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第9話 アイスクリーム
幸い雄介の怪我の治りは早く、週末には店に出ていた。お互いの気持ちが伝わって、どことなく落ち着いた雰囲気で毎日すごすことが出来るようになった。
そんなある休日、雄介がおずおずとたずねた。
「俺、雑司が谷の鬼子母神に行くんですよ。カオルさんも、来てくれませんか?」
鬼子母神・・・雄介の背中に背負っている、彼自身の業そして贖罪の証。無縁仏になった佳耶とお腹にいた生命をそこで弔っているらしい。
「やっぱり、一応報告しておこうかと思って。」
「そうだな。俺が行くことが邪魔にならないのなら、是非そうさせてくれ。」
外は夏の陽射しだった。
「うへー、暑い。」
アスファルトの照り返しがむっとするが、それでも抜けるような青空は心地がよい。池袋で電車を降りると、のんびり歩いた。こざっぱりとしたお堂に小さな花束を置いて、雄介がじっと祈っている。瀬島も少し後ろに立って、静かに手を合わせて祈った。
(雄介は、俺が絶対守ります。だから、見守っていてください。)
ほどなくすると俯いていた顔を上げてにっこり振り返った。
「お腹空きましたね。なにか食べに行きましょう。東上野で焼肉なんて、どうですか?めちゃくちゃ美味いんですよ。」
汗をかいたのでビールがやたら美味く感じた。
「ぷはーっ。もぅ、最高!」
あれ以来こうして当たり前のように卓を囲み、自分が手に入れたささやかな幸福をかみ締める瞬間が瀬島は好きだった。仕事も心なしかイヤでなくなっている気がするし、借金の額もたいしたことではないように感じられた。
ただ、あれからキスだけの毎日で、もっと雄介を知りたいのにきっかけがつかめない。仕事とはいえ他の女性に媚びて、時にはその体に触れる自分を雄介は受け入れてくれるのか切り出す勇気がない。
「昼からこんなに食べちゃったら、精力ついちゃいますね。」
熱い肉を口に入れてはふはふ言わせながら雄介が悪意のない言葉を発する。
「本当に関係あるのかな?肉とスタミナ。」
「・・・試して見ませんか?」
雄介の表情が気のせいか艶かしい。瀬島はその表情にドキドキしてしまった。家にいたら、確実に理性を失って押し倒していただろう。
「オトナをからかうなよ。」
そう答えた声は余裕なく乾いていた。その渇きを悟られたくなくて、ビールをぐいっと飲み干した。
その後アメ横をぶらぶら歩いて、電車でのんびり家に戻った。普段夕暮れから夜の街しか歩いていないのでたまには太陽の光を浴びるのも悪くないと思う。植物が光合成をする感覚ってこんなものなのだろうかなどと考え、くだらない発想をするなと笑った。
「あ、カオルさん笑った。なにがおかしいの?」
「いや、光合成がね。」
「コーゴーセイ?なんだよ、それ。」
説明すると、「すげー、物知りなんだね。」と素直に感心しているのがおかしかった。
「ちゃんと学校行かなかったからなぁ、俺。頭悪いし。」
「そんなことないだろう?カクテルの配合を全部覚えているじゃないか。」
「そうだけど・・・。」
「それより夕食はそうめんでも茹でようか?」
肩肘張ってフレンチだ、イタリアンだというデートでなく、二人でスーパーに寄って買い物をして手をつないでアパートに戻る生活が気に入って、だから休日は二人で台所に立つことを好んだ。レパートリーは雄介の方がどうしても多かったが、教えてもらいながら瀬島も料理らしいことをするようになっていた。
「鬼子母神の話、知っていますか?」
夕食後、スーパーで買ってきたアイスクリームを食べながら雄介が尋ねた。
「確か、子供をとって食う女の鬼で、でも家には壱千人の子供がいるっていう話だろう?」
「そう、それでお釈迦様が一人の子供を隠したら、必死に探すんですよ。それで改心して、みんなに優しくするようになって、神に祀りあげられるんです。子供の頃、施設で聞いたこの話が忘れられなくって。親のいない子ども相手に、親の愛を話すなんて静かな拷問だよね。」
「・・・・・・。」
「でも、時々思うんだ。俺の母さんも、俺が好きでいてくれたこともあるのかな、って。俺のことを少しは心配してくれたのかな、って。」
「雄介。」
「佳耶も、俺のせいで不幸になっちゃったのに、それでも俺と暮らしたことは忘れないでいてくれるのかなって。」
「うまく言えないけれど、お前を必要としなかった人なんてきっといなかったと思うよ。人を必要とする、人を愛するって、一方的なものではなくて、お互いが求め合うから成り立つのじゃないかな。・・・ホストとして女性と向き合うときの俺は、相手を必要としているわけでも愛してもいない。金という媒体によって刹那的にそういう幻をみせているだけだから。だから、一人の瀬島薫である時何を必要としているか、必要とされているかには敏感でいたい。そして俺はこうして雄介を誰よりも必要としている。」
「俺も、カオルさんのことが誰よりも大事です。」
雄介はそう言うと、瀬島のすぐ脇に腰掛けて肩に頭を凭れさせた。
「なんだか、怖いみたいだね。」
スプーンをくわえたままそっと目を閉じている表情はあまりにもはかなげで綺麗だった。瀬島はそっとスプーンを外すと優しく口付けた。刹那、全身に電流が走るような気がした。
「雄介・・・もっと、触れたい。」
思わず口走ると雄介は少し戸惑った表情をした。
「い、いや。無理は言わないよ。」
「そうじゃなくって。本当に、俺でいいの?」
「オマエで、じゃなくってオマエが、欲しいんだよ。」
そのまま雄介の手を引くようにして寝室に入るとそっとベッドに座らせた。傍らに腰掛け口づけながら薄暗い部屋の中でそのシルエットを確かめるように頬、顎のラインを指でなぞり、首筋を伝わせるとピクンと反応するのがわかった。
指はそのまま咽喉元をたどり、シャツのボタンを外そうとすると身じろぎをした。
「シャツは、だめだよ・・・背中が見えるから。」
「全部、全部愛したいから。全部受け入れたいんだ。」
耳元でそう囁くようにしてシャツを脱がせると、窓の外のネオンサインの灯りで背中がぼうっと浮き上がった。
跳梁して子を喰うという凄まじさを裏切るような優しい表情。佳耶ではない、どちらかといえば柔らかく微笑む時の雄介自身の表情を思い起こさせる美しき鬼神。
やはり見ると思わず息を呑んでしまう。これだけ彫るのに、どれほど痛かっただろう。怒りも、悲しみも孤独も全てこの痛みに替えて一人で耐えたんだ。
どうしてその時傍にいて、痛みを、涙を分かち合うことができなかったのだろう。愛しさと、自分のやりきれない思いが入り混じると強く抱きしめずにはいられなかった。
「雄介・・・!」
壊れ物のように大事に扱わなくてはと思いながらも、瀬島には余裕がなかった。押し倒すようにしてベッドに横たえると、浮き上がるように白いその首筋や鎖骨に夢中で吸い付いた。同性同士でする行為にまだ若干の戸惑いがあるのか、自分の全てを見せていることに躊躇いがあるのか、雄介は唇をぎゅっと結ぶようにして瀬島の愛撫に耐えるようにしていたが、瀬島が雄介の髪を指で優しく梳くようにして、頬や瞼に、そして唇に何度もバードキスを繰り返し
「恥ずかしい?ガマンしないで、いいよ。」
と甘く問いかけながらボディータッチを繰り返すと、少しずつ緊張がほぐれてきた。
肌は何処までも肌目細やかで、触れると吸い付くようにしっとりしていた。その形を覚えようと指でつっ、と撫で、雛鳥を掌で暖めるように、そして母獅子が子を慈しむように舌で愛撫すると、身じろぎもできずにいた体がすこしずつ熱を帯び、息が荒くなってきた。
「んんぅっ・・・んッ・・・。」
どんな女性よりもしなやかで、柔らかくて・・・。
そこには歌舞伎町の裏社会で修羅と恐れられた青年の姿はなくて、ただ自分の愛撫に従順に身を任せる雄介の姿態があるだけだった。心に棘だらけのガードを張り巡らせて周りを傷つけながら独り生きてきた青年が初めて誰かに寄り添うことを、守られることを知ってその帳を外した瞬間だった。
雄介の身体の上で蠢く瀬島の腰や腹に、服越しからでも雄介が瀬島に愛されて悦びはじめていることがわかる。無意識のうちに瀬島に腰を押し付けるようにして、瀬島の髪に指を絡ませ、引き寄せるようにして何度もその唇の味を確かめた。
瀬島は自分の着ていた白いシャツを頭からすっぽりと脱ぎ捨てると、雄介に添い寝するように傍らに横たわり、左の手で抱き寄せながら右の手でジーンズのジッパーをそっとおろした。
「待って・・・。」
ま・って。
その短い言葉の間にも瀬島は絶え間なく雄介の唇をついばんだ。もう、待てない。雄介をこのままに、したくない。ジーッという無機質な音を立ててその部分が開かれると、瀬島は手を差し入れるようにして優しくまさぐった。
「待って・・・あっ・・・。」
熱くて、トクトクと脈打っていて、これを途中で止められる人がいたら、それは誉めるべき聖人君子ではなくて、よほどの大バカ野郎に違いない。
「カオルさんの身体・・・すごく綺麗。」
雄介が指で肩の線をなぞる。肩から鎖骨、胸板と骨格を辿るようにしている間、瀬島は目を閉じていた。耳には雄介の吐息だけが聞こえ、鼻腔に雄介のほのかなコロンの香りが入ってきた。研ぎ澄まされた五感を通じて、指の重さがじんわりと瀬島の身体に熱を与えていく。それと連動するように、雄介自身を握っている指を蠢かすと雄介の動きが止まり、「くぅん」とまるで子犬が甘えるように咽喉を鳴らした。
「・・・ここ、いいのか?」
問いかけると潤んだ目で瀬島のほうを見て、コクリとうなづいた。そのまま愛撫する手を止めずにいると蜜がトクトクと湧くように出てきて、雄介の下着を濡らした。
雄介が恥ずかしそうに下着を脱ごうとすると、瀬島がその手を止めた。
「俺に、させて。極上のギフトのリボンは、自分で開けたいんだ。」
そう言うと雄介がクスッと笑った。
「カオルさん、営業しているみたい。」
「そうか?」
きょとん、と考えて、お互いの顔を見合わせてなんだか可笑しくって声を出して笑った。
笑って、抱き合って・・・キスをして。
互いの衣服を全てはいでしまうと、雄介はゴクリと生唾を飲んだ。
「すごい、カオルさんの身体・・・逞しくて・・・。」
さっきまで自分にしてくれたように、瀬島の雄に指を絡めてそっと動かすと、瀬島が眉を少ししかめるようにして刺激に身を任せていた。
「カオルさん、感じているの?」
「あ・・・ああ。ダメだ、俺余裕ない・・・。」
うっとりするように目を閉じると、瀬島は軽く唇をついばんで立ち上がり、引出しから小さなボトルを出した。
そのままベッドに戻ると雄介を抱え込むようにして深くキスして、舌を絡ませながらボトルを器用に開けた。
ポン、という音がして雄介が「それ何?」と聞く前に自分の脚の間にヒヤリとする感触があった。
「!」
「大丈夫、雄介、怖がらないで・・・。」
「う・・・あっ!」
冷たい感触の後に、なれない感触が最奥の扉をこじ開けていた。
「力抜いて・・・そう。いい子だ。」
瀬島の肩にしがみつくようにしてその感触に耐えていると、瀬島がまたボトルを手にとって自分の奥に塗りこんでいくのが見えた。
「な、何?」
「ジェルだよ。雄介が痛がると可哀想だから・・・。」
これからは、愛だけを与えたいから。雄介が痛かったり傷ついたりして欲しくないから。
「カオルさんだったら・・・俺、怖くない。」
絶対離さないで、というように抱き合い、瀬島の指の動きに合わせて呼吸を整えていると次第にその部分が柔らかくなり湿った音が部屋に響いた。
「あっ。」
ある一点に瀬島の指が触れると、雄介の身体がピクリと反応し、奥が窄まった。
「ここが、いいのか?」
「んあっ・・・そこ、ダメ・・・俺、ヘン・・・。」
自分の奥に入っている指を退けようと、雄介は瀬島の腕をどかそうとするが、そうすると瀬島の指が自分の奥を弾き、雄介の抵抗もぐにゃりと力が抜けてしまう。
湿った音が響き、瀬島の脚を雄介の脚がぐっ、と締め付けるようにして、背中を反らせて雄介は切なげな声をあげた。
「俺・・・おかしくなっちゃう・・・。」
瀬島がするっ、と指を抜くと雄介はまだ息が乱れたままで白い胸を上下させて潤んだ瞳で恋人の瞳を見つめた。
「好き・・・大好き・・・。」
「俺も、大好き。」
囁くように呟くと瀬島は雄介の脚を開き、その間に割り込むようにするとしっかりと抱きしめてくれた。
「俺に、しっかりつかまって。」
雄介が首にかじりつくように腕をまわすと、瀬島はゆっくりと己を穿ち始めた。
「いっ・・・。」
反射的に指に力が入って、背中に爪を立てそうになって、ふと雄介は正気に戻って手を離そうとした。
「いいよ、背中。傷つけて。雄介につけられた傷が消えるまでは、雄介以外には触れないから。」
「あっ・・・もぅ。」
もぅ、そんな言葉で口説かれたら、俺とろけそうです。
そう答えようとしても、めり込んで来る瀬島の重みで言葉がでない。口を開くと、喘ぎ声になってしまう。
「雄介・・・すごい。」
瀬島は雄介の中の熱に酔いそうだった。
奥まで挿ってしまうと、瀬島は「全部挿っちゃった。」と嬉しそうに雄介に囁いた。雄介が恥ずかしそうにコクリ、と瞬きをすると瀬島はゆっくりと動き始めた。
あぁ、そうだ。こうしているところを何度夢に見ただろう。自分を探すように空を泳ぐ手に自分の手を合わせて、絶対離さないようにしっかり指を絡めて。今まで、これほどまでに誰かを欲しいと思って抱いたことがあるだろうか。
アイスクリームは、いまごろテーブルで溶けてしまっているだろう。俺達も、一つにとけてしまおう。
二人の身体の間で雄介の雄が熱くなっていた。抽送を繰り返しながらそれに指を絡めて扱くと、雄介は膝を立てて瀬島の腰を強く挟みつけた。
「あっ・・・もぅ、俺・・・出ちゃう・・・カオルさん・・・い、イクっ!」
うめき声ともつかない掠れた声で雄介がふるっと身体を震わせると、熱い飛沫が迸った。それでも瀬島は繋がったまま動きを休めなかったので雄介は追い上げられる快感に小刻みに身体を震わせている。
「ひあっ・・・あぁぁぁ・・・ダメ・・・カオ・・・ル・・・さん。」
「雄介・・・お、俺も・・・うっ・・・。」
翌朝、といっても昼近い時間だったが外の明るさに追いまくられるように目を覚ますと、雄介が腕の中であどけない寝顔からふるっと瞬きをしてゆっくり目を開け、少し恥ずかしそうに微笑んだ。夏の白い光が、自分達のこれからの道筋も照らしてくれているような気がした。
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