっ、すげぇ。」なんてふざけている。 こんな屈託のない触れ合いをなんの下心もなくできたらいいだろうと微笑んで眺めながら、ああ、そういえばルームサービスで何か食べたなぁと思い出した。何だっけ。味も覚えていないが、頭からかぶったコーヒーの苦い味だけははっきりと覚えている。 「美味しそうだな、いただくよ。」 そう言ってパテの入ったサンドイッチをつまむ。この間と同じ、和む味だ。ミネラルウォーターで流し込むと鮫島が入ってきた。 「支配人、お客来てんぞ。をっ、うまそうだなぁ。・・・雄介、イチャイチャしてないで早くカウンタに戻れよ。」 一切れつまむとほおばったままでとドアの外を指差した。 「いっけねぇ、じゃ、俺戻りますね。」 夢の中の雄介を思い出すから、冷やかされると困って言い訳がましく口篭もってしまった。 「いや、ジュン。そうじゃなくて・・・。」 「雄介、随分あんたに懐いてるじゃんか。さすがナンバーワンのカオル様だ。女だけでなく、男にもモテるってか。」 「そんなんじゃないが、雄介の笑顔を見ていると、和むというか・・・なんだか、凄く素直で可愛い弟みたいでね。」 別に雄介との間に何も疚しいことがないのに妙に取り繕った答えをすると、余計に奇妙だった。 「弟みたい・・・か。ま、今はそうかもな。」 「今は、ってどういう意味だ?」 「別に。ただな・・・あんまり深入りすると、ケガするぜ。」「えっ?」 どういう意味だ、と聞き返そうとしたときには既に鮫島はフロアに戻っていた。鮫島にもわかってしまうほど、自分の雄介を見る目は色恋のそれなのだろうか。雄介はこんな自分を何と言うだろうか。 (ダメだ、まずは稼がないと。) 雑念をけすようにタバコをもみけして、フロアに戻った。  ウィークディで早めに仕事を上がると、鍔木と久しぶりに飲みに行った。会員制のバーとかで、歌舞伎町の顔になっている鍔木のアジールでもある。 「少しは借金減ったのか。」 「賽の河原の小石積みよりはましなペースかな。恐ろしくて残金なんて見たくもない。」 「そうだな。俺だって、店の資金繰りなんてたまに頭痛くなるときがあるぜ。それでも、自分で選んだ生き方だから、何があっても自分の責任だしな。」 自分は、どうだろう。流されるように会社に入って、もちろんいずれは親の事業を継ぐからという展望はあったのに、その後はずっと流されるように生きている。もっと前向きに生きなければいけないとわかっていながら、つい流されている。 ・・・雄介は。 あいつは、自分の足で歩んでいるのだろうか。ここにいることも、自分の選択なのだろうか。彼の夢は、何なのだろう。 「なぁ、鍔木。雄介のことなんだが。」 「アイツが、どうかしたか?オマエによく懐いているよな。」 「いや、別に。俺、アイツのこと全然知らないなと思って。なんで俺に懐いてくれるんだろうって思ってさ。」 「さぁな。だがな…あんまり深入りしない方がいいと思うぜ。」 鮫島も同じことを言っていたが、これ以上聞くことははばかられた。誰かしら理由があって夜の歌舞伎町にいるのだし。だが、あの雄介に限って…。 そうか、留学でもするから資金を貯めているのだ。だから、あまりつるんでいると足を引っ張るということなのだ。そうに違いない。 「うわっ、こんな時間だ。俺もう帰るわ。明日会社だから。」 「そうか。送っていくよ。」 そうして、鍔木の車で寮まで送ってもらった。疲れが溜まっているせいか、爆睡してしまったらしい。 「無茶すんなよ。シフトもわがままきくからな。」 そう言って手を挙げて去っていった。  事件は十日ほど経った昼休みに起こった。 デスクでコーヒーを飲みながら仕事をしていると、課長と部長がやってきた。 「瀬島君、午後イチでちょっといいかな。」 異動の時期にしては遅い。新人研修だろうか。これという理由が浮かばないまま会議室に入ると、人事部長と課長も同席していた。 「瀬島君、これだが。」 そう言って手渡された雑誌を見て、全身の血が凍りつくような感触を覚えた。それは女性雑誌だったのだが、「潜入・ホストクラブ」という題名でホストクラブのルポがされており、なんとニュー椿が取材されていたのだった。 鍔木のところに取材がきていたのは覚えているが、自分には関係ないと思っていた。なのに。 壁のところに写真が貼ってあるのだが、それがしっかり載っていて、「お店のナンバーワン・ カオルさん」ははっきり写っていたのだ! もう、弁解の余地もない。口の中が乾き掌にはじっとりと汗がにじんでいる。 「瀬島君、どういうことかね?」 「申し訳ありません。」 「就業規則で、副業禁止であることはわかっているよね?」 「はい。」 「残念だが、会社も今リストラの時期で、残業もしないで倍以上のお金を稼いでいる人を遊ばせておく余裕はないんだよ。」 「ま、解雇でなくて自己都合退職扱いにしてあげるから。」 反論も弁解の余地もなく、「お世話になりました。」と言うのが精一杯だった。  鍔木を責めるのは筋違いだ。だが、少し恨めしくなった。専業で店に置きたいから、操作したんじゃないかと恨み言の一つも言いたい気分だった。  噂はあっという間に社内を巡り、月末まで籍はあるにしても有給を使ってその週の末には全て引き払うことにした。 ダンボールに私物を詰めていると、早紀がやってきた。 「早紀。」 「返事もくれない、デートもしない、なによ、こういうことだったの?おまけに、オバサンの次はオトコと北の丸公園でデートしていたんですって、随分お盛んね。」 「早紀、聞いてくれ。」 「私のこと弄んで、あんたって最低!不潔よ!」 そう言って思い切りビンタを飛ばして泣きながら走り去っていった。頬を張られた痛みよりも、胸が痛んだ。 そうだ、俺は最低の男だ。自分から早く別れを切り出さなければいけなかったのに、向こうから別れてくれた。どっちにしても自分が恨まれるのだから、仕方がない。 送別会もない、別れを惜しんでくれる人もいない、なんとも寒い最終日だった。  寮も片付けて、荷物、といってもたいしてないのだが、ある程度まとめて明日配送を頼もう、とりあえず店のロッカーにでもぶち込もうかと考えていると、電話が鳴った。 「カオルさん?俺です。」 「雄介。どうして?」 「支配人に聞きました。あ、俺明日ピックアップ借りましたから、荷物取りに行きますよ。」 「でもまだアパートも決めて…。」 「うちに、来てくださいよ。店からも近いし、俺、メシ作りますから。」  翌日は、雨だった。春というのに寒い雨だった。白いピックアップが寮の前に止まると、雄介が手を振って降りてきた。 「おはようございます、カオルさん。」 「何から何まで、すまない。」 「いいんです。」 荷物を積み終わり、座席に入るとよく二人で行くラーメン屋で給仕をしていた金髪の青年がハンドルを握っていた。 「こいつに、店のトラック借りたんです。」 「どうもありがとう。えっと・・・。」 「ケンジです。」 「ケンジ君、どうもありがとう。」  雄介のアパートは、大久保のごちゃごちゃした一角にあった。2DKのアパートで、雑然としている中を無理矢理こじ開けた和室にどうにか荷物を置くと、ケンジは店の仕込みがあるからと帰って行った。 「お礼もしないで、いいのかな?」 「いいんですよ。またあのオヤジさんのところに食べに行けば。」 そう言って、パスタを用意してくれた。 「引越しといったら、麺類ですよね。」 居酒屋にありそうな、ビール会社のマークの入ったグラスにロゼワインをついだ。 「同居生活に、乾杯しましょうよ。」 この数日間、誰からも温かいことばなんてかけてもらえずにいたから、情けないけれど涙が出そうだった。 「ありがとう、雄介。お世話になります。」 グラスをチン、と合わせて飲んだワインは、極上の味だった。

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