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上手くいかなかったことは話したくない

「姉さんめ、ようやく帰ったか」 「きっちり晩御飯食べていったな」 知恵美は鍋を食べて一息吐いた後、家を出ていった。知恵美は出て行く間際、賢太郎を宜しくね、と健に声をかけた。今度は手土産を持ってくる、とも。賢太郎はもう来なくて良いとぼやいたが、知恵美にばっちり聞かれていたようでどつかれていた。今度会うことがあるなら、知恵美からも佳い話が聞きたいものだ。 後片付けも終わってテレビの前で一段落していると、賢太郎が体を近づけてきた。頬を寄せ、口付けを受ける。湿った吐息が唇にかかった。 「……今日は、とっとと帰ってお前と一緒に居たかったのに」 賢太郎が息混じりに吐き出した言葉が心地良かった。健の自転車の傍に賢太郎が居たのも偶然ではなかったのだろう。知恵美に当たりが強かったのも、姉弟で打ち解けていたからというだけでなく別の理由もあったのだと察せられて、健は気恥ずかしさを感じた。 健は賢太郎の頬に手を添えて、唇を合わせた。そのまま労いの気持ちを込めて優しく頬を撫でていると、賢太郎の舌が口内に入ってきて、歯列をなぞられる。息が唇の隙間から漏れていった。 服の裾から手が入り込んで、素肌に触れる。指先のひやりとした感触に小さな悲鳴を上げると、賢太郎が遠慮がちに目を合わせてぼそりと呟いた。 「……良い?」 その言葉の示す意味は分かっている。その先を想像するだけで息が苦しくなって、少しの期待と大きな不安が頭を支配する。 「……風呂入ってからじゃ、だめ?」 賢太郎に縋りついて懇願する。この先は未知で恐ろしい。だから、少しでも先送りしたかった。 「分かった。じゃあ、後でな」 健の身体の震えを知ってか知らずか、賢太郎は頭を撫でてくれた。腹の底にあった冷たい鉛玉のような不安が、少しだけ軽くなった。 しかし、風呂場に入るころには、その重さが健の動きを再び鈍らせていた。

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