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第15話 プレイバック
雄介が高校に通うようになってから瀬島もそれに合わせるようにつとめて朝早起きをするようになった。
ふたりとも明け方に近い時間に戻るのでかなり眠いのだが勇気を奮うようにシャワーを浴びて朝食代わりの濃いコーヒーを飲み、時間を共有する。
「カオルさん、無理しないで休んでいてよ。」
「大丈夫だ。鍔木に頼まれた翻訳もそろそろ仕上げないといけないし・・・ふぁ~っ。」
「ほら、眠そう・・・ふぁ~あ。俺も眠いや。」
「だろ?」
思いっきり伸びをして、顔を見合わせるとゲラゲラと大笑いした。
瀬島は雄介と暮らすようになってから腹の底から笑う機会が増えた。仕事では「ポーカーフェースのカオル」を気取っているが、実は笑い上戸だったのかと思うほど雄介との生活は笑いに溢れていた。端から見たら甘すぎるほどの生活だろうが、こんな普通の時間をどれほど渇望していたのだから、と半ば開き直っていた。
彼自身は雄介を見送ってから再度ようやく二人の温もりが冷めてきたベッドにもぐりこんで二度寝をすることができるけれど、雄介も日中に学校に通い、夜は店に出る生活をしてるから時間的にはかなり無理をしているのだが、そんな生活を本人は楽しんでいる。
「学校、プールあるんだよ。」
「どうするんだ?」
「鍔木先生が、学校に話してくれたはずだよ。なんだか病気とか理由つけて見学するんだ。」
「つまらないだろう、それも。」
「別に。だって、キスマークつけていても気にすることないじゃん。ちょっと自慢もしたいけれどさ。」
あの上目遣いでイタズラっぽく見つめる表情が小悪魔めいて、瀬島は雄介の鼻をキュッ、と軽く摘まんだ。
「そんな風に誘うのは誰だっけ?」
クククッ、とくすぐったそうに笑うと
「明後日店が休みでしょ?デートしようよ。」
鼻をつまんだままの声でそんなささやかな約束をして、それから茶碗を流しに下げると瀬島の頬にキスをして、カバンを斜めがけにして出かけて行った。
雄介が二足の草鞋を履く生活になり、いわば留守番をしている間瀬島はその間の家事を引きうけていた。もともと自分が転がりこんできたアパートで上げ膳据え膳の生活をするほど厚かましくはなかったので、スポンジに洗剤を滴らすと食器を洗い始めた。
洗いながら、ここ二ヶ月ほどふと見せる雄介の不安げな表情に考えが及んだ。
昨夜もそうであった。
何かにうなされるようにして寝苦しそうにしていることに気づいて声をかけると「大丈夫」と小声で囁く。
「大丈夫か?怖い夢でも見たのか?」
「・・・・・・。」
心細そうにパジャマの袖を掴む雄介をあやすようになだめ、額にキスをする。それでもまだ頼りなげにして、寒い時期でもないのに身体を震わせている、そんな様子が辛くて、雄介の意識をとばしてぐったりするまで雄介を貫いた。
汗だくになって、溶けるように眠る雄介の表情にさっきの切迫感はなかった。
すぅすぅと寝息を立てる雄介の額にかかる髪を指で撫でると、少し白くなり始めた窓の外を見やった。
学校で、何かあったのだろうか。いろいろ聞いて力になりたいという考えはあるのだが、「同棲相手」で恋人である以上の存在でない自分が雄介のプライベートな部分に立ち入ることに躊躇いがあった。守りたい、腕に包んでそう言ったはずなのに、自分と雄介の間をつなぐものの脆さに気づかれることが怖くて、躊躇ってしまう。
それでも朝になって見せる表情はいつものままで、彼なりにいろいろあるだろうし、二重生活と自分より年下の仲間とのつきあいも緊張するのだろうと自分を納得させた。
二日後の店が休みの昼下がり。
学校の門の前にポルシェが派手なエンジン音をさせて停まった。
「すげー、カレラじゃん。」
「彼氏のお迎えかな?誰だよ、エンコーしてるやつ?」
教室の窓から級友達がワイワイと見ている。すると運転席のドアが開いて、中から背の高い男性が降りてきた。
車にもたれて立つ姿はモデルそのもので、黒いシルクのシャツのボタンを二つ開けて、ボトムは黒いレザーパンツ。
少し明るい栗色の髪は初夏の風になびいて、そんなに天気の良い日ではないのにわざわざかけているサングラスが憎いほど決まっている。
「ドラマのロケかな?」
「すげー、誰だよモデルと付き合っているの?」
わいのわいのと男子生徒が騒ぎ、女子生徒は色めき立ってその姿を見ていると、雄介が「あ、来た。じゃ、また明日」と声をかけて教室を飛び出すとまっすぐ車の男性の所に走って行った。
「カオルさん、すごい格好イイよ!」
胸に飛び込むようにして駆け寄るとさっとサングラスを外して、瀬島は雄介を抱えるようにして車に滑り込んだ。
あまりにも自然で流れるような動きに下校中の生徒たちも唖然として立ち止まったままポルシェが走り去っていくのを見送った。
「すげー、カオルさん。もう、教室でみんな大騒ぎだったよ!」
「・・・・・・すごく、恥ずかしかった・・・。」
以前から雄介に「お店でのカオルみたいにして俺とデートして」とせがまれていたこともあり、それを何気に実行してみたのだったがやはり気恥ずかしかったのか、ちょっと困ったようにして黙ってハンドルを握っていた。
「格好いいよねぇ、すごく。俺、すぐキスしたかったもの。ねぇ、次の信号待ちで、キスしてもいい?」
「・・・軽く、だぞ。」
そういなしながらも瀬島は雄介がはしゃいでいるのが嬉しかった。リクエストに応えようといつもよりももっとホストっぽい服装で、いつもなら営業でもしないほど気障にキメて。
「でも、この色はないよな・・・ポルシェ。まるでカエルみたいだよね。」
「まぁそう言うな。この色しかなかったそうだ・・・これを借りるのに、マダムに頼んだのだから。」
外車のディーラーをしている社長夫人が瀬島の顧客にいて、「田舎から友人が出てくるから東京案内に一度ポルシェを運転してみたいな」とさり気なく言って借りたのだったが「生憎自由に乗りまわせるのがこれしかない」と目も覚めるような黄緑色のカレラで、交差点で信号待ちをしていると人がジロジロと覗き込んでいるのがわかった。
「・・・うれしい。」
ギアを操作する自分の左手に、雄介の右手が乗せられた温かさが伝わった。
渋谷に出て前から観ようと約束をしていた映画を鑑賞すると、サントラが気に入ったからと二人してHMVに探しにいった。
「渋谷なんて学生時代以来だなぁ。」
「そう?なんだかさ、センターも雰囲気変わったよね。普通に・・・。」
そう言いかけて雄介は口をつぐんだ。
新宿のコブラと呼ばれていた頃のシブヤ系チーマーとのことは、拭い去れない過去であり、渋谷には明るい思い出は何一つなかった。
「コーヒー飲もうか。」
角のコーヒースタンドに入ると2階に席をとると街を行き交う人を見下ろしながら何気ない会話が続いた。
「あのさ、ケンジ、いるでしょ?ラーメン屋の。あいつね、プロテスト受けるんだよ。」
「何のプロ?」
「ボクシングだよ。昼間はジム行ってるんだ。減量しながらラーメンの匂い嗅いでよく生きていられるよなぁ。」
「すごいな。彼だと細身だから、ストロー級とかになるのかな?」
「俺も頑張らないと・・・。だからね、商業科目を取ることにしたんだ。」
「簿記とか、そういう科目だろ?」
「うん。パソコンもあるんだって。前に言っていたじゃん。そのうちホストから足を洗ったら・・・って。二人で小さな店を持てたらいいな、って。そうしたら、俺もいろいろできるでしょ?」
雄介がそこまで先を見越していたとは意外であった。
ホストだってそう何年もできる仕事ではないことは確かだが、借金のことでその後のことまで考える余裕はこれまでなかった。雄介から初めて打ち明けられた計画ではじめて気がつかされた。
「店か。」
「うん。いいでしょ?」
「貯金、始めるか?二人の名義で、少しずつ。」
「うん。俺ね、××銀行がいいな。あの通帳可愛いからさ。」
ウィンドウショッピングを楽しみ、再び車に乗って出向いた先はベイエリアのホテルだった。
「カオルさん、これって・・・?」
「さすがにスィートルームっていう余裕はなかったけれど。」
冷蔵庫からシャンペンの子瓶を出すと器用に栓を抜いて、グラスに注ぐと驚いたように窓の外を眺める雄介に手渡した。
「Happy birthday、雄介。」
雄介は驚いた表情をして、それから嬉しそうにグラスを取ると、クスリと笑みをもらした。
「・・・笑うな。」
「だってカオルさん、照れてる。」
「当り前だろう。」
営業とは違って、マジでこんなことをするなんて、雄介が相手だからできるんだよ、と言いかけるように唇を重ね、チン、と軽くグラスを合わせた。
「お腹空いたか、雄介?」
「少し。」
「じゃあ、もう少しガマンして・・・。」
細い腰を抱くようにしてキスを深め、そのまま自然に愛し合った行為はいつもよりも更に細やかで、深く甘く感じられた。いつもと違うベッドでいつもと違う空間のセックスは新鮮で、二人は素直に酔った。
翌朝、ルームサービスで朝食を摂った。
今更思い出したように雄介に学校は行かなくていいのか、と聞くと午後の授業だけだと微笑んで嬉しそうにシリアルヨーグルトを食べていた。
「格好イイよね、洋画みたいじゃん。このぶわっとしたバスローブ。」
子どものようにはしゃいで、一口食べるごとに嬉しそうに自分の左手の中指を見つめていた。昨夜、幾度となく腕の中で果て、やがて疲れ果てて寝息をたてて眠る雄介の手を取ると、そっと指輪を嵌めた。ホワイトゴールドのリングはプラチナどころか、自分のペアを買う余裕もなくてお世辞にも高級品ではなかったのだけれど、雄介が大事そうに指でなで、陽の光にかざす仕草を微笑を浮かべて見つめていた。
「俺、この思い出、大事にしますよ。」
「・・・そのうち、これが当り前なぐらいにしてやるよ。」
「そのうち・・・来るといいなぁ。」
そう呟く雄介に瀬島は気づかなかった。
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