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第8話 HALF

 背中一面の刺青。 鮫島を始めタトゥをしているホストは多いが、あれはタトゥなんて表現できるものではない。「彫り物」だ。 あのひまわりのような笑顔とあまりにもミスマッチだ。 あの背中では、おいそれと普通の医者は見てくれないだろう。鍔木に連絡をすると、夜中だというのにすぐに医者をよんでくれた。肋骨にひびが入っているのと、階段から落ちて脳震盪を起こした他は軽い怪我ばかりということで、鎮静剤で眠らせた。  医者が帰ると、ダイニングでタバコをふかす鍔木の正面に腰掛けた。 「悪かったな、こんな夜中に。」 「おまえも雄介もうちの大事な従業員だから。商品管理も支配人の仕事だからさ。」 「・・・そろそろ、話してくれないか。雄介のこと。」 鍔木は瀬島の思い詰めたような申し出にも表情一つ変えなかった。 「聞いてどうする。」 「アイツの笑顔を、失いたくないんだ・・・アイツが救いを求める声が聞こえるような気がする。」 「それだけか。」 「アイツのことを、ひとりの人間として愛し始めている。向こうはそのつもりはないらしいが。見守るぐらいは、俺にさせてくれてもいいだろう。」 「そうか。雄介はな、俺の親父から預かったんだよ。」  鍔木の家は法曹一家で、父親は大きな法律事務所を構えていた。事務所を鍔木の兄に譲って第一線を退いてからはこれまでの企業弁護士ではなく少年犯罪に半ばボランティアのように携わっていた。 「まさか、雄介は・・・。」 「年少帰りの保護観だったんだ。親父が国選で弁護に立って、少年院に何度も足を運んで、更正するには仕事がいるがマトモなところでは雇ってくれないだろ。だから、俺に預けたわけ。」 それは、エリート一家のアウトローである鍔木修一をはじめて父親が認めた瞬間でもあった。 「一体、どんな犯罪に巻き込まれたんだ。」 すると、鍔木が「長い話だぞ。」といって煙草に火をつけると、ゆっくり話し出した。 雄介は、小さい時に母親に置き去りにされ、施設で育った。3歳の雄介の手を引いてデパートに連れてきた母親は「買い物が済んだら、お子様ランチを食べようね。」と言って行方をくらました。閉店間際になって店員が一人非常階段で眠りこけている雄介を見つけ、保護し、施設に預けた。  施設で15歳まで過ごしたが、ロクに学校も行かず、施設を飛び出して新宿を根城として台頭し、2年もしないうちに「コブラ」といえば蛇頭も一目置くような不良チームのリーダーになっていた。ちょうどシブヤ系のチーマーが衰退し、一部が歌舞伎町に流れた時期で、雄介の率いるチームとシブヤ組の抗争は熾烈を極めていた。  その頃、雄介は一人の少女と出逢った。瀬島はそれがあの写真の少女だとすぐにピンときた。佳耶というその少女は同じく施設育ちで、新宿地下街のうどん屋で働いている時に知り合った。歌舞伎町の裏社会では羅刹のように恐れられている極悪非道の少年も佳耶の前では普通のティーンエイジの少年だった。一緒に暮らし始め、雄介も更正する兆しを見せていたその矢先シブヤ系との抗争は激しくなり、 優位に立とうとしたシブヤのチームが佳耶に狙いをつけ、雄介の留守中を襲ったのだった。 足を洗おうと仕事を見つけて帰宅した雄介が見たのは、物言わぬ佳耶の姿だった。  検死の結果薬物を注射され、ショックで心臓麻痺を起こしたこと、3ヶ月になろうとする胎児がいたことを警察で聞いた後、雄介は半月近く行方をくらませた。  「その佳耶という子の写真を見たよ。子供のようにあどけない、純真無垢な表情で。」 彼女がいるからと遠慮していた自分はその言葉で雄介を傷つけていたらしい。無残にも手折られた野の花を思い、胸がつまった。 「半月後、歌舞伎町を支配したと思い有頂天になっていたシブヤ系の前に雄介が再び現れた。その話はここいら辺りではちょっとした語り草になっているよ。なにせ、蛇頭も一目置いていた“コブラ”がマジギレしたんだからな。」 単身チーマーの拠点に乗り込んだ雄介はリーダー格を始め数人の輩を半殺しにしたという。 「まるでヤクザ映画だけど、シャツを脱ぎ捨てるとそこに彫り物があった、という訳さ。その後素直に警察に出頭して、傷害で捕まったんだよ。まぁ、佳耶の件やら、不幸な生い立ちなんかも含めて親父がお涙ものに弁護をしたらしくて、年少送りで済んだわけだ。無縁仏になった佳耶の 墓の代わりにアイツは毎月どっかの寺にお参りしているはずだよ。」 「じゃあ、最近怪我して帰ってきているのは、また抗争が復活しているのだろうか?」 「ヤツらもまだ歌舞伎町にいるからな。小競り合いぐらいはあるんだろう。最近雄介が少し荒んでいるから、自分から喧嘩を売ったのかもしれないぞ。」  瀬島薫は、泣いた。ただ泣いた。 自分だけが不幸のどん底にいたような顔をして、苦労しているような気分でいたが、雄介の負ってきたものの重さに比べたら、借金なんてちっぽけなものだ。借金は返済してしまえばあとは笑い話で済むが、雄介の負ってきた業は、どんなにしても取り返せないのだから。 静かに、とめどなくあふれる涙をただ流れるに任せた。 「話してくれてありがとう、鍔木。だが、俺はアイツに同情なんかしない。俺は、今の、これからの雄介を愛すると決めたんだから。」 「そうか。そうでないとな。あれだけ厄介なヤツ背負い込む覚悟ならな。あ、今晩店は無理するなよ。雄介の様子見て決めてくれ。」 「わかった。ありがとう、鍔木。」 「よせやい。」 そう照れ笑いをすると、親友は帰っていった。  ベッドそばに腰掛けて、瀬島は雄介の寝顔を眺めていた。 一緒にサウナに行かない理由も、毎月1,2度どこかにふらっといなくなるのも、お子さまランチを食べたがったことも、母子の姿を寂しそうに見つめていたことも、前に街中で見せた獣の目も、全ての謎が解けた。 ギリギリの中で、自分に手を差し伸べていた雄介。オマエが食べたかったお子さまランチを俺と食べた、っていうことは少しは脈ありと考えていいのか。 Y夫人も「業の深い人がお似合いね。」といつか言っていた。あいつの業を、共に背負い、癒してやる資格が俺にはあるというのだろうか。  「あ、カオルさん。」 うっすらと雄介が目を開けたのは、もう午後2時を回ろうかという時間だった。 「大丈夫か?医者が言うには肋骨にひびが入っているらしい。」 「そう・・・じゃあ、見ちゃったんだ、俺の背中。」 顔をそむけ困ったように窓の外を見た。 「ああ。鍔木から話も聞いた。」 「軽蔑するでしょ、俺のこと?」 痛みに顔をしかめながら体を起こそうとする雄介を、瀬島は思わず抱きしめていた。 「軽蔑も同情もしない。ただこれからのオマエを見ていきたい。だから雄介・・・生きてくれ。俺のためにも、生きていてくれ。」 「でも、俺は・・・俺の傍にいると、みんな不幸になっちゃうんだ。」 「お前は、人より幸せが少なくて、俺もちょっぴりだが人より不幸で、でもそんな二人の幸せを合わせて育てれば、人並みの幸せが作れるかもしれない。そう思うんだ。だから、傍にいてくれ。生きていてくれ。」 「カオルさん。大丈夫ですよ、俺は、生きていますから。」 「好きなんだ、雄介。こんな時に言うのはずるいけれど、お前を守りたい。」 そう言い終わらないうちに、瀬島は雄介の唇を奪っていた。ずっと、ずっと欲しくてたまらなかったもの。 驚いていた雄介の手がいつしか瀬島の背中に回されて、ギュッとシャツをつかんでいた。 その反応に少し驚いたように顔を離して雄介を見つめる瀬島に、雄介はゆっくり答えた。 「カオルさん、大好きです。こんな俺でも、受け入れてくれますか。」 返事の代わりに、ゆっくりと目を閉じると再び唇を重ねた。

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