54 / 127
ジルベール-06
出来上がったチーズケーキをカットしてお皿に盛り、ホイップクリームを添えた。さすがに二十皿のケーキ皿をワゴンには乗せきれず、学食でワゴンを一台借りた。紅茶も乗せて持って行くためだ。
配膳のときには緊張して手が震えたけど、“落ち着いて”と、ジル先輩が手を握ってくれた。そのしなやかな指が熱くて、その熱が伝わったようで、余計にドキドキした。でもなぜか、緊張感は解けたんだ。
「遠野くん、今日はとても楽しみにしてたんだよ。私は甘い物が大好物でね」
ニコニコ顔の理事長にそう言われ、
「君の動画をいくつか見たけど、斬新なアイディアでいいね」
なんて副理事長にも言われ、ハードルが高くなった。どうかみなさんのご機嫌を損なわないように…。
「これはオレンジのケーキだね」
お客様の一人から尋ねられた。
「オレンジ入りの、チーズケーキです。でも、クリームチーズの代わりにヨーグルトと粉チーズを使ったので、“なんちゃってチーズケーキ”です」
みなさんが一斉にフォークを口に運ぶ。そして口々に“うまい”“ヨーグルトと粉チーズに思えない”“オレンジがまた爽やかで”と、絶賛してくださった。
よかった…。急に、足がガクガク震え出した。退室してから、ドアの外でへたりこんでしまった。
「よかった~…。気に入ってもらえて」
「アラタが作るお菓子だもん。もっと自信持っていいんだよ」
ジル先輩が、手を差し伸べてくれた。あの日と同じ笑顔。中庭で、いっしょにランチを食べた、あのときの太陽をいっぱい浴びたまぶしい笑顔。今は太陽は差しこんではいないけど、それでもジル先輩の笑顔はまぶしい。
「後片付けは俺がやるから、いいですよ~」
「僕が手伝いたいだけなんだ。だから、やらせてよ」
茶話会が終わった後、食器類の回収と洗い物まで、ジル先輩が手伝ってくれた。おかげで早く終わった。
「お腹すいたね、お昼行こうか」
ジル先輩と食堂に向かった。平日と違って食事の時間はバラバラだから、すでに昼食を終えた生徒、今から食べる生徒が出入りしていた。
「ジルベール、今から食事?」
そう声をかけてきたのは、デパートで会った例の三年生、皆藤さんだ。ジル先輩親衛隊『薔薇会 』会長。
「うん、君はもう終わったの?」
「ああ。残念だな、もう少し早く来たら、いっしょに食べられたのに」
あのときと同じ。俺は睨まれることはないけど、全く眼中にないって感じ。まあ、あれこれ言われたり、睨まれるよりマシだけど…。
「そういえば、今日は理事会の茶話会って言ってたよな」
「そうだよ、アラタがオレンジ入りのチーズケーキ作ってね、好評だったよ」
「…そうか」
驚いたような表情の後、少し間があいて皆藤さんはそう言った。そんなに驚くことだろうか。
皆藤さんと別れて食堂の列に並ぶとき、ジル先輩が俺の肩をグイッと引き寄せた。
「これは匂う。事件だよ」
「事件?」
ジル先輩が鼻が触れそうなほど顔を近づけてきた。…心臓のドキドキが聞こえないかな。
「そう、クリームチーズは盗まれた。さっきの奴が絡んでる。チーズケーキが好評だったと聞いて、意外そうな顔してたでしょ」
「えーっ! あの人がチーズを…」
シッ、と人差し指を口元に当てられた。
「まだ、確定じゃない。いい? 盗難事件は現場百回、後で現場を調べるよ」
それは殺人事件じゃないかなあと思うけど、このまま引き下がるのも嫌だし、盗難事件だとしたら次もやられたら大変、ってことで食事の後ジル先輩とともに部室に戻った。
製菓部の部室がある棟は、実験室や音楽室、美術室などがあって部室としても使われるため、休日や早朝、場合によっては夜でも生徒は職員室で鍵を借りて出入りできる。
ただし音楽準備室には高価な楽器や、理科系の準備室には危険な薬品棚もあるため、そういった場所にはセキュリティーが厳しい。担当教師がカードキーを持っている。生徒には開けさせない。さらに、棚の前には防犯カメラもある。
「アラタ、この部室は元が第二実験室だって話したよね。薬品棚のある準備室を挟んで、向こうが第一実験室。準備室の鍵は安全上からカードキーになってるけど、実験室は金属のいたって普通の鍵なんだ」
部室に痕跡はなかった。鍵をこじ開けた様子もなく、犯人は職員室にある部室の鍵を使ったに違いない。俺たちは職員室に向かった。
職員室には、土曜日だけど先生たちが何人かいた。クラブの顧問の先生や、セキュリティ上持ち帰れない仕事のある先生などだ。
今は第二実験室としてではなく、製菓部と書かれた札がついた鍵は、職員室の壁にかかっている。ほかの部屋も同様だ。クラブなどで部屋を使う場合、職員室に入ってクラスと所属部名、氏名を名乗って鍵を取る決まりだ。万が一、部員以外の者が開ける場合は、そばにある記録ノートに名前を書かないといけない。
記録ノートを調べた。犯行はおそらく、金曜日の部活が終わった後。だけど記録ノートには何の記録も無い、つまり部室にあたる教室の鍵を、部員以外の者が開けたという記録は無いんだ。
「…記録が無いということは、別の部の者が鍵を返すふりをして、どさくさに製菓部の鍵を取った…ということかも」
「何か用か、お前たち?」
国語担当の大貫 先生だ。確か、ジル先輩の担任の。ジル先輩が大貫先生に尋ねた。
「先生、昨日の金曜日、部活が終わってからの時間に、誰か製菓部の部室の鍵を取りに来た生徒はいませんでしたか?」
「製菓部の鍵なら、遠野が部活終了後に返しに来てそのままだったろう?」
「では、部活終了時間よりももっと遅い時間に、誰か鍵を取りに来ませんでしたか?」
大貫先生は腕を組んで、“うーん”と一生懸命思い出す。
「ああ、そういえば、音楽部の皆藤が夜の七時ごろだったかな…“音楽室に忘れ物をしました”とか言って、鍵を取りに来たな。それから五分ほどで鍵を返したが」
ジル先輩の青い目が見開かれた。
「別に変ということもないけど、すまないな、それぐらいしか思い出せなくて」
「い、いいえ、貴重な証言、ありがとうございました」
俺たちは大貫先生に礼をして、職員室を出た。
ともだちにシェアしよう!