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ジルベール-03

 今日のお菓子は、黒豆のマドレーヌ。パック入りの黒豆の煮豆を使っているんだけど、甘いからスイーツに使えるんだ。お餅に混ぜたり、蜜豆に入れたり。しかも出来上がった煮豆だから味もついて柔らかく、アレンジが楽なんだ。  生徒会室に着いた。今日は、制服のグレーのベストを着ている。ジル先輩に何か言われるかな…。気づかれたら正直に言おう。先輩方に注意されたって。でも、告げ口した、なんて余計にあの人たちを怒らせないかな…。  いつものようにイブ先輩に“やあ、子猫ちゃん”と出迎えられた。ジル先輩が、ソファーから立ち上がる。 「あれ? アラタ、ベストは?」  早速、気づかれてしまった…。 「すみません…、昨日、『薔薇会(しょうびかい)』の三年生の人たちから、注意を受けました。ベストはクリーニングに出しますから、お返しします。本当にごめんなさい…」  ソファーにストン、と腰を下ろして肘掛けで頬杖をつき、ジル先輩はため息をもらした。そんなアンニュイな姿もきれいだ。 「まったく…あの子たち、たまに行き過ぎるところがあるからねー…。アラタ、ベストは返す必要ないから、持っててね」  榊会長が、眼鏡のブリッジを指先で押し上げた。 「目に余るようでしたら、生徒会権限で『薔薇会』を解散させます。生徒の風紀を正すのも生徒会の仕事ですから」  黒豆のマドレーヌにパクついて、魁副会長も“気にするな”と慰めてくれる。 「校則では、クラブ長のベストは自由と決まっている。お下がりのベストをもらうことも、禁じられていない。酷い言いがかりだ」  みなさんが、そう言ってくれるのは嬉しい。でもこれから先が思いやられて、自分が作ったお菓子なのに、なんだか喉を通らない。 「ほら子猫ちゃん、元気出しなよ。せっかく、おいしいマドレーヌがあるんだからさ」  一口サイズにちぎったマドレーヌを、イブ先輩が俺の口にほうりこむ。さらにコーヒーにクリームを足して、“甘いのをどうぞ”とすすめてくれた。 「何かあったら、俺たちにすぐ相談するんだ。みんなで守ってやるから」  剣先輩が頼もしいことを言ってくれた。せっかく憧れの名門校に来たんだ、嫌な思いだけはしたくない。生徒会のみなさんといっしょなら、乗り越えていけそう。けど、頼りっぱなしになりそうな気もするし、こんな俺がジェントルマンになれるかどうか、不安だなあ…。  五月の連休が終わった。暑い日が多くなり、生徒のほとんどは上着を着ずにシャツとベスト、という姿も多い。  生徒会のみなさんが“堂々としていろ”と言うから、俺はジル先輩からもらったモノトーンのベストを着ている。E組のクラス代表は夏休み中に用意して、後期だけ私服のベストにすると言っていた。だいたい、そのタイミングでベストを変える一年生が多いみたいだ。  今日は半日、芸術の特別授業になる。音楽を専攻している生徒はクラシックコンサートを聴きに行き、書道を専攻している生徒は書道展を見に行き、美術を専攻している生徒は美術館に行く。  俺は美術専攻で、中山ももちろん美術専攻。チャーターされているバスでも、席は隣同士。 「遠野、ガムいる?」 「わあ、ありがと! 俺、のど飴持ってるからあげるよ」 「サンキュー、後で舐めるよ」  なんて遠足気分みたいだ。中瀬川先生から注意事項の説明の後、バスが走り出した。と同時に、後ろから軽く頭を小突かれた。 「ハーイ、アラタ」 「ジル先輩!」  後ろの席に、ジル先輩がいた。…あれ? このバスは一年生だけが乗るはずだったような…。 「アラタといっしょのバスに乗りたかったから、もぐりこんだんだ。僕ね、キャラメル持ってるよ。二人にあげるよ」 「ありがとうございます」  キャラメルを受け取り、俺と中山はジル先輩にお礼を言った。 「うわ、やべっ」  中山は何かから隠れるように、急に背を丸めた。 「どうしたんだ、中山?」 「ジル先輩の斜め後ろ」  と、中山が小声で言う。ジル先輩の斜め後ろを見ると生徒が二人、ジロッとこちらを睨んでいた。 「も…もしかして…『薔薇会』…?」 「ああ、多分な。でないと、あそこまで俺たちが睨まれることはない」  恐ろしい…。もしや二、三年生のメンバーに報告されないかな。“バスの中で、薔薇の君からキャラメルを受け取った”なんて…。 「アラタ、今日行く美術館は、アール=ヌーヴォー展をやるんだよ」  と、ジル先輩は気軽に声をかけてくれるけど、そのたびにあの二人組の視線が痛かった。  美術館に着いた。整列して、順番に絵画や彫刻、ガラス工芸品などを見て回る。レポートを提出しないといけないため、鉛筆でのメモ書きは許可されている。 「うわあ、これ、きれいだな」 「ああ、それ、ルネ・ラリックだね」  振り向くと、ジル先輩が真後ろに立っていた。 「詳しいんですね、ジル先輩」 「アール=ヌーヴォーの美術は、特に大好きなんだ。よかったら、レポートに役立つこと、いろいろ教えてあげるよ。明日の土曜日、僕の部屋においで」 「本当ですか? お願いします」  ジル先輩と話していたら、急に肩をつかまれた。 「君、一つの展示物に立ち止まり過ぎだ」  中山の顔が青ざめる。 「真野(まの)先輩…!」 「ほかの人の迷惑になる。さっさと先に進め」  いっしょにいたもう一人の先輩も、俺に向かってきつい言い方をする。 「すみません、石尾(いしお)先輩!」  俺の腕を引き、中山は頭を下げる。それにつられて、俺も頭を下げた。以前、部室の前で立ちはだかった四人のうちの二人だ。二人とも、美術部員なんだ。 「僕が勝手に声をかけて足を止めさせたんだ。悪いのは僕だよ」  美術部員の二人の後ろから、もう一人現れた。 「ジルベール、あまり一年生に構うな」 「あ、会長」  美術部員二人が声をそろえて「会長」と呼んだ。『薔薇会』の会長なんだ。 「君が彼らの世話を焼くことはない」 「別に、世話を焼いてるわけじゃ――」 「来るときだって、俺たち三年生のバスに乗っていなかっただろう?」  ジル先輩が眉を吊り上げていた。いつも穏やかに微笑む天使みたいな人なのに、こんな表情は初めて見る。すっかり不機嫌になって、ジル先輩とそう身長が変わらない“会長”を真っ直ぐ見据える。 「彼らにあんまり、意地悪しないで! 二人とも、僕の大切なお友達なんだから」  そうして、ジル先輩は俺と中山の間に入って俺たちと肩を組んだ。中山は困惑したまま、俺はこの先も不安になりながら、三人で美術鑑賞をした。

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