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ジルベール-11

「何て顔してんの?」  向かい側から、ジル先輩が優しく微笑んでくれている。 「えっ…?」 「なんだか、泣きそうな顔だった」  手が伸びてきた。頬をそっと撫でられる。とたんにカッと顔が熱くなった。きっと顔も真っ赤だろう。けど、そのことでジル先輩はからかったりせずに、話を続けた。 「そりゃあ、会社はあちこちにあるから、海外出張もあるだろうけど。僕はね、生まれ育った日本が大好きだから、拠点をここにしたいんだ。大学も、日本の大学に行くよ」 「大学…どこに進むんですか?」 「東大。京大もいいけどね、こっちから通えるし。でも、いい機会だから拠点になる関西よりも、関東の文化をしっかり見られるからいいかなって。聖トマス・モアを受験したのも、そのためなんだ」  ジル先輩は凄い。そこまで考えているんだ。俺は、将来どうするべきか、まだ考えていない。  窓の外に川が見えた。ジル先輩から、桂川だと教わった。夏は川遊び、春は桜、秋は紅葉、冬は雪景色と年中美しい風景を楽しめるそうだ。  なるほど、駅前よりは京都らしいかな。 「お昼はね、ちょっと寄り道してお豆腐料理を食べようと思うんだ」  リムジンは、一軒の木造の建物の前で止まった。引き戸の玄関にのれんがかかっていて、砂利が敷かれた敷石を渡る。和服姿の女性が出てきて、手をついてお辞儀をする。 「おこしやす、ジルベール様」  店員が下の名を呼ぶほど、ジル先輩はこのお店によく来るのだろうか。 「こんにちは! お座敷、空いてる?」 「はい、こちらへどうぞ」  スリッパに履き替えて、廊下をすすむ。店員が障子を開け、俺たちを案内した。 「わあ、きれい!」 「マルソーご夫妻は先週ご来店くださいまして。ちょうどこのお部屋どした」  床の間のある広い和室。雪見障子の向こうは日本庭園になっていて、石灯籠や竹林がある。青々として真っ直ぐ伸びた竹は、涼しげだ。  お座敷に座り、ジル先輩はメニューを広げて俺の方に向けた。 「お昼はね、全部定食なんだ。あ、僕“祗園”ね」  定食の名前には、全て京都の地名がついていた。俺はミニ湯豆腐と炊き込みご飯、トンカツがついた“伏見”にした。 「ここって…よく来るんですか?」 「うん、特にママンのお気に入りでね。豆腐料理はヘルシーだって」  伏見定食はとてもおいしかった。京料理は薄味と聞いていたけど、炊き込みご飯やお吸い物の味はしっかりついている。豆腐はもちろんおいしかったし、トンカツは肉厚でジューシー。  ただ、値段が三千円以上もするので、思わぬ出費になりそうだ。  ジル先輩は、店主やレジにいた人に挨拶をすると、そのまま靴を履こうとした。 「あ、あの、ジル先輩、お会計は…?」 「ああ、月に一回、実家に請求が来て払ってもらうから大丈夫だよ。両親にはここでご飯食べるって言っといたからね」  と、ウィンクしてのれんをかきわけ外に出た。暑さではない汗が、額から流れる。  セレブの生活に、俺はついていけるだろうか…?  リムジンに乗って、ジル先輩の実家についた。なんと、フランス人が住んでいるとは思えない純和風の豪邸。庭は大きな松の木が生えていて、玄関の下駄箱の上には巨大な盆栽。これも松だそうで、奇妙なぐらい、ダイナミックにうねり曲がっている。盆栽は、お父さんの趣味だそうだ。本当にフランス人なんだろうか。 「僕の部屋、こっちなんだ」  長ーい廊下を進み、彫刻が施された白木の手すりつき階段を上る。途中の踊場の壁には、明かり取りの丸い窓。和風の花が彫られた木の枠に囲まれ、和紙みたいなすりガラスから、優しい光がふりそそぐ。  壺や花瓶が飾られた廊下を進むと、ジル先輩が障子を開けた。 「うっわー…広い…」  二十畳はあるだろうか。勉強机の代わりに低い文机と座椅子があり、円形の座卓に座布団。飾り棚はあるけど、収納家具やベッドが無い。部屋の奥にふすまがあって、その中はウォークインクローゼットと本棚や収納スペース。 「うちはベッドじゃなくて、布団なんだ」  生まれたときから、時代劇に出てくるお城みたいな家に住んでいるため、日本の家はみんなこうだと思っていたそうだ。 「フランスやアメリカにある家には、ベッドがあるけどね」  俺のボストンバッグが、入ってすぐの所に置かれていた。 「一階に客間が五つあるから、そっちを使ってもらおうと思ったけど、せっかくアラタと過ごせるんだし、夜もいっぱいおしゃべりしたいなって。だから、僕の部屋使ってね」 「まるで修学旅行みたいですね」  丸テーブルの前の座布団に座った。ふかふかで気持ちいい。畳は青くて、いい匂いがする。 「修学旅行っていえば」  ズイッとジル先輩が身を乗り出した。 「恋バナだよねっ。アラタは好きな子っている?」 “好きな子”と聞かれて、ドキッとした。 「そ…そんな…答えにくいこと、聞かないでくださいよ…」  俺は何て答え方をしてるんだ。それじゃあ、好きな人がいるって白状してるみたいじゃないか。 「ふーん…、いるんだ~…」  青い目をキラキラ輝かせ、ジル先輩は好奇心いっぱいで俺を見る。 「ジル先輩はどうなんですか?」  一瞬、ジル先輩が真面目な顔つきになった。どういうことだろ…。 「それはね、秘密」  パッといつもの明るい笑顔に変わった。 「ずるいですよ~」 「ハハハッ、アラタが進展したら、僕も教える」 …ということは、ジル先輩にも好きな人はいるのかな。さっき、結婚式のことを言っていた。その人とは結婚も考えてたりして…。  嬉しいはずの京都旅行だけど、きっとジル先輩とこうして過ごすのは、最初で最後なんだ――

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