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第20話 芽吹き

 瀬島は毎日自分の病室から雄介のもとに通うと、雄介の手を握り、話し掛けた。外の景色がどのように変わりつつあるか、プロ野球はどこのチームが優勝したとか、他愛もない話をしては、そっと手を握って、時には優しく頬に触れて戻っていった。 退院して、雄介もICUから出て病室に移されるようになると、店に出るまでの時間を雄介と過ごしていた。 店でのこと、ケンジが順調に勝ち進んでランキングが上がっていること、鍔木や鮫島、その他のホストたちのことなど、優しさに溢れる声で、枕の上に広がる、少し伸び始めた髪を梳きながら、閉じたままのまぶたにそっと触れたり、時には唇をなぞるようにして、話し掛けた。 見守る目は何処までも優しく、愛しさと思いやりに溢れ・・・午後三時に瀬島が病院の廊下を歩く姿を見るのが看護婦達の日課になっていた。昏睡状態の青年を見舞う様子に、またある者は瀬島が眠る雄介にそっと口づけるところを見たとかで、二人はどういう関係なのだろうという話題がナースステーションで囁かれた。 自分は孤独だと思っていた。 雄介と巡りあって、二人で肩寄せ合って生きていこうと思った。 だがそれだけではない、自分たちはもっと多くの人に支えられていると思うようになった。 鍔木や鮫島が、面倒な裏の処理を引き受けてくれた。 気を失った自分は詳しいことは解らないが、病院の待合室で何気に手に取った週刊誌に「チーマーがクラブ地下室で死のドラッグパーティー」という見出しがあって、どうやらあの後地下室で火が出て全員焼死したということが載っていた。鮫島の双子の弟である「ジョージ」が組のものを遣って「ラット」たちのアジトに踏み込ませたことはうっすらと解ったが、見舞いに来たジョージは、「オトナの仕事にちょっかい出すとああいう目に遭うんだよ。」とだけ笑って話した。シブヤ系がヤクザの領域に次第に手を染めてきているので、他への見せしめもあってあのような始末に及んだらしいことは想像できたが、鍔木や鮫島は「カオルはこれ以上関わらなくていいよ」というので、見舞いで世間話をする以外はほどよく距離を置いていた。 雄介は意識が戻らないまま植物状態になると木野に宣告されていたし、瀬島もそれを覚悟していた。 既に入院から3ヶ月を過ぎ、季節は秋になっていた。木枯らしに冷えたまま病室に飛びこみ、「ほら、外はこんなに寒くなったよ。」と手を握ると、握り返されるような感覚があった。 (え・・・?) 急に冷たい手に触れたから、神経反射かと思ったが、もう一度握るともう一度握り返された。 「雄介・・・?」 嘘ではない。雄介の握る力は、次第に強くなると指がもぞもぞ、と動き、また手を握り、手首から腕が動いた。 空いている手で額をそっと撫でるとゆっくりと、コマ送りの画像のようにして雄介が目を開けた。 「ゆう・・・。」 呼びかけるとしばらくは焦点が合わないのかぼんやりと天井を見ていたが、じっと様子を見ると唇が微かに動いた。 「かお・・・る・・・さん。」 「雄介、俺はここにいるよ。俺が解るか?」 覗きこむと目を細めて、弱々しく笑った。 「俺、生きているの?」 久々に出す声はかすれていたが、思ったほど弱々しくはなかった。 「俺も、オマエもこうして生きているぞ、このお寝坊くん。」 額をつけるようにして応えると、優しく唇をついばんだ。 潤いのない唇は、それでもいつもと変わらず柔らかかった。 「うん・・・また心配かけちゃったね・・・ごめんね・・・。」 「帰ろう・・・俺達の家へ。」 木野を呼んで、昏睡から醒めた雄介を診せると奇跡の回復だと驚いていた。 「瀬島さん、あなたの献身的な看護がここまで回復させたとしか説明できません。」 「いえ、僕は何も別に。雄介の、生きる意思ですよ。」 本当はそれだけではないとも思う。 時折、雄介が佳耶のために参詣していた鬼子母神に瀬島は一人で詣でていた。神頼み、ということでもないが佳耶はきっと雄介を護ってくれる、そんな気がしたのだった。 (佳耶さん、雄介をもう一度僕に託してくれてありがとう・・・今度こそは、彼を護りぬいて幸せにしてみせます。) 佳耶の微笑みのような小春日よりの柔らかな光の差す窓の外を見上げるとそう誓った。 退院しても長いことベッドにいた雄介が完全に回復した頃には外は冬になっていた。 「寒さが傷に響いたりしないか?」 「大丈夫。まだ若いって、ほら、俺コーコーセーだし。」 「・・・留年しちゃったな。」 「うん。もう一回一年生だね。」 「何度でも、やり直せるさ。学校だって・・・俺達だって、人生だって。そうだろ?」 「うん。二人なら、きっと大丈夫だよね。」 日常生活の中で少しずつリハビリをして、その間も瀬島は懸命に雄介をいたわったので順調に回復していた。 どうやら痛みもなくなったからと雄介が誘った時、瀬島は恐る恐る雄介を抱いた。 あまり強く抱きしめては痛みがあるのではないか、折れてしまうのではないかと心配しながらも強く求めていた温もりを手放しがたく、もう誰からも邪魔をされないという安心感が二人を深く密に繋げていた。 「少し痩せたな。」 「ゴツゴツする?やっぱり。」 「いや・・・綺麗だよ、雄介。」 療養生活で肉の落ちた身体は一層色白く雄介を少年のように見せていたが、少しひんやりする体に舌を這わせ、指で上り詰めさせると、雄介の身体は妖艶に色づいた。 「ああっ・・・カオルさん・・・。」 「痛むのか?」 「ううん、そうじゃなくて・・・。」 「どうした?」 「・・・すごく、イイの・・・。」 熱っぽく潤んだ瞳で、頬を上気させて躊躇う雄介の表情を眺め、瀬島は本当に嬉しいという表情をした。 「雄介、愛しているよ・・・。」 「俺も・・・ずっと、ずっと。」 手を繋いで、キスをして、それだけのささやかなスキンシップで十分充たされてはいたけれど、懐かしい温かさと柔らかさに瀬島は素直に酔った。 年が開けると、店にも出ることができるようになった。 みんなが温かく出迎えてくれたことが嬉しかったし、代わりのバーテンを雇わないで待っていてくれたことはなによりも雄介を感動させた。 「このカウンタの中は、お前の居場所だからな。俺が守っておいたぞ。」 「ふふっ、じゃあみんな支配人のワイルドな味のカクテル飲んだんですね。」 「言ったな、コイツ。」 あれから3つの冬を越し、4度目の春がようやく訪れ始めていた。 「あっ、カオルさん。ネクタイはこっちの方が格好イイよ。」 「だって、派手過ぎないか?それに、今日の主役は雄介だろう?」 「目立ってよ~。俺、自慢したいから。」 卒業式の朝、今日を限りに着ることもないだろう制服を着ると、洗面所の鏡の前で「ちょっとヒゲ残っているなぁ。」と呟いてシェーバーを顎に当てて鼻歌を歌いながら剃っていた。 「本当に、このネクタイか?」 ベッドの上のスーツの上に置いたネクタイはマダムからプレゼントされたブランドもののかなりサイケなデザインのものであった。 「ええ、俺みんなにカオルさんを紹介したいんです。だからインパクト欲しいでしょ?」 よくわからない理屈だったけれど、雄介の嬉しそうな表情を見ると瀬島も特に抵抗する理由はなかった。 一人一人名前を読み上げられて、壇上に上がって証書をもらう様子を保護者席から眺めて、これまでの5年余りの年月をあれこれ回想していた。 雄介というパートナーがいなかったら、自分はそれまでの人生の延長線で流されるように生きていて、ひょっとしたらどこかに逃げていたかもしれない。勿論、雄介にもいろいろあって、二人の間だってケンカをしたり仕事柄自由にデートを楽しむというわけでもなかったけれど、自分も少しは雄介の夢を果たすことに協力できたのだろう。 (そうか、そういうことか。) 自分にとっても卒業式なのだ。これまでの後ろ向きだった自分への卒業、とでも言おうか。 なるほど、そう考えると雄介が友達に紹介したいと言い出した理由もわかるような気がした。 「カオルさ~ん!」 式が終わって、クラスメートと輪になっていた雄介は瀬島の姿を認めると手を振った。 「ねぇ、ちゃんとキャッチしてよ!」 驚いた表情で雄介を見るクラスメート達のことは意に介さず、瀬島に向かって何かを投げて寄越した。 キャッチして、掌を見るとにっこり微笑んだ。制服の第二ボタン。 瀬島は雄介にボタンをかざして見せると呼びかけた。 「大事にするよ。」 ゆっくりと雄介のいる輪に向かって歩いていくと、雄介がクラスメートに話しているのが聞こえた。 「カオルさんだよ。俺の世界一大事な、たった一人の家族だよ。」

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