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第14話 青春の門
二人が暮らし始めて1年が過ぎた。瀬島は今では店だけでなく歌舞伎町ナンバーワンの呼び声も高かった。
仕方なく始めた仕事だったはずなのに、人生は不思議なものだと思う。店の方も順調で、歌舞伎町と言う場所柄人の入れ替わりは相変わらず多いのだが顧客は安定している。
何もかもが上手く行っているという日々だった。
「ねぇ、新宿に行こうよ。俺、本屋さんに行きたいんだ。」
雄介がそう切りだしたのはそんなある日の昼下がりだった。
「珍しいな。何か探しているのか?」
「俺さ、高校に行こうかと思って。だから、勉強するんだ。カオルさんに、選んでもらおうと思って。」
「いいんじゃないか。高校入試の勉強なら、俺が店に出る前に見るよ。」
施設にいた頃ロクに学校も行かないで荒れていた彼は中学だってほとんど行っていない。学校からも来るなと言われていたのだと言う。
「少しでも、カオルさんに近づきたいんだ。」
大学を出ている自分を雄介はすごく頭が良いかのように言うが、世渡りも下手で不器用な自分よりは雄介の方がよほど頭は良いのではと思う。
カクテルの配合を全部頭に入れていたり、注文を一度も間違えない辺りなど、彼は天性の頭の回転が良いのだろうと思う。
紀伊国屋書店に出向くと、中学の基本となる参考書と、受験案内を買った。
雄介のような過去を持つ青年でも受け入れてくれる学校で、且つあまり荒れていないところを探さないと、下手をしたら年少帰りなんて「英雄」のようにされてしまいかねない。
まるで自分が親になったような気分で気をもんでいるが、些細なことであれ将来のことをあれこれ考えるなんて以前には予測も出来ないことであった。
勉強を始めて見ると、雄介は小学校の後半あたりからすっぽり抜け落ちていることが解ったが、根気良く教えこんでいくと思っていた通り飲み込みが早い。
どんなに仕事が遅くなった翌日でも、きちんと机に向かう。
癖なのか、鉛筆の端を口にくわえて少し噛むようにして、問題の解き方を考えている仕草を瀬島は嬉しそうに眺めていた。
夜仕事があるが、できるだけ普通の学校生活をしたいと雄介が選んだのは単位制の高校だった。
二人の住んでいる新大久保からも丁度良い距離だし、中退者にも門戸を開いていると言う。
試験当日。珍しく瀬島は早起きして弁当を雄介に作った。
「スタミナ充分の、カツ丼だ。縁起がいんだぞ。」
包みを受け取った雄介はきょとんとした表情をした後、笑いだした。
「まさか、”勝つ”とかけているの?いやだぁ、カオルさんそれオヤジ入ってるよ。でも、ありがとう。」
少し照れたような表情をしてカバンに詰めると、「もう一つ」と言ってキスをねだると出かけていった。
(まるで、親みたいだな。)
もし家があんなことにならなかったら、どうしていただろう。
あのままサラリーマンを続けて、結婚して子供を持っていたかもしれない。求めずとも何でも手に入ると思っていた自分のままで、それが当たり前だと思って。
雄介は、何かを得るには自分が動かなければいけないということを子供の頃からの経験で知っている。
そんな雄介の支えになりたい。
合格発表の朝、雄介はいつになく緊張していた。
「大丈夫だよ、雄介。”人事を尽くして天命を待つ”というだろう。」
「何、それ?」
「なすべきことはすべてやってしまったら、あとは結果に任せろということだよ。」
「うん。自信が有るような、ないような。ねぇ、一緒に見にきてくれるよね?」
子どものようにすりよって甘える仕草をされると瀬島はまだ眠くて午前中は布団にいたい気持ちもあったが雄介についていこうと仕度を始めた。
学校なんて、何年ぶりだろう。自分たちよりはるかに若い、
まだ顔ににきびさえ残る少年少女たちをかきわけて掲示板に向かうと、雄介は神妙な顔でポケットから受験票を出した。
「カオルさん、見て来てよ・・・俺緊張してきちゃった。」
「自分でも見ろよ。じゃあ一、二の三で目を開けようか。」
三まで数え終えないうちに、雄介の素っ頓狂な声が聞こえた。
「あった!カオルさん、あったよ、15番!」
後で冷静になって考えてみれば20代中盤に差し掛かろうとしているヤロウ二人で無邪気に「せーの」なんて声かけて、おまけに片方は番号を見つけて小躍りしているなんてかなり奇妙な図だっただろうが、頬を赤く染めて番号と受験票を何度も見比べている雄介を、瀬島は優しい笑みで見つめていた。
「俺、書類もらってきます。」
そう言って事務所に走っていく背中を見つめながら、瀬島は自分と雄介の関係を考えていた。
願書を書く時、家族欄は空欄であった。後見人として、彼の保護観察を担当した鍔木の父の名前を記入した。
鍔木に付き添われて、そのお願いに雄介が出かけた時、瀬島はついていく訳にもいかないのでアパートで翻訳の仕事をしていた。
雄介を深く知り、お互いの傷も痛みも全て曝け出して、これ以上お互いを必要としている存在はいないだろうという自信がある。
だが、何かあるごとに瀬島は自分が雄介にとって「同棲している恋人」以上にはなり得ないことを痛感させられる。
それだけでも十分なはずなのに、もっと深い絆を求めようとする自分がいる。
脆いガラス細工のような雄介を守ると決めているのに、時として自分は無力だと感じることがある。
「今日は奮発してスキヤキにしようか。お祝いだな。」
水色の大きな封筒を大事そうに抱えて走ってきた雄介の肩を抱くようにして学校を出た。
「ねぇ、どう?俺、似合います?」
入学式の日は桜の花が全て散ってしまうような風の強い春の一日だった。
雄介は制服であるブレザーに袖を通すと少し興奮した表情で瀬島が仕度をしている傍に寄って来た。
「若く見えるかな。」
「またぁ、そんないい方したら、カオルさんオヤジくさいよ。でも、格好いいなぁ。」
仕事で見ているスーツ姿とは、午前中の柔らかい日光の下では少し違って見える。
この人がエリートサラリーマンだった時は、こうして朝ネクタイを締めていたんだよね、通勤電車の中でもきっと凄く格好良かったんだろうな、
などと考えながら鏡の中の瀬島を眺めていると、どうした、という表情をした。
「だって、カオルさんやっぱり格好いいな、って。」
「毎日見ているじゃないか。それより、本当に俺も行くのか?」
「勿論。だって、恋人の晴れ姿見たくないですか?惚れ直しますよ、きっと。」
「言ったな。」
少し遅めの青春を経験しようとする雄介が眩しくて。
一緒にいたら、自分はくすんで見えてしまいやしないだろうか。
クラスメートができて、自分のことを話す時に雄介は何と言うのだろう。瀬島のことは、なんと話すのだろうか。
「遠縁の人」とでも言うのだろうか。
学校の門に通じる道は、桜並木だった。創立から日が浅いその幹は太くはなかったけれども桜の美しさに変わりはなかった。
強風のために桜吹雪が舞い、ブレザーの裾をはためかせる雄介は桜の精の化身のようで、
あのまま上着が白い翼に変化して自分の手元から飛んで行ってしまうのではないかと不安な気持ちにさせた。
学校に通い始めた雄介はまるで小学校に入ったばかりの子どものようなはしゃぎぶりで、毎日息を切らせて戻ってくると、クラブに出る前の軽い夕食の卓を瀬島と囲みながら、学校での話をあれこれしてくれた。
瀬島にとってはもう10年以上前に経験していたことでなにも目新しくはないのだが、つい話に引き込まれていた。
「やっぱり、一番年上なのか?」
「そうだと思うよ。あ、でもね、一人二十歳のヤツがいた。なんでもヒキコモリだったとか。それって何?」
「家から出なくなるんだそうだ。ストレスとか、いろいろあるだろう?」
「ふーん。なんだか暗いからあんまり話していないけれど。あ、ねぇ。あとで宿題教えて。」
「いいけれど、その前に雄介・・・。」
ここのところ雄介の学校やら瀬島の同伴がたてこんであまり二人でのんびりする時間がなかった。
自分のいない世界のことばかり話す雄介に少しやきもちを焼いて、その手を掴んだ。
「仕事、遅刻しちゃうよ。」
「いいよ、俺が言い訳してやるから・・・。」
「んっ・・・もぅ・・・。不純異性交遊は、禁止って・・・。」
「安心しろ、同性だから。」
制服のYシャツの襟元のボタンを外してストライプのタイを緩めている姿はいつになく禁欲的でそれだけに扇情的に思えた。
コスプレとかそういう趣味はないのだけれど、制服というストイックな響きが瀬島にそれを汚してみたいという奇妙な思いに駆り立てた。
敢えて雄介の服を全て剥ぐことはせず包むといつも以上に背徳の香りがした。
学校での雄介の存在は少し珍しく、また謎めいたものとしていたが、あの天性の気性の良さのせいか5,6歳年下とはいえクラスの中で親しくなった仲間もできた。
時には学校帰りにちょっと遊んで帰ってきて店に駆け込むこともあったが、今遅い青春を謳歌しているのだと瀬島は温かく見守っていた。
何もかもがうまく回り始めている。
そう信じて疑わなかった。
「青木、帰りにゲーセン行こう。この間のリターンマッチしようぜ。」
「いいよ。俺、バイトあるから5時までには帰るよ。」
中間考査が終わってどことなくほっとしたある日、雄介は何げにクラスメートの誘いにのってセンター街に並ぶゲームセンターに足を踏み入れた。
(なんだか、センターも随分おとなしくなったじゃん。)
シューティングゲームのライフルを構えてクラスメートとふざけながらそんな昔を懐かしんだが、人ごみの向こうで雄介を見ている瞳には、気づく由もなかった。
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