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イブ-18

 青いスクリーンの前にイブ先輩が立ち、その前に怪盗役の女性が、こちらに背を向けて立つ。監督は撮影スタートの合図を出しているのに、イブ先輩は微動だにしない。手錠の片方を持ったまま、立ち尽くしている。 「ストーップ!」  監督が大きく手を振り、カメラを止めた。 「どうしたのイブ君? その後抱きしめて“その香り、逃がさない”でしょ!」  抱きしめる――イブ先輩が、あの女性を? 仕事とはいえ、そんな姿を見るのはつらいな…。 「すみませんっ、やり直させてください」  長身を折り曲げるように頭を下げたイブ先輩は、両手でパシパシッと小さく頬を叩いた。気合いを入れ直したのだろうか。 「はい、テイクツー!」  監督の合図で撮影再開。でも今度もイブ先輩は動かず、取り直しとなった。 「じゃ、一度休憩しよっか」  スタッフ全員にアイスコーヒーが振る舞われた。カメラの陰にいた俺の方に、イブ先輩が近づいてきた。 「イブ先輩…?」  イブ先輩はいきなり、俺の肩を抱き寄せた。 「実はね、この子、僕の恋人なんです」  ええっ?! こんな所でカミングアウト?! スタジオ内のみんなが、どよめいている。 「まだ付き合い始めたばかりだけど。ねー、シュガー」  と、俺の額に頬をすり寄せた。 「ちょっ…、イブ先輩?」  どう返事をしていいかわからず、スタジオ内のいくつもの視線が痛くてうつむいてしまった。 「ええっ?! イブ君の恋人って、イタリアでデートしてた女性じゃないの?」  コーヒーの紙コップを手に、怪盗役の女性も仮面を上げて、目をしばたたかせている。 「あれは向こうが一方的に――好きな子がいるから駄目だって断ったけど、いっしょに食事したら諦める、って言われて。それがあのザマです」  イブ先輩は眉を寄せて苦笑いをする。  赤いビニールレザーをまとった怪盗は、腰に手を当て考えこむ。しばらくしてから監督の方に向き直った。 「ねえ、監督。ラストシーンを少し変えませんか?」  シナリオでは、最後にイブ先輩が手錠を引き寄せ怪盗を抱きしめて、「その香り、逃がさない」と言って終わり。けど、怪盗役の女性が提案したラストシーンは、イブ先輩が手錠を引き寄せるところで終わり。それをスローモーションにして、別撮りのセリフを重ねる、というものだ。 「確かにね、可愛いシュガーの前じゃ、いくら仕事とはいえほかの女の人を抱きしめるのは嫌でしょ」  女性はクスクス笑う。イブ先輩に言ってるけど、目は俺の方を見ている。なんだか居たたまれない…。 「あたしだって、旦那とほかの女性のラブシーンなんて見たくないし」  えっ?! 若く見える人だけど、もう結婚してるんだ! そんな驚きが顔に出てしまったのか、俺の肩を抱きしめたままのイブ先輩が、説明してくれた。  彼女は元は雑誌の読者モデルで、数々のCMにも出て、今はテレビ局に勤める男性と結婚して二歳のお子さんもいるけど、まだまだ現役モデルとして活躍している人だそうだ。あまりにも若く見えるし美人だから、てっきり独身かと。 「…ごめんなさい、俺、全然知らなくて…。でも、とてもお母さんには見えないような」  俺が小さいときのお母さんを思い出してみけど、お母さんはやっぱり、まるっきり主婦っぽいイメージだ。 「あら、ありがと。ほめ言葉と思っていいかしら」  女性モデルは、にっこり笑う。  しばらく休憩して、撮影再開となった。  ラストシーンは変更された。イブ先輩が手錠を引き寄せ、女性モデルがイブ先輩の胸元にぶつかる寸前に身をかわした。これが編集されてスローモーションになって、身をかわす寸前で映像を止めれば、見ている方は“この後、女性が抱きしめられる”と想像できる。  カメラ目線をじっと、イブ先輩が見つめる。あのファッションショーで見たような、鋭い目だ。あの目に見つめられると、ドキッとする。  そしてセリフは別の録音ブースで撮り、映像と重ねるらしい。  無事、撮影も終了し、俺はイブ先輩と念願のデート。もうお昼だから、いっしょにランチしようということになった。 「子猫ちゃんといっしょに、ファーストフードが食べたいな」  イブ先輩がそう言うから、ハンバーガーショップに入った。  イブ先輩はキャップを目深に被り、伊達眼鏡をかけてはいるけど、背が高くイケメンハーフだから自然と注目の的になる。女性客数人が、トップモデルの英夜(はなぶさイブ)だと気づいたのか、ざわついている。急いで携帯電話を取り出す人もチラホラ。“英夜がRバーガーに来た”とか、友達に教えたりSNSで言ったりしてるんだろう。携帯をこちらに向けてる人もいる。プライベートなのに、失礼だな。  注文を済ませてカウンター横で待っている間も、イブ先輩は物陰に隠れようとはしない。壁にもたれて俺と雑談している。飾りっ気が無くてもこんなに華やかな人だから、めちゃくちゃ目立つ。 「…さっきからイブ先輩のこと、勝手に撮影してる人がいますよ」  でもイブ先輩は“しょうがないね”とクスクス笑うだけだ。トレイを持って、二階の席に上がった。俺はハンバーガーにポテトにコーラ。イブ先輩もハンバーガーだけど、野菜サラダとブラックのアイスコーヒーだ。  食べてる間も、ジロジロと女の子たちに見られている。もしかして、イブ先輩とデートするたびに、こんな感じで見られるのかなあ…。

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