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聖-12

 八月一日。今日から熱海だ!  榊会長が家まで迎えに来てくれるというので、忘れ物が無いか荷物の点検をしていた。歯ブラシやタオルなどは一切いらないと言うので、着替えとパジャマと水着、あとは会長が教えてくれるそうだから宿題と、携帯電話に財布。  家族には“友達の別荘”だって話したけど、榊会長を友達なんて言ったらあつかましいかな。  チャイムが鳴ったので外に出た。まぶしい…。太陽の光を浴びた会長がまぶしい。いつもと違う、私服姿のサマーニットにコットンパンツ。私服姿もおしゃれで大人っぽい…。パーカーにバミューダパンツという俺とは大違いだ。 「お、おはようございます」 「おはようございます、遠野くん」  玄関を出ようとしたら、フードが後ろから引っ張られた。 「ぐえーっ! ぐるじい!」  振り向くと、お姉ちゃんだった。まるで幽霊か何かに遭遇したみたいに、呆然と立ちつくしている。 「新太…。お友達って…生徒会長なの…?」 「う、うん…。正確には友達っていうより、お世話になってる先輩、かな」  お姉ちゃんはいきなりズイッと前に出た。 「うちの弟がいつもお世話になってます。姉の沙千(さち)と申します」  いつもよりワントーン高い声でお辞儀をするお姉ちゃんは、バイトに行く前だからキチンとした服装だ。いつもみたいによれよれのTシャツだったら、恥かいてたぞ。 「こちらこそ、遠野くんにはいつもおいしいお菓子を毎日生徒会に作っていただいて、感謝しております」  今度はお母さんまで出てきた。 「新太がいつもお世話になって…。ご面倒おかけしますが、どうぞよろしくお願いいたします」  お母さんが会長と話をしている間に、お姉ちゃんに腕を引っ張られた。 「ちょっと新太、毎日生徒会にお菓子作ってるってことは、毎日イブくんに会ってるの?」 「う、うん…、モデルの仕事が無いときには、生徒会室にいるよ」 「どんな話してんの? 好きな食べ物何? 彼女いる? そばに行ったらどんな匂いする?」  しつこいなあ、マスコミかよっ。会長をお待たせしちゃ悪いからと、お姉ちゃんを振り切って家を出た。  家の前に止まっていたのは長~いリムジンだった。暑いのにキチンと帽子と手袋まで身につけた運転手さんが、ドアを開けて待ってくれている。 「あ、どうもすみません」  運転手さんにお礼を言って、フカフカな革張りシートに座ると、 「ワンワンワン!」  と、膝にモフモフした重いものが乗っかった。 「スカーレット! お座り!」  後からリムジンに乗りこんだ会長が一声叫ぶと、モフモフは下に下りてお座りをした。二本足で立てば、俺より大きいんじゃないかってほどの大型犬だ。毛がとても長くてツヤツヤしてる。ほとんど白いんだけど、毛先にかけて茶色っぽいグラデーションがきれいだ。 「アフガンハウンドのスカーレット、六歳です。甘えん坊のお転婆で――うちにはあと三匹、同じくアフガンハウンドがいるんですが、この子だけ連れて来ました。君に会わせたくて」  会長の話ではオスのバトラーと、その二匹の子供で二歳のトリスタンとイゾルデ(全員お母さんが大好きな歌劇団の演目から命名したらしい)がいるんだそうだ。その三匹は、ご両親や弟さん妹さんといっしょに軽井沢の別荘らしい。  スカーレットはお座りしたまま、舌を出して“ハッハッ”と息をしながら俺を見ている。会長がキャビネットから箱を出した。その音に反応して、スカーレットは会長の方を向く。息がさらに荒くなった。 「立て!」  ワン! と吠えて、スカーレットは会長の膝に飛びついた。箱はおやつのビスケットらしい。 「待て!」  その一言で、スカーレットはまたお座りをする。 「クゥーン」  ちょっぴり悲しそうな声を出すスカーレットに、会長は“まだ”と厳しく言う。しばらくしてから“よし!”と手のひらを広げて見せた。中には、骨の形をしたビスケット。スカーレットへのご褒美だ。 「遠野くんも、あげてみてください」  と、会長からビスケットを一つ渡された。 「うわっ」  いきなりスカーレットが飛びついてきて、頬を舐めまわす。 「あははっ、可愛いなあ」  頭を撫でてやると、鼻先をすりつけて甘えてくる。そのままビスケットをあげようとしたけど―― 「待て!」  会長の一言でスカーレットはお座りした。しかし今度はすぐに、俺の膝に前脚を乗せて“クウーン”と何度も鳴く。可哀想だからビスケットをあげたいんだけど。 「おねだりしてるんです。遠野くんは他人だから、甘えればビスケットをすぐにもらえると思ってるんですよ」 “まだあげてはいけませんよ”と念を押されているから、俺はビスケットを握りしめたままだ。でも膝の上に艶やかな前脚をちょこんと乗せられたら、誘惑に負けてあげてしまいそうになる。 「しばらく“待て”ができれば、ご褒美にあげてください」  会長のように“待て!”と声をかけると、スカーレットはお座りをした。おねだりもせず、しばらくじっと座って待っている。もう、いいだろう。 「よし、いい子だ」  手のひらを広げると、スカーレットはビスケットにパクついた。俺の手を舐めた後、また飛びつかれた。フサフサの毛がくすぐったい。 「あははっ、くすぐったいよ」 「遠野くんのこと、好きになったようですね」  楽しい旅の友が増えて嬉しい。できれば会長からも、これだけスキンシップしてくれるほど好かれてみたい――とか思う自分が恥ずかしい…。 「そろそろ見えて来ましたね」  会長が外の景色を見てつぶやく。青い海にヨットや小さな舟がたくさん見える。けど熱海はまだまだだなんじゃ…。

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