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ジルベール-08

「この学園に、ジル先輩を傷つけるような人はいないと思います。ジル先輩が誰といっしょにいるか、それはジル先輩が決めることなので――その、あまり縛ったりしたら、ジル先輩の自由が無いような…」  ちらりと皆藤さんが俺を見た。 「す、すみません、生意気言って…!」 「いや…、君の言うとおりだ。僕は今まで、ジルベールを勝手な思いで束縛していた」  皆藤さんはジル先輩に対して恋愛感情ではない、尊敬の念に近いものを持っていて、その美貌を誰にも傷つけさせないよう、守ってきてたんだ。  だから部活は音楽部なのに、芸術科目は美術を専攻していた。美術鑑賞などで、妙な奴が近づかないように、って。 「わかった、『薔薇会(しょうびかい)』は解散しよう。もうジルベールには干渉しないし、遠野くんにも何もしない。チーズの代金は、僕が責任をもって返すよ」  ジル先輩にいつもの笑顔が戻った。 「じゃあ、せっかくだから君もお茶して行って」  俺に向かって、ウィンクした。一瞬、意味がわからずドキッとしたけど、お菓子を持ってきてっていう合図なんだな。俺は運んで来た大皿をテーブルに置いた。 「中身はお楽しみ、カップチョコです。蓋を開けずに選んでください。まずは、皆藤さんからどうぞ」  アルミカップにチョコレートを流し、ナッツやドライフルーツなどを入れて固めて、ココアパウダーを混ぜて焼いたメレンゲで蓋をした。  皆藤さんが一つ選んで、小さなベレー帽みたいな蓋を開けた。  そこには、ホワイトチョコで描いたニッコリ笑顔。皆藤さんは“プッ”と吹き出した。 「あ、それ、中はキャラメルクリームが入ってます。市販のキャラメルに牛乳を入れてレンチンしたものです」  生徒会のみなさんも、大皿のチョコを選び、メレンゲ帽を開けた。 「私のは、アーモンドですね」 「俺はくるみだ」  榊会長も魁副会長も、蓋を開けるのが楽しそう。 「僕はドライストロベリーだね」  ジル先輩が、アルミカップからチョコを外してかじった。 「きれいだね、これ」 「イブ先輩のは、スミレの砂糖漬けとアラザンです」  剣先輩も、チョコレートをカリッとかじる。 「これは…ピーナッツとレーズン、シリアル…?」 「剣先輩のは、いろんなものを砕いて混ぜて粉砂糖をまぶした、チョコレートサラミ風ですね」  一つ目のチョコを食べ終えたジル先輩は、手に取る前にメレンゲ帽を開けている。 「次はどれにしようかな~」 「ジル先輩、ズルは無しですよ」  みんなが笑顔になる。甘い物って、みんなで食べると自然に笑顔になる。  お茶会が終わって生徒会室を出た後、皆藤さんが笑顔で俺に言ってくれた。 「あんなにおいしくて楽しいものを、ジルベールやみんなに作ってあげてるんだね。君が悪い人なわけがない。僕からほかのみんなに伝えておく。これからもよろしく」  右手が差し出され、少し緊張気味に握手した。皆藤さんは明日、チーズ代を返してくれると約束していた。またお菓子を多めに作って、そのとき皆藤さんに渡そうと思う。  梅雨の時期に入った。朝から雨が降っている。寮から校舎までは徒歩五分ほどだけど、玄関を出ると途中に屋根は無いため傘は必須だ。ムッとした湿っぽい空気の中、傘を開いた。門まであと半分の距離というとき、運悪く突風に煽られた。 「わあっ!」  まるで台風みたいな風だった。俺の傘は“お猪口”どころか、骨が折れて悲惨な状況だ。雨も急に強くなってきたし、走るしかない。中山がいれば傘に入れてもらえるけど、早朝に美術室に用があるとかで、朝食後すぐに学園に向かってしまった。  ついてないなあ…と走り出そうとしたとき、黒い何かに覆われた。 「ボンジュー、アラタ。災難だね」 「ジル先輩、おはようございます」  黒い物の正体は、レインコートだった。厚手のしっかりしたもので、ウエスト部分にはベルトも通っていて、トレンチコートみたいだ。  二人で頭からレインコートを傘代わりにして登校した。 「濡れるよ」  ジル先輩に肩を抱き寄せられた。ジル先輩のシャンプーの匂い。今日みたいな雨空じゃなくて晴れて澄んだ空、ジル先輩の瞳みたいなきれいな青空に合いそうな、バラの匂い。  このまま校門を通り越して、ジル先輩と一つのレインコートの中ずっと歩いてみたい、そんな気がした。  でも、現実はそういうわけにはいかない。校門を通り、玄関に入ってジル先輩はレインコートの雨粒をはたく。 「無事、到着~」 「あ、あの、ジル先輩、どうもありがとうございました。助かりました」  ボロボロの傘を持ったまま、ジル先輩にお礼を言った。 「じゃあね。放課後のお茶会、楽しみにしてるよ」  と、ジル先輩は俺の肩を引き寄せて、俺の頬に白桃みたいな頬をくっつけた。…確か、ビズって言われる挨拶の方法だ。ああいうことが自然にできる人って、かっこいい…。くっつけた頬の跡が、やたら熱く感じる。  と、いつまでもぼんやりしてたら、予鈴が鳴った。大変だ! 礼拝が始まる。講堂に急がないと。

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