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-陵の章- その1
陵には、この世に生を受けた時から明瞭な記憶がある。
暗く狭い所から、明るく広い世界に生れ出た瞬間。
誰かに抱っこされる感触。
たくさんの人の気配。
生命力みなぎる自分の泣き声。
その子の存在を初めて感じたのは、病院の新生児室だった。
その時から、陵の心の中はその子のことで一杯になった。
何故だかわからないけど、自分の世界の中心はその子だと感じた。
隣にいるだけで心の中がほっこりと暖かくなり、少しでも離れると不安になり大声で泣き叫んだ。
「あらまぁ、甘えん坊さんね」
抗議の泣き声は、母親を求めて泣いていると勘違いされた。
やがて、その子はベッドからいなくなり、自分も違うところに連れて行かれた。
もう二度と会えないと思うだけでとんでもなく悲しかった。
絶望が諦めにかわったころ、再び、陵に希望の光が戻った。
その子が隣の家に引っ越してきたのだ。
「ぼく、よーたっていうの。いっしょにあそぼ!」
それからは、陽太というその子と、時間の許す限りずっと一緒に過ごした。
一緒にいるだけで、満たされて幸せだった。
やがて、陽太と陵の二人だけだった閉ざされた世界は、成長とともに広がりをみせ、変化した。
陽太は、運動が得意で兄貴肌だったこともあり、周りの子供たちに慕われ、陵以外と過ごす時間が増えていった。
相変わらず、陵の世界は陽太だけだったのに対し、陽太の世界は陵以外にも多くの人間が住み始めた。
陵は、内心、穏やかではいられなくなった。
陽太の世界が広がるにつれて、住人もどんどん増えていく。それがもどかしくて仕方がなかった。
陵は、よくわからない暗い感情に翻弄されるようになった。
「これ、陽太君に渡して」
バレンタインになると、いくつもチョコを渡された。陽太への橋渡しを頼まれたのだ。
陽太にチョコを渡して自分の気持ちを伝えることが出来る女子が羨ましくて妬ましかった。
陵は、預かったチョコを陽太に渡さずに全て捨てた。女子には、陽太が受け取れないってゴミ箱に捨てたと伝えた。女心を踏みにじる酷いヤツという噂が立ち、その翌年からはチョコは激減した。
陽太に対する訳のわからない気持ちを抱えたまま、二人は高学年になった。
その日も、陵の部屋でいつものように宿題をしていると、「ちょっと休憩」といって寝転んでいた陽太がいつの間にか寝息をたてて眠っていた。思わず寝顔に見入ってしまう。
長いまつげ、すこし開いた柔らかそうな唇。
顔を近づけると、すうすうと陽太の寝息が顔にかかる。
――この唇はどんな味がするんだろう。
恐る恐る、人差し指で触れてみる。
暖かくて柔らかい弾力のある感触に胸が高まる。
全く、起きる気配はない。
顔がカーッと熱くなり、心臓の鼓動が頭にガンガンと響く。
息を殺して再び顔を近づけて、そっと、舌で唇を触ってみる。
唇の表面の凹凸や形状、柔らかさを舌先に感じて興奮する。
我慢できなくなり、陵は階下のトイレに走った。
トイレから戻ると、陽太はもう目覚めていた。
自分の唾液でテロテロと光っている陽太の唇が艶めかしい。
何も知らないでいつも通りの陽太に陵はとてつもない罪悪感を感じた。
いつか、ちゃんと起きている陽太と触れ合いたい。しかし、陽太と自分は男同士。
自分の気持ちは、この先、報われることはない。
時限爆弾のように埋め込まれた魔王の種が芽吹いたのは、それからすぐ後の事だった。
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