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イブ-13
「……!」
これで、何度目だろうか。イブ先輩からのキスは。初めて会ったときに手の甲にされて、頬にもされて、唇にも…。唇にキスされた日、オナニーしてしまったのを思い出して、恥ずかしくなった。イブ先輩はただの挨拶かもしれないけど、俺にとっては心臓がひっくり返りそうなほどの大事件なのに…。
イブ先輩は向かい側のソファーに座ると、紙袋を開けて目を細めた。
「ふふっ、可愛いのができたね」
ジンジャークッキーは、ブリュレに長い間刺していると湿気ってしまうから、別に添えたんだ。そしてメッセージも変えておいた。
「この坊やが持ってるのは何?」
「それ…イブ先輩へのメッセージです」
本当は“好きです”と書きたかったそのメモには、別の言葉を書いた。イブ先輩がメモを広げる。
“お会いできて、よかったです”
「ハニー、これは他人行儀だよ」
少し残念そうに笑うイブ先輩に、俺は説明した。
「あ、あの…。テレビで見たけど、あんなことがあっていろいろ大変そうだから…イブ先輩になかなか会えないんじゃないかって…思ったんです」
“好きです”は言えなくて。でも、“会いたかったです”も厚かましいと思ったから――
「お元気そうで安心しました」
「ゴメンね、心配かけて」
「いえ、とんでもないです!」
イブ先輩は、ジンジャーボーイつきの豆腐ブリュレをおいしそうに食べてくれた。
「ハニーのお菓子を食べられるなんて、久しぶりだね」
「夏休みが終わったら、また毎日食べてくださいね」
イブ先輩が、少し表情を曇らせた。そんな寂しそうな顔、初めて見る…。
「イブ先輩…?」
「三年生になったら、仕事が忙しくなるかもしれないんだ。今はできるだけ学校を優先させてもらえるけど、僕は大学受験をしないから、卒業に必要な単位が取れたら、放課後どころか日中も仕事が入るかもしれないんだ。事務所から今後、大きな仕事も来るだろうって言われてさ」
そんな――
イブ先輩は売れっ子モデルだから仕方ないけど、いつまでもこうしていっしょにいられない。仕事が忙しくなって、卒業したらもう俺のことなんて忘れてしまうかもしれない…。
「俺…」
涙が混じりそうになるのを必死でこらえ、膝の上で拳をギュッと握り、イブ先輩に伝えた。
「一生懸命お菓子作ります。あと何度イブ先輩に食べてもらえるかわからないけど、イブ先輩にいつまでも覚えてもらえるようなお菓子、頑張って作ります!」
頬杖をつき、イブ先輩は茶色の瞳で俺を見つめた。
「僕は新太のお菓子、大好きだよ。新太のことも」
えっ…?!
好き…?
あ、いや、それはそういう意味じゃなくて、お菓子が好きっていうのと同じ感覚なんだよな。だからイブ先輩はさらっと言えるんだ。
でも嫌われてるんじゃなくて、どうでもいいんじゃなくて、“好き”なんだ。どうしよう、たったそれだけのことなのにニヤニヤしてしまう。
「あ、ありがとうございます…そう言われると、照れてしまいますね」
なんて頭をかいてたら、イブ先輩が立ち上がった。俺のソファーの背もたれに手をかけ、さっきみたいに体をかがめると、今度は鼻の頭にキスをした。
「あ、あの…イブ先輩?!」
「可愛いね、僕のSweetは」
細長い指が、俺の顎を流れるように伝う。鼓動が痛いほど早くなって、目の焦点も合わなくなって、というよりどこを見ていいかわからなくて。茶色い琥珀みたいな瞳は、吸いこまれそうで怖くて見られない。
「か、からかわないでくださいよ、やだなぁ~」
精一杯笑顔を作るけど、顔が引きつる。イブ先輩にとっては冗談だから、ここは笑顔で流さないといけないのに。どうしよう、ヤバい、イブ先輩がカッコよすぎる。“好き”っていう気持ちが、抑えられない。
「僕はからかってなんかないよ」
背をかがめたまま耳元でささやく。唇が耳たぶをかすめる。まるで、今度は耳にキスをしているみたいに。
「犬とか猫とかみたいに可愛いって言うんでしょ」
おどけて膨れっ面をしてみた。“そうだね、ペットと遊んでるみたい”そんなふうに、軽く言われると思いきや。
「違うよ」
「じゃあ、ハムスターかウサギですね?」
「……」
あれ? イブ先輩がノッてきてくれない。そうだね、子ウサギちゃん。いつもみたいにクスクス笑って言われると思ってた。それどころか、今まで見たこともないくらいの真剣な表情だ。
「そんなんじゃないよ。本気で可愛いって思ってる。新太が好きだから」
そして今度は――唇にキスをされた。
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