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第6話(陽太の章)

 物心がついたときには、陽太の生活の中に陵はいた。  二人は朝から晩まで一日のほとんどを共にすごし、互いの存在は空気と同じで当たり前にそこにあるものだった。自分の分身だった。  陵は透き通るような象牙色の肌に、見つめられると吸い込まれるようなアーモンド形の茶色の瞳をもち、人形のように整った容姿をしていた。それゆえ、人の目を引き、いじめっ子をはじめ、時には変質者に狙われることもあった。  一方、陽太は体が大きく運動神経も発達していて、腕っ節の強さと明るく物怖じしない性格があいまって、自然と同じ年頃の子供たちのリーダー的存在だった。様々な魔の手から陵を守るのはいつも陽太の役割だった。 「お前、おんなだろ? ちゃんとチンコついているか、見せてみろっ」  小学1年の陵が5年の男子数人に囲まれていた。こいつらは年下にしか因縁をつけられない根性の腐った奴らだ。  陽太は雄叫びをあげながら間に割って入ると、リーダー格の少年の鼻に向かって頭突きを喰らわした。この攻撃は、最少の動作で最大の効果を発揮する。 「1年だからって、なめるなよっ! 陵にちょっかいだしたら、俺が許さない!」  攻撃を喰らった相手は鼻を押さえて泣き始めた。狙い通り、リーダー格に先制攻撃を与えることで、全体の戦闘意欲をそぐことに成功する。陽太は陵の手を握ると、その場を離れた。グズグズしていると余計な奴らがやってくる。   「陽太が来てくれてよかった。怖かった」  安心したのか陵が泣きべそをかきはじめた。今まで必死にこらえていたのだろう。小さく震えながら自分を見つめる潤んだ瞳に何故かドキドキが止まらない。こんなことは初めてだ。  ――どうしちゃったんだ俺? 胸が苦しい。  陵をギュッと抱きしめたいと思った。でも、誰かに見られたら、また陵がからかわれてしまう……陽太は必死にこらえた。 「陵さ、何かあったらすぐに、俺を呼べよ。やっつけてやる!」 「ありがとう……俺、陽太みたいに強くなりたい」 「そのままでいいよ。陵のことは俺が守るんだからっ!」  つないでいる手に力がこもる。 「俺らは二人で一人だから、陵がやられるのは俺がやられるってことなんだ。だから、俺が陵を守るのは当たり前なんだよ!」  その頃の二人はいつも一緒だった。精通を迎えたのも一緒だった。  発端は、小学5年の保健体育の授業だった。初めて受けた性教育。  いつものように陵の部屋で宿題をやっていると、突然、声を潜めて言った。 「陽太って、オナニーしたことある?」 「ええっ? 陵は?」  陽太が驚いて顔を見上げると、陵はノートを凝視したままだった。不自然なほど。 「……ない」 「俺も……やり方、よくわからないし」  不意に陵が顔をあげて、視線が交わる。 「一緒に練習しない?」  どうして? なんで?  頭の中が疑問だらけでパニックになる。  あまりもの動悸に、口から心臓が出そうだ。  その一方で、そんな風に動揺している自分が子供っぽく思えて、努めて、さも何でもないことのように答える。 「いいよ。一緒にしよう」  二人は、ズボンと下着を脱いでベッドの上で、向かい合う形で胡坐をかく。  陵のは、すでに形が違っていた。もう、大きくなっていた。  陵、すげぇー、そう思った途端、陽太の下半身に熱がこもる。  恐る恐る、自分のものを握り、前後に扱いてみる。段々、変化するのがわかる。しぼんでいた風船に空気が注ぎ込まれるかのように、硬く、大きくなってくる。  陵も同じように自分のものを扱き始めた。互いに見つめ合いながら無言で扱く。体の中のどこかわからない所からウズウズとした熱が生み出され、それはうねりながら全身に広がっていく。  陵の表情が変わった。眉間に皺が寄り、口が半開きになり、何かを堪えるような苦しそうな顔になる。  初めて見るその表情に、心臓がズキンと痛み、唐突に陽太ものが弾けた。    しまった、漏らした……と思ったそれが、初めて体験した精通というものだった。  慌てて受け止めた掌に白濁したものが溜まる。  荒い息で茫然としていると、ゴクリと喉のなる音が聞こえてきた。見上げると、陵が目を見開いて、じっとそれを見つめていた。  ――え?? 陵?  それは、恐怖だった。陵が急に知らない人のように思えて怖くなった。こんなことは初めてだった。陽太は慌てて俯いた。  陽太は陵の視線を感じながらも顔をあげることが出来ずに、無言でティッシュで白濁液を拭った。間もなく、陵も達したようで同じように拭い始めた。  陽太は、陵に感じた恐怖を誤魔化すかのように、宿題は途中のまま帰宅した。  陵を守るのは陽太だ。こんなのは違う。陵のことが怖いはずがない。  それが最初で最後。それ以来、陵と一緒にオナニーすることはなかった。  そういえば、あの頃から陵の様子が変わってきた。ぼーっとすることが増えた。思い悩む様子が心配で何度も尋ねたが、結局、はぐらかされて教えてもらえなかった。  変化が決定的になったのは、中2の夏、昼休みの中庭。  陵は太陽の日差しを追いかけるヒマワリにとまるミツバチを食い入るように見つめていた。 「陵、ハチっ! 刺される、危ないっ!」  慌てる陽太とは対照的に、陵は落ち着いていた。 「大丈夫、危なくないよ。ミツバチは、巣を守るためにだけ刺す。……刺したミツバチは、死んじゃうから」  ちっとも知らなかった。ハチは何でもかんでも敵とみなして攻撃してくるものだと思っていた。 「へぇ、刺すのって生涯で一回だけなんだ。大事な家族を守るときにだけ刺すって感じ?」  陵は、陽太の言葉に目を伏せて何か思いを巡らしていた様子だったが、やがて口を開いた。 「そうだね、自分のためじゃなくて、自分の命よりも大事で大切なもののためにだけ毒針を使うんだ……俺たち、いつまで一緒にいられるのかな……来年も陽太と一緒にいたいな」  おかしなことをいう陵を訝しく思いながら、強い口調で断言する。 「当然だろ? 今までも一緒だし、これからもずっと一緒にいるに決まってるだろ?」 「うん、そうだといいね」  あの日から陵は変わった。自分の殻に閉じこもるように、徐々に人を遠ざけ、陽太にすらよそよそしくなった。人前では、陽太にも話しかけなくなった。  離れていく陵を引き止めたくて、陽太はより一層、陵の世話を焼くようになった。  ――陵、いったい、お前に何があったんだ?

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