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第34話 名前なんて <Side 柊
尻が痛い。
腰が重い。
股関節なんて、外されたのではないかというくらいに軋んでいる。
噛みつかれた背中も、痛ぇ。
キスは好きにしろといったが、キスマークをつけていいは、言ってねぇ。
噛み痕も然りだ。
ぐでっと横たわるだけの俺の姿を、男は飽きもせずに、描き続ける。
鉛筆の走る音だけが響く静かな室内に、眠気が降ってくる。
「ダメだ、眠ぃ……。適当に帰っ…」
「あ、待って」
勝手に帰れと伝えようとした俺の言葉に、男が声を被せた。
半分閉じかけている瞼を押し上げ、男を見やる。
べらりと捲った新たな頁に何かを書き込んだ男は、それを俺に見せてくる。
スケッチブックに書かれた『於久 真実』の文字。
何を言いたいのかわからずに、俺は眉根を寄せた。
「オレ、“真実”って書いてマコトって読むんだよね。オク マコト」
トントンっと“真実”の文字を指先で叩いた男は、スケッチブックを戻して、何かを書き足しながら、言葉を繋ぐ。
「淋しくなったら呼んでよ。気持ちよかったでしょ? あんな場所で会った知らないヤツとするより、オレとシよ?」
俺へと瞳を向け、首を傾げながら手許のスケッチブックの1枚を毟り取る。
手渡されたそれには、携帯電話の番号が追記されていた。
なんの感情もなく、紙切れを見やっていた俺。
腹這いになっている俺の視界の片隅に、真っ白なスケッチブックが、すっと差し出された。
「あんたも名前、教えてよ」
少しの逡巡が、俺の動作を鈍らせる。
こいつは、本当の名前を伝えてきたのに、自分は教えないのもフェアじゃない気がした。
だからといって名前を教える義理もないような気もしている。
眠気に回転の遅くなっている頭は、考えるよりも先に、鉛筆を持っていた。
スケッチブックに『柊』と書き込む。
視覚で認識した自分の書いた文字に、慌て口を開いた。
「………ヒイラギ」
言い慣れない単語に、声が固くなる。
「本当? …あんたの名前?」
疑いの目を向けてくる男…、マコトの視線を避けるように、ベッドに顔を埋めた。
「……名前なんて、どうでもいいだろ」
否定も肯定もしない。
漢字は本物だ…、読みが違うだけ。
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