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第12話 マダム・バタフライ
「マダム・バタフライ」は相変わらず毎日のように来ていた。家でTVを見ていた者もいたらしく、彼女の正体を知って更に話題の客となっていた。
「雄介、おまえニースとかバハマって何処にあるか知らないだろう?」
「え、ニューヨークのどっかですか?」
「バカだなぁ・・・って、俺も解んないや。」
「なんだ、一緒じゃないですか。」
開店前にカウンタでグラスを拭いている雄介とホストたちがこんな冗談を言っていると支配人がやってきた。
「お客の噂話はフロアでするな、って言っているだろ?さ、店開けるぞ。」
「はーい。」
鍔木が鮫島を意識していることに気づいてしまったせいだろうか、心なしか鍔木がイラついているようだ。鮫島には固定のマダムもいて、ベンツ560SELも、ロレックスもマンションもマダムたちが競ってプレゼントしたものだ。決して媚びない性格とあのナイフのような鋭い視線がマダムたちの征服欲をかきたてるらしい。
鍔木は「マダム・バタフライ」には何か違うものを嗅ぎ取るのだろうか、心中穏やかでないようだ。フロアに出れば公私混同のケジメがきっちりしていて、親友である自分のことだって「カオル」としか呼ばないような男のはずなのにどうしたのだろうと瀬島はその均整の取れた後ろ姿を凝視していた。
「カオル。店上がったらちょっと飲まないか?」
珍しく鮫島が声をかけてきた。ナンバー1&2としてライバル視しているのも事実だがもともと瀬島はこの仕事に貪欲だったわけでなく、元来が固執する性格でもなかったので、自分にない鮫島のワイルドな男臭さを素直に格好良いと受け止めているし、鮫島にしても瀬島の天性の美貌と雄介を受け入れた心の広さを見直してもいた。
だから、最近は彼らなりの距離の取り方ではあるが良い意味で張り合い、いろいろ話をする機会も増えた。
「ああ、いいよ。じゃあ、いつものバーでいいか?」
雄介に鮫島と飲んで帰ることを伝えると
「楽しんできてくださいね。」
とにっこりしていた。
「珍しいな、ジュンが誘うなんて。」
仕事のあとにたまに行くショットバーのカウンタに腰かけるとスコッチを注文した。
「マスター、俺もスコッチ。」
鮫島がそう声をかけながらスツールに腰かけた。
「悪いな、雄介独り寝か。」
「不思議なヤツだよ。俺とああいうことになって、俺がこんな仕事していても文句も言わないし。独占欲がないのか、心が広いのか、ずっと独りだったせいかも、と時々可哀想にすらなる。」
「ま、オマエは浮気するタマじゃないから、信用されているんだろ?」
グラスを手にしたが飲もうとする気配が無く掌で転がしながら氷の音を聞いている。
「・・・独占欲か。」
「どうした?ジュンにしては珍しくたそがれているけれど。」
少しからかうようにして顔を見ると瀬島は軽口を聞くのをやめた。鮫島は何か深刻な話をしようとしているらしい。
「例のマダムから、店を辞めてついてこないか、と持ちかけられた。」
「マダムって・・・。」
ファースト・クラスであちらこちら飛びまわる彼女達は「ジェット・セット」と一般に言われているがその目的の大半は各地でのファッションショーやらカクテルへの出席である。
そういった場へのエスコートとしてハンサムな若い青年を連れていることが多くヨーロッパのゴシップ雑誌などによく載っているのだが、マダムもそんな青年を捜していた折にふと里帰りした東京で鮫島をみそめたというのだ。
「すごいじゃないか。」
「支配人は、なんていうかな。」
瀬島は返事をすることができなかった。稼ぎ頭であるだけでなく、鍔木は鮫島に特別な感情を抱いている。かといって、これだけ出入りの激しい歌舞伎町で、一ホストの去就をとやかく咎める権利は支配人と言えどあるわけではない。
「そりゃぁ、引きとめるだろうな。稼ぎ頭のジュンが抜ける穴はでかいだろう。」
「なんだ、そんなこと。」
本当は、違う。瀬島は心の中で思っていた。
自分がまだ雄介への気持ちにはっきり気づいていなくて、お互いもどかしかった頃、たとえ想いが通じなくてもこうしてそばにいるだけでも安心していた。鍔木だって、目の前から鮫島が全くいなくなったらやはり寂しいと感じるだろう。いずれは諦めるにしても、自分だけが幸せを手にして傍らで親友が悩む姿を見るのは辛い。
「俺が抜けても、カオルがいるんだからなんとかなるだろう・・・。」
「もう、気持ちは固まったのか?」
「さぁね。」
グイッ、とスコッチを流し込むと
「雄介がじれてんだろ。もう帰ろうぜ。」
と席を立った。
アパートに戻ると、雄介は既に眠っていた。くたくたになるまで働いて疲れたのかぐっすり寝入っていた。寝顔をしばらく眺め、額にかかる髪をそっとかきあげるようにして指で梳くと、台所のテーブルに腰かけた。
先にどちらかが休む時の約束で、雄介の伝言がテーブルの上のメモにあった。
「ジュンさんとはたのしかったですか?あしたはお昼にこの間のうどんを食べに行きましょう。 雄介」
ひらがながどうしても多い文章につい顔がほころんでしまうが、冷蔵庫からミネラルウォーターを取りだすとさっきまでの会話に思考が戻った。
鮫島は、何を伝えたかったのだろう。
一匹狼を自称するあの誇り高い男が店を辞めるからといって相談しかけてくるだろうか。彼ほどの体躯と雰囲気であればホストでなくてもモデルとしても十分通用しそうなのに、なぜここにいるのだろう。自分のように借金でも抱えているのでなければどうにだって身を処せるであろう。
いや、アイツは一言も相談を持ちかけてきていない。かといって、決断したわけでもなさそうだ。まさか、鍔木のことを聞きだしたかったのだろうか。鍔木がどう思っているか、引き止めるか試そうとでもいうのだろうか。いや、ジュンは冷酷なところはあるがそう言った使い方はしない。
色々な考えが頭を巡っているうちそのまま台所で眠っていたらしい。気が付くと、肩に毛布がかかっていた。
「風邪ひくよ。」
雄介がにっこりして傍らに腰掛けていた。
「起こしてしまったか?」
「ううん。なんだかさ、カオルさんがいないと眠りが浅くなっちゃうみたいなんだよ。」
スーツを脱いでそのまま雄介とベッドに入り雄介に腕まくらをすると安心したのかと微笑みながら目を閉じた。
「ジュンさん、辞めちゃうって本当ですか?」
「誰に聞いた?」
「支配人があのマダム・バタフライとそんな話をしていたから。お店への礼金も払うとかさ来週の水曜日にはミラノへ行くとか。」
「鍔木は、どんな顔していた?」
「やっぱり、ショックなんじゃないかなぁ。だって、俺が年少出てきて店に入った時は既にジュンさんはいたんだから。ナイフみたいな人で、他のフロアの人とケンカも良くしていたけれど不思議と支配人には素直だったんだよね。」
「そうか。起こしてすまなかったな。おやすみ。」
額に優しくキスをして眠りを促した。
翌日、店に出る前に瀬島は鍔木を呼び出した。
「どうした?まさかオマエまで店辞めるとか言い出すなよな。」
開口一番に鍔木が言い出した言葉に瀬島はかえって言いだす言葉を失ってしまった。
「大丈夫だ。幸か不幸かがんじがらめだからな、借金で。」
少し気落ちしている鍔木を元気づけるように冗談っぽくいったが、鍔木は笑っていなかった。
「まいったな。ジュンが抜けると痛いよなぁ。カオルも名実ともにナンバーワンだな。よろしく頼むよ。」
「なぁ、鍔木。引きとめないのか?」
「そんな権利は無いだろう。歌舞伎町のルールだよ。過去も問わないし、拘束もしない。」
「支配人としてじゃない。一人の鍔木修一としてだ。」
煙草に延ばそうとした手がふと止まった。
「どういう意味だ。まさかオマエ、俺があの男に惚れているとでもいうのか?よしてくれよ。」
「ムリをするな。別に俺が雄介を選んだからオマエまで仲間に引きこもうとかそういうことは言っていない。ただ、本当にアイツを行かせていいのか?」
「俺に、そんな権利は無いだろう。」
「だが、そうする義務はある。」
まるで屁理屈のように言い返すと鍔木は少しムッとした表情をした。
「司法試験通っている俺に論戦張ろうってのか?いいから、オマエは自分のことだけ心配していろよ。」
とうとう声を荒げて出て行ってしまった。お節介なだというのなら、そう言えばいい。だが、ムリをしているオマエは鍔木らしくない。そんな表情を見て、俺たちだけが幸せを掴むなんてできない・・・。
鍔木、オマエには俺も、雄介も助けられたんだから。たまには俺にも格好イイ役やらせてくれてもいいだろう。
どんな表情で鍔木に会おうかと思案しながら店に出ると、他のホストたちが駆け寄ってきた。
「大変だよ、支配人ジュンさん殴っちゃって。」
「なんだって?」
「店辞める挨拶からケンカになっちゃったんだ。」
「で、二人は?」
「支配人は奥に引っ込んでいるよ。ジュンさんは雄介が追っかけていったけれど。」
「そうか。」
雄介なら任せておけるだろう。あの一匹狼も雄介には優しいから。それにしても、自分が二人をドツボにはめてしまったようで一層気が重くなった。
「ジュンさん。」
雄介はどうにか花園神社の傍で鮫島に追いついた。
「なんだよ、店サボると支配人に叱られるぞ。」
鮫島は相変わらず愛想が無い。
「本当に、いいんですか。このままにして行くんですか?」
「俺の勝手じゃないか。金持ちのマダムについて大名旅行なんだ。そのうちオマエも呼んでやるよ。」
「・・・俺ね、ずっとカオルさんに片思いだと思っていたんですよ。」
「なんだよ、急に。」
「俺はもう誰かに愛される資格なんてないって思ったから。でも、店に来れば、カオルさんと一緒にいられる。あの人が寮を出されてしまって、うちに泊めれば毎日顔を見られる。俺それだけでも充分だと思っていました。」
「ふん、じゃあ瓢箪から駒ってことか。良かったな雄介。」
「ジュンさんが何考えているかは俺は頭悪いからわかんないよ。でも、本当は支配人に引き止めてほしかったんでしょう?たとえ仕事のためであっても、そうでなくても。俺は・・・。俺だったら、自分にウソはつきたくないんだ・・・。それだけ言いたかったんだ。じゃあ。」
雄介はくるりと向きを変えて店の方に走って行った。
鮫島はその様子を見送ると「ふん。」という顔をして西新宿の方へ歩いていった。
それから1週間が経ったがみんな申し合わせしたかのように鮫島の名前を出さないでいた。鍔木はいつもと変わらないように努めているがムリして元気に振舞っているようにしか見えないことが瀬島には心配だったが、親友として今できることは鍔木が立ち直るまで見守ることだけだ。
「さ、この後カラオケでも行くか?」
鍔木がレジの中の売上金を勘定しながらみんなを誘う。きっと独りではいたくないのだろうが仲間うちで騒ぐことがここのところなかったから悪くない。
「じゃあ俺片付けは明日にまわそうかな。」
雄介もとゴミをまとめながら調子を合わせていると、誰かがドアを開けたのかチャイムが鳴った。
もう閉店で、と声をかけようとした鍔木は凍りついたように立ちすくんでしまった。
「ジュン。」
鮫島がボストンバッグを下げて店にふらりと入ってきた。
「オマエ、今日ミラノ行きの飛行機に乗るんじゃなかったのか?」
「俺は誰の下ででも働けるわけじゃないからな。それに、この間アンタに殴られたお返しもしていないし。」
「・・・ついカッとなってしまって、済まなかった。」
「いいよ。それより、俺半分口説いたんだからな、あと半分はそっちでなんとかしろよ。」
「え・・・。」
「じゃあ、明日からまた店に来るよ。」
そう言って去っていく鮫島の後姿を見送ると、瀬島が背中を押すように声をかけた。
「戸締りは俺がしておくよ。」
その表情を見て、鍔木は少し困ったような顔をすると鮫島の後を追って店を出て行った。
(本当、素直じゃない二人だが・・・どうやらこれでよかったらしい。)
「俺たち、愛のキューピッドだね。」
雄介が瀬島の肩に手を置くようにしてと言ってクスリと笑った。
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