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第17話 道化師

「あっ・・・も、もっと・・・。」 「雄介・・・。」 「カオル・・・さん・・・。」 「雄介・・・雄介?」 突如として自分の掌の中で力を失った雄から手を離すと、雄介は顔を見られたくないのか二の腕で顔を隠した。 「どうした?」 「ごめん、なんかダメだ、俺。」 瀬島が繋がっていた身体を離すと、雄介はごろりと背中を向けた。線路際の飲み屋や風俗店のネオンが窓から差しこみ、雄介の背中を浮かび上がらせていた。 「雄介。」 ここ暫く、雄介を抱こうとしてこんな風に中途半端になってしまう。上客であるマダムとの伊豆旅行から戻って、店に払う代金とは別にチップが多かったので雄介の好きなシュークリームを買って戻った時、本当に嬉しそうに出迎えてくれた。二人でシュークリームを食べて、テストが近いからと勉強をみてあげて、そこまではなんら変わりが無かった。仕事が終って、一緒に手をつないでアパートに戻って、布団で互いの温もりを確かめて・・・。 普段の雄介となんらおかしいところはなかったように思ったが、どちらともなく求めあって、腕の中で悶える雄介も、己を沈めた内側の熱も、なんら変わったところはないはずなのに、無意識の向こうで雄介は自分を拒んでいる。 「疲れているんだよ。一服してくるから、いい子でお寝み。」 台所で煙草に火をつけ、冷蔵庫の中のミネラルウォーターを取りだした。 きっと雄介は中途半端な身体の熱をもてあまし、自身の感情のもっていき場を探しあぐねて苦しそうに寝返りをうっているのだろう。 (何か悩んでいるのなら、話してくれ。) そう言いたいのに、言えずにいる自分が苦しかった。男同志のノーマルでないこんな恋愛に雄介がういたのかもしれない。佳耶のような、純真な心を持つ少女とまた出逢ったのかもしれない。 そうであったなら、自分は辛くても雄介の幸せのために力になってあげたい。 だが、もっと深い業がその悩みの原因であるのなら―。 自分は本当に力になってあげられるのだろうか。これまでに鍔木や、雄介の口から直接聞いた過去以外に、何かまだあるのだろうか。 聞いてあげることだけでも雄介の救いになるのなら、そうしてあげたいと思うのに、言葉が出ない。 自分達の絆がほころぶような言葉がその口から出ることを恐れているのか。「関係ないよ」と突っぱねられることが怖いのか。本当は、察しようとしない自分に愛想をつかしているのかもしれない。 触れればすぐに手が届くところにいるのに、遠い。 ホストという虚構の世界にいるというのに、瀬島は自分の心の機敏を隠すことが苦手だった。マダムと接している営業中はそれでも「カオル」として別人になりきるだけに、合間の力の抜けた瞬間に素が出てしまう。 「瀬島、フロアでは辛気くさい顔するな。マダムが逃げるぞ。」 休憩に一服していると、支配人である鍔木が後からやってきて肩を叩いた。 「なんだ、鍔木か。」 「なんだはないだろう。オマエは素の顔がすぐ出るからな。どうした、雄介とケンカでもしたか?」 「いや・・・。」 「俺で力になれることがあったら、多少なら力になるがな。オマエらの間のことなら、オマエらできちんと話せよ。」 「話しあえたら、苦労しないさ。・・・なぁ鍔木、俺は雄介にどこまで入りこむ資格があるのだろう?」 「資格とかごちゃごちゃ考えるなよ。誰よりも雄介を愛している、その自信だけじゃ不満か?指輪とか、役所に出す紙っぺらが、資格だとでもいうのか?」 「そうは思っていないが・・・。オマエとジュンは、なんでも話すのか?」 唐突な質問に、鍔木は一瞬キョトンとした顔を見せたが、鏡の前でネクタイを直しながら、「まぁな」と答えた。 「俺は何でも理詰めだから、アイツも何か言い返さずにはいられないだろう。”目を見れば解る”ほど俺達も、オマエ達も単純じゃねぇってことだよ。」 「そうか。」 ぼそっと辛辣な言葉を吐くところしか見たことがない鮫島が弁のたつ鍔木とどのように渡りあうのか考えるとおかしかったが、自分達に言葉が足りないことは自分が十分すぎるほどわかっている。 自分が何かを言いだす前に察してしまう雄介に甘えすぎていることもわかっている。今度は自分が察してあげる番なのだ。 鍔木からそうアドヴァイスを受けながらも、きっかけをあれこれ考えて数日が経っていた。 「雄介、今日でテスト終るんだろ?待ち合わせて、食事でもしようか。」 学校に行く支度をする雄介に声をかけると丁度歯磨きをしていて言葉で返事ができないので両手で頭の上で丸を作った。 「学校出るとき連絡入れてくれ。」 今度は空いている左手でサムズアップをして出かけていく後ろ姿はいつも通りだった。あれから自分としても努めて雄介に自然体で接していたし、昼間の雄介は、いつも通りによく喋り、笑った。 今日、食事に出かけたら。そうだ、前に見かけたオープンテラスのカフェのランチなんて、開放的でさりげなく話しを振れるだろう。たとえそれが別れ話でも、明るく聞いてあげられるだろう。 雄介は、テスト問題を解きながら時として思考が別の方向で回っていることに気づいていた。 カオルさんは、俺を心配してくれている。俺が少し変だって、気がついているけれど、聞けずにいるんだ。 俺の気が紛れるようにこうやって食事に誘って、きっと前に話してくれたカフェかなんかで、俺の悩みを聞いてくれるつもりなんだろうな。 (でも、ごめんなさい・・・。俺言えないよ。) それを話してしまうと、カオルさんも苦しめてしまうから。俺を庇おうとして、きっと無茶しちゃうにきまっている。 カオルさんはいつでも俺の話を聞いてくれて、それがどんなにバカみたいな話でも、くだらないことでも、ちゃんと聞いてくれて、俺が納得する答えを一緒に探してくれたりする。でも、甘えてばかりもいられない。俺はカオルさんが大好きだから、だから巻き添えにしたくないんだ。 きっと俺、ラットに殺られちゃうだろうから、そうしたら、カオルさんきっと哀しむから。 俺を嫌いになってくれたら、きっとカオルさんは悲しい思いをしないで済むよね。 だから。 (もう、俺に優しくしないで。) 涙ぐみそうになって、ふとテストが終っていないことに気づいて慌てて答案に向かった。 昼を少し過ぎた頃、瀬島のスマートフォンが鳴った。 「雄介、終わったか。お疲れ様。」 「あのさ、せっかくだけど俺ちょっと昼行けないわ。」 受話器の向こうで瀬島が黙りこくっている様子がわかった。 一瞬雄介もなんでこんなことを言うのだろうと思ったけれど、でももう後には引けないと畳み掛けるように話した。 「ごめん、カオルさん。・・・俺、好きな娘ができちゃった・・・ごめんなさい。」 「・・・そうか。」 「後で、店で。」 電話を切ると、そのまま購買に行ってパンを買い、屋上に上った。 (ごめんなさい・・・でも、俺にはこれしかないんだ・・・。) 泣きながら齧ったパンは、塩辛い味がした。 (俺、好きな娘ができちゃった・・・。) 雄介の幸せを応援しようと決めていたはずだったのに、いざその言葉を聞くと瀬島はがっくりと座り込んだ。 雄介をこの手から失う日がいつかくるかもしれないとは思っていたが、自分だけが何も気づかないである日ばっさりと二人をつなぐ糸が断ち切られた思いに暫くは空腹も忘れて考え込んでいた。 ―ここまでの1年余り、どん底にいた自分をここまで包んでくれたから、それでいいじゃないか。 ―これ以上雄介は束縛されたくなかったんだ。 ―仕事とはいえ他の女性に媚びて暮らす自分に愛想が尽きても仕方がない。 自分に言い聞かせようとすればするほど答えは空回りして、情けないけれど涙がこぼれた。 やはり雄介を失いたくない自分がいる。今まで出逢った誰よりも愛しく大事に思っていたのは雄介しかいない。 こんな未練がましい自分を見たらもっと愛想を尽かすだろうから、少なくとも雄介の前ではアイツの幸せを応援するふりをしよう。失うものは何もないのだし、マダム達にちやほやされていれば、暫くは憂さも紛れるだろうし、鍔木も話をきいてくれるだろう。 そして、借金・・・着実に返済し、先のことだって考えられるのだから、完済したらすっぱり足を洗って、どこかでひっそり暮らそう。 (なんだ、俺案外冷静じゃないか。) 少し気分が落ち着いたので、店に出る仕度をするとケンジの働くラーメン屋に入った。 「あ、カオルさん。」 いつものように少しおどおどしたケンジが出迎えてくれた。 雄介のことを聞かないのは、きっと事情を知っているのだろうと瀬島は少し胸が痛んだ。 「プロテスト合格したんだってね。おめでとう。デビュー戦は?」 「3週間後ッス。」 「がんばれよ。」 「はいッ。」 20:00 歌舞伎町クラブ「ニュー椿」。 「おい、今日はカオル同伴か?」 「いや、聞いてないけど。そういや来てねぇな。」 支配人の問いかけにみんな首をかしげた。 「雄介、何か聞いているか?」 「いいえ、別に何も。」 その日も、その次の日も、瀬島は店にもアパートにも姿を見せなかった。 3日目、誰もが失踪を確信した。

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