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大和-04
翌日のお菓子は、前に使った食パンの耳を冷凍していたものがあったから、それをシロップにひたしてバターでカリッと焼いて、抹茶ときなこをかけた『パン耳ラスク』だ。
「パンの耳は、さいの目に切ってフライの衣にも使える。お菓子作りの参考になるかな?」
「はい、揚げるお菓子もありますから、今度挑戦してみます。ありがとうございます、剣先輩」
剣先輩は料理が趣味だそうで、たまにアドバイスをくれる。ジル先輩はフランス人だけど実家が京都だから、フランスのお菓子も京都で有名なお菓子のことも、いろいろ教えてくれる。最初は生徒会って怖い所かなと思ったけど、全然そんなことはない。
「明日のお菓子は何かな、子猫ちゃん」
「明日はコーヒームースです、イブ先輩」
“ジーザス!”とイブ先輩は額に手を当てて残念がる。
「明日は撮影と雑誌の取材なんだ。帰りは午後九時ごろの予定だけど」
モデルをやっているイブ先輩は、仕事があるときは生徒会活動ができない。そういう事情だから、常に外出許可は下りてるそうだ。
「じゃあ、ここの冷蔵庫に入れておきますよ。なるべく早くに食べてくださいね」
「サンキュー、ハニー」
イブ先輩が、俺の肩を抱いて頬にキスをする。
「みんな、遠野くんが来てから嬉しそうですね」
と、榊会長が眼鏡の奥の目を細める。
「ヒジリだって、毎日“そろそろ遠野くんが来る時間ですね”とかって腕時計覗いてソワソワしてるでしょ?」
ジル先輩が眼鏡のブリッジを上げる仕草をして、榊会長のモノマネをする。
「みんな、弟ができたみたいって思ってるんじゃないか?」
ラスクを食べ終えた魁副会長も、穏やかな笑みを浮かべる。
「僕はね、どっちかというと、迷いこんできた子猫ちゃんを可愛がってるみたいな感じかな」
俺の肩をさらに抱き寄せて、ブラウンの瞳がじっと見つめる。
「できれば僕の膝に乗ってくれるほど、懐いてほしいんだけど」
俺は思わずイブ先輩の腕から逃げてしまった。
「からかわないでくださいよ、イブ先輩~っ」
剣先輩が“また悪いクセが始まった”と笑う。剣先輩、意外と笑うことが多いんだな。
そんなふうに毎日が楽しい。いっぺんにたくさんのお兄さんができた感じかな?
そして日曜日。今日は魁副会長にボルダリングを教えてもらう。先生に許可をもらって、シューズとチョーク入れを借りた。
体育館は広い。バスケが一度に何試合もできそうだ。一方の壁が、やたらとカラフルだ。赤、青、黄、緑…と色のついた糖衣チョコを貼りつけたみたいな場所が、ボルダリングの壁だ。
「まずは高く登ることより、低い位置で慣れるのがいいんだ」
魁副会長が赤いホールドに足を置き、緑色のホールドをつかむ。もう片足は少し曲げて、水色のホールドに。
「ホールドをつかんでいるときは、腕を伸ばすんだ。腕の力だけで登ろうとしちゃ駄目だ」
数ヶ所移動して、魁副会長は下りた。俺も同じルートを通る。赤いホールドを踏み緑色のホールドをつかみ、水色のホールドを踏んだ後は、オレンジ色のホールド――いや、その前に黄色のホールドをつかんで…。
「わっ!」
つかみ損ねて体が宙に浮いた。それほど高くなく下はマットだから安心だけど、俺は背中から魁副会長に抱きとめられた。厚い胸板がクッションになり、筋肉質の腕がしっかり抱きしめてくれたから、俺は尻餅をつかずにすんだ。
「大丈夫か!」
頭の上から低く響く声。急に、抱きしめられていることを意識してしまう。ほんの数秒のできごとだけど、その間に心臓は何回鼓動を打ったのだろう。
「だ、大丈夫ですっ、すみません」
支えてくれていた体が離れて、俺の鼓動は正常値に戻った。
「手にばかり意識していたら、足元がおろそかになる。爪先、特に親指に力を入れて」
首にタオルをかけられた。
「汗で手が滑るかもしれない。それを首に巻いて使うといい」
「ありがとうございます。お借りします」
ポロシャツの中にタオルを巻いた。これで首筋の汗も吸い取ってくれる。
それからは低い位置で練習を重ねる。何度かやっているうちに、コツをつかんで慣れてきた。魁副会長が親切丁寧に教えてくれたおかげだ。
「要領がよくなってきたな」
「はい、慣れると楽しいですね」
趣味でボルダリングをやっている人の気持ちが、何となくわかってくる。ただよじ登るだけなのに楽しい。つい、身長よりも高い場所に行きたくなる。
「あまり無理しない方がいいぞ」
手のひらは汗まみれだ。滑り止めのチョークは下にある。手のひらが滑る。魁副会長が注意したのを、ちゃんと聞けばよかったんだ。調子に乗った俺は、副会長の身長ぐらいの高さの所から、手を滑らせて落ちてしまった。
「新太!」
副会長の厚い胸板を一瞬感じたけど、それ以降は意識を失った。
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