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第18話 堕天使

 瀬島薫が失踪して3日が経ち、鍔木も慌て始めた。警察に捜索願を出そうかとも思ったが、こういう歌舞伎町の裏側では警察が介入すると逆に面倒になることも多い。 店がはねると鍔木は鮫島とカウンタで飲んでいた。カウンタの周りには「カオルは風邪で休み」を真に受けてマダム達が送ってよこしたお見舞いの花束が積もっていた。 「ジュン、どう思う?」 「どうって、支配人の方がカオルと付き合い長いんだろ?アイツが行きそうなところ知らねぇのかよ?」 「それよりも、雄介に聞くべきだろう。・・・話してくれればのことだがな。」 「雄介、休憩もとらねえし何も話そうとしねぇぞ。」 「明日、店が開く前に話すよ。場合によっては、ジュンの助けが要るかもしれないが、頼む。」 「仕方ねぇな。ま、手を汚すのは俺じゃないから、いいんだ。いちおう新宿署のマルボウにはナシつけとくぞ。」 新宿の裏のルールはいろいろあり、その筋と警察と、相反する組織が何処かで連携している。それは、「リトルアジア」と化した歌舞伎町がこれまでのルールだけで仕切れなくなったことによるが、お互いが守り、守られという奇妙な緊張の中で夜の世界は支配されていた。 鮫島はスマートフォンを取り出した。 「ああ、杉田さんか?鮫島だ・・・潤一の方だよ。ああ・・・うちのホストが一人消えたんだけど、何か掴んだら流してくれよ。」 「あの人も、新宿(ここ)長いよな。」 新宿署のマル暴担当の刑事・杉田守道は叩き上げ独特の熱気に溢れた刑事だった。ここから動かないのは、動かないのではなく動けないのだろう。ダムに打ちこんだ楔のごとく、彼が抜けるととんでもないところから綻びるのだろう。あまりにも、裏を知りすぎているから。 「果たして、雄介は話すかな。」 スマートフォンの画面を見つめ鮫島が呟いた。数年前に「歌舞伎町のコブラ」が「シブヤのラット」を半殺しにした時に担当したのが杉田だった。佳耶の件が既に捜査済みだったから何度となく「恋人を殺されて逆上したんだろ?」と聞いても雄介は「ただムカついたから。」としか答えず、杉田をてこずらせたと聞いていた。 「話してくれれば、アイツも、俺たちも救われるのにな。」 翌日は雨だった。 鍔木と鮫島が店に入ろうと裏口から入ると、新人ホストの氷川マコトが「支配人、雄介さんが!」と駆け寄って来た。 「どうした?」 ロッカー室の前にホストたちがおろおろと立ちつくしていた。中から物音と怒号が聞こえた。 「支配人、雄介がラーメン屋の兄ちゃんフクロにしてンだよ、ヤベーよ。」 同じく見習いホストの葦原リョウが詰め寄って来た。 「アイツ、ボクサーだろ?それよりも雄介が強いのかよ。なんなんだよ、一体。」 雄介の過去を知らない新顔たちは驚き、おろおろしていた。鍔木はすうっ、と深呼吸をすると「雄介、止めとけ!」と怒鳴り、ドアに体当たりした。 「貸せ。」 鮫島も体当たりをするが、ドアはびくともしない。中ではケンジの半泣きの声と、雄介の凄んだ声が聞こえてくる。 それでも体格の良い男たちが何度か挑戦すると、ドアがやっと開いた。小さな部屋の中で、雄介が馬乗りになって、ケンジの顔が紫色になるまで素手で殴っていた。 「止せ、雄介!ケンジが死ぬぞ!」 「赦して・・・雄介さん・・・。」 鍔木がとびかかって雄介を背後から羽交い絞めにすると、身体を起こしたケンジは泣きながら蹲った。 「何したんだ、一体。」 「コイツ、ラットにカオルさんを売りやがった。パンピー巻きこんでンじゃねぇよ、タコがぁ。」 まだ足りないのか足で蹴りをいれようとしたが、鮫島のタックルに阻止された。 「だって・・・俺の拳を潰すって・・・俺、これがダメになったら、どこにも行き場がないんだよぅ・・・。まさか、カオルさんを拉致るなんて、思わなかったんだよぉ・・・。」 「おいケンジ、カオルは拉致されたのか?」 雄介との約束にすれ違って、店に出る前にケンジのラーメン屋で食事をして店を出たところでラットの舎弟に合図したというのだった。 「俺、カオルさんの後つけて、雄介さんと待ち合わせ押さえるのかと思ったんだ・・・まさか・・・うわああああっ!」 悔やんでも悔やみきれず、拳を何度となく床に打ちつけて号泣するケンジを、雄介が制止した。 「ケンジ。」 「ひっ。」 「手ェ、大事にしろよ。テメエは、チャンピオンになるんだろ?いや、ぜってーなれよ。いいか?」 「雄介さん・・・。」 「それが俺と、カオルさんへの詫びの条件だぞ。ならなかったら、俺がテメエ潰して生コン流して東京湾に沈めてやるから、そう思えよ。」 いつもニコニコと微笑む雄介の凄味のある様子に、過去を知る鍔木や鮫島までもが戦慄を覚えた。 「支配人、ワリーけど、俺ちょっと店休むから。」 「まさか雄介お前。」 「カオルさんを、取り戻してくる・・・他人様を、巻きこめねぇよ。これは俺がケリつける。・・・ひょっとしたら、バーテン雇い直した方がいいかもしれねぇ。」 そう言うと雄介は革ジャンを羽織って見んなの間を割りこむようにして出ていった。 後には、ケンジのすすり泣く声だけが残った。 「おい、何だよ“他人様“って・・・。」 立ちすくむ他のホストたちをフロアの準備に追いやって、ケンジの怪我の手当てをしながら鍔木が呟いた。 「ガキだなぁ、ムリがツラに出てンだよ・・・犠牲はテメエだけでいいなんて思っているんだろうが、カオルがそれで納得するはずないだろうな。」 「何か手を打たないと、取り返しがつかなくなる・・・ジュン。」 「わかった。手まわしておくよ。・・・おいケンジ、お前ラットの根城知っているのか?」 「昔と同じだったら、きっとクラブだ。“Φ”っていうんだ、宇田川町の。」 「わかった。お前は店で待ってろ、いいか。プロのファイターだからな。あとは俺たちに任せろ。」 ケンジを帰すと、鮫島は立ち上がった。 「ワリィが俺ちょっと今日店出らんねぇかも。ジョージのところに顔出してくるよ。」 「頼んだぞ、ジュン。」 (安心しろ)とでも言いたげに口にしていたガラムを鍔木に渡すと裏扉から出て行った。そのまま一服すると、鮫島のキスと同じ味のするガラムのほのかな甘味が口腔にひろがり、鍔木は少し気が安らいだ。 瀬島薫は置かれている状況に比して努めて平静を保とうとしていた。 ラーメン屋を出て、角を曲がったところでキャッチとおぼしき青年に声をかけられた。「何か?」と振り返ると、突如押さえ込まれて、ワゴン車に乗せられて・・・。 目隠しをされていたから地理感はないが、時間的に考えても港区や渋谷、或いは池袋界隈だろう。 どこかのクラブの地下と思しき場所に連れ込まれると、目隠しを外された。 「引き抜きにしては荒っぽいな。俺をどうする気だ?」 リーダーと思しき青年は、年のころで言えば雄介ぐらいだろうか。金色に染めた長髪の大柄な男で、下唇にピアスをしていた。痛くないのだろうか、歯磨きをしてつかえたりしないのだろうか、などと余計な思考ばかりが頭を巡っていた。 「さぁて、どうしようか?コブラの野郎、来ないねぇ?」 「それにしても、アイツがまさかホストとデキちまうとは思わなかったぜ。」 自分を雄介をおびきだすための道具にしているからさほど手荒な真似はされていないが、手錠で両手を拘束され、何をしでかすかわからない連中に囲まれて、精神的疲労がかなり濃くなってきている。 「アンタ、よく見ると綺麗な顔してんな。なぁ・・・どっちなの?アンタが突っ込まれてるわけ?」 「それとも雄介にハメてるの?」 自分を囲むチーマー達の下卑た笑いが起こり、二人のもっともプライベートな部分について歪曲した形で話題にされて、瀬島は気の利いた皮肉の一発でも言って黙らせたい衝動に駆られたが、暗くじめじめしておまけにドラッグやシンナーの臭いの充満する地下室で思考は鈍り、顔をそむけて聴かないフリをするのが精一杯だった。 「照れるなよ、アンタ、ホストだったら上手いんだろ?」 「雄介だけじゃモノ足んねぇだろう?」 「俺たちが相手してやろうか?」 忙しなくカチャカチャと手の中で遊んでいたバタフライナイフの刃先で瀬島の顎をクイと上げさせると、不可解な舌なめずりをした。 (殺られる) 瞬間瀬島はそう思ったが、カチャカチャとベルトを外す音がすると、頭を押さえ込むようにして椅子から床に転がされた。 「しゃぶれよ。」 「ラット」の掌に握られたものは刺激で徐々に形を成していた。瀬島はただ嫌悪を覚えた。 応じようと、応じなからろうと、自分のプライドがズタボロになるようなことを強いて、楽しもうというのだろう。 ヘタに抵抗すれば、あのナイフが自分の身体を鞘としてしまうことだろう。 店でも、心配しているに違いない。雄介は、どうしているのだろう。心配してくれているのか。姿を消した自分をこれ幸いと思っているのだろうか。それとも・・・。 「アンタが咥えてるところ、動画撮って雄介に送りつけてやったら、どんな顔するかなぁ。」 「早くしろよ。ホストのくせに相手選んでんじゃねえよ。」 押さえつけられていた頭を上げるとニヤリと笑い、瀬島は「ラット」の露出した下半身に唾を吐きかけた。

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