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聖-18

 クルージングから帰って、多恵さんにお弁当のお礼を言った。 「喜んでいただけて、なによりです。先ほどお誕生日のケーキが届きましたからね、楽しみにしててくださいね」  多恵さんにどんなケーキか尋ねたけど、後のお楽しみですよと言われて覗き見できなかったので、先にお風呂に入った。どんなケーキなのかあれこれ想像しながら。ホテルのケーキだから、とびきりおいしいんだろうなぁ。  夕食のメニューは、ローストチキンにハーブ入りソーセージ。生ハムメロンに、スモークサーモンのマリネサラダに、マッシュポテトも。広いテーブルの上には、ご馳走がいっぱい並んで花まで飾られている。庭で咲いている花を垣内さんが摘んで、多恵さんが生けたそうだ。グラスにオレンジジュースをそそいでもらい、乾杯した。 「お誕生日おめでとうございます、遠野くん」 「ありがとうございます!」  会長に祝ってもらえるなんて、今年の誕生日は幸せだ。夏休み明けにテストがあるから、あまり幸せ気分にひたれないけど。  チキンは柔らかくて味が染みておいしいし、ソーセージはジューシー。こんなにおいしい物ばかり食べていたら、贅沢な口になってしまいそうだ。学食だってレストランみたいにおいしいし。  食事の後、部屋の証明が消された。多恵さんがケーキを運んで来る。ろうそくの灯りで、ぼんやりとケーキが見える。色とりどりのフルーツが乗っているようだ。なんだか、子供のお誕生会みたいで気恥ずかしい気もするけど、思い切りろうそくの火を“フーッ”と吹き消した。拍手の後、電気がつけられて、ケーキの全貌が現れる。生クリームの上にナパージュでコーティングされたフルーツがキラキラ輝く、宝石みたいなケーキだ。イチゴや大きなブドウ、メロン、パイナップル、いったい何色あるんだろうかっていうほどカラフル。多恵さんがケーキを切り分けてくれた。生クリームの甘さが絶妙で、チョコ味のスポンジケーキは柔らかく、中に挟まれたクリームはチョコレートで、フランボワーズが混ざっている。フルーツを思い切り堪能できるケーキだ。さすがホテルの味、とってもおいしい! 「おいしいですね、このケーキ」 「ええ、ここのホテルのケーキはおいしいですが、私は遠野くんが作るスイーツが大好きですよ」  会長のそんな殺し文句に、めまいがしそうだった。“が作るスイーツ”が入っていなければ、もっと嬉しくて空を飛んでたかもしれない。 「そうだ、多恵さん。明日の夕食後、俺がデザートを作りますから、キッチンを貸していただけますか?」 「まあ、遠野様が? どうぞご自由にお使いください」  ケーキは大きいから、四人で食べてもまだ余る。明日はこれをリメイクして、久しぶりにスイーツを作るぞ!  食事の後、寝室で会長に生物を教えてもらった。 「DNAの構造などは、確かにとっつきにくい分野ですね。塩基成分の四種類は、覚えていますか?」 「グアニン…シトシン…えーと…何だっけ」  会長がノートに構造式を書く。教科書見ないで書けるなんて、会長の頭の中はどうなってるんだ。 「まずはこのアデニンです。ここのH、水素がこのチミンと水素結合しますから――」 「相補正ってやつですね?」 「そうです。基本的なことは覚えていますね」 「その…名前が意味わかんなくて覚えにくいんですけど」 「アデニンというのは、“腺”を意味する言葉からきています。唾液やリンパ液など、体にとって大切な液体を出す所です。アデノイド、という言葉は聞いたことがありますか?」 「あ、お父さんが子供の頃、腫れて手術したことがあったらしくて」  だから俺やお姉ちゃんが小さいときは、同じ病気をしないか心配したそうだ。 「そういった知っている言葉と関連づければ、覚えやすいですよ」  なるほど。会長の説明はわかりやすい。きっとお医者さんになっても、患者さんにわかりやすく丁寧に説明するんだろうな。 「そして、DNAとRNAの違いをわかりやすく言うと――遠野くん、聞いてますか?」 「あ、はい、ごめんなさいっ」  また、会長がアメリカへ行っちゃうことを考えてしまって、泣きそうになった。…せっかく勉強を教えてくれてるのに、話を聞いていなかったなんて…。 「少し早く進みましたか? 図を描いてゆっくり説明しますからね」 「あ…あの」  眼鏡のブリッジを指先で押し上げ“何でしょう?”と聞く会長に、俺は尋ねてみた。 「会長…、やっぱり…アメリカへ行っちゃうんですか…?」  答えを聞くのが怖くて、うつむいてしまった。こうして手で触れそうな位置にいる会長が、来年には海の向こうの遠い国にいるなんて。 「実は…迷っています」  予想外の答えに驚いて顔を上げると、俺が見たことないほどの苦しそうな表情があった。 「先生方も両親も賛成してくださって、留学の準備も進めています。…でも、やはり日本の医大に進もうかと…」  俺としては、日本に残ってくれた方が嬉しいけど、かといって今までみたいに会長に会えるわけじゃない。結局は、会長は勉強が忙しいから…。 「遠野くんに会えなくなると、寂しいですから」 ――忙しさの中で、俺のことなんて忘れて―― …って…。今、何てー?!

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