90 / 127
虎牙-03
翌日の日曜日、学食の調理場に来た。俺は部活で使っているエプロンを持って来た。剣先輩もマイエプロンを持っていて、濃いブルーのTシャツに同系色の紺色のエプロン。胸板が厚くて腕も筋肉質で、いかにも“野郎のメシを作るぞ!”って感じだ。
「まずはボウルに卵を割って入れるんだ」
卵ならお菓子でよく使うから、割るのは慣れている。卵三個を割ってボウルに入れる。
「菜箸でかき混ぜるとき、泡立てないように気をつけろ」
卵をかき混ぜていたら、剣先輩がザルを用意した。
「もしかして、卵を漉すんですか?」
「そうだ、このひと手間だけで仕上がりが変わる」
別のボウルを用意して卵を漉す。プリンを作るときに似ている。砂糖は入れるけど、プリンと違って牛乳の代わりにだし汁を入れる。
「これって、粉末のだしですか?」
「いいや、かつお節で取っただしだ。昨日の残りを冷蔵庫に入れておいた」
なんと、そんなところまで手抜きしない。剣先輩って、もはやプロレベルなのでは。醤油やみりんも混ぜ、いよいよ焼く段階だ。
「剣先輩、火が強くないですか?」
「卵をふわっと仕上げるには、強めの火で短時間に焼き上げるのがいい」
油をひいて温めた玉子焼き器に、卵を三分の一ほど流し入れる。
「最初は巻かなくても、こうしてまとめればいい」
ドキッとした。柄を持つ俺の手に、後ろに立った剣先輩が重なり握られた。俺の菜箸と剣先輩の菜箸で、一回目の卵が四角くまとめられた。それを奥にやり、油を塗って残りのうち半分の卵を流し入れる。
「巻くときのコツは、こうだ」
左手でグッと柄を傾け、菜箸でくるんとひっくり返した。卵を奥にやり、また油を塗る。
…焼いてる作業中は、ずっと剣先輩に手を握られてるから、妙に意識してしまう。力強い、骨張った手。右手の甲の傷跡、かなり深い刃物の傷かな。包丁? まさか、器用そうな剣先輩に限って、包丁でしかもそんな大きな怪我をするなんて…。
「ラスト、いくぞ」
後頭部の辺りに響く低い声に、ドキッとした。剣先輩がこんな近くにいるってこと、今までになかった。
「ほら、巻いてみろ」
いつの間にか卵が流されていて、俺は慌てて柄を強く握る。
「よいしょっ! …あれ? つぶれた」
せっかく、剣先輩がきれいに巻いてくれたのに、真っ直ぐひっくり返せなかった。なんとか形を整えたけど、少しもたついてしまったのもあって、表面の焦げ目が少し気になる。
出来上がっただし巻き卵を、調理台で試食する。少し焦げてしまったけど、中はふんわりしてておいしい。
「おいしい! 焼きたては最高ですね!」
「ああ、冷めてもおいしいけど、焼きたてでメシをかきこむのがうまいぞ」
本当だ。ご飯が欲しくなるおいしさだ。今までお菓子作りばかりしてて、こういう料理は初めてだけど、俺にもできるかもって自信がついた。剣先輩みたいな料理男子を目指してみるかな。
「剣先輩、今日はどうもありがとうございました」
「また、いつでも教えてやるぞ」
「はい!」
今度はハンバーグや煮物なんかも教えてほしいな。二人でお弁当作って、いっしょにどこか出かけられたら――なんて言ったら、厚かましいかな。
試食がすんでから、いっしょに片付けをした。俺が洗い物をして、剣先輩が拭いて片付ける。
どうしても、剣先輩の右手の傷跡が気になってしまう。今はもう痛くないだろうけど、怪我をしたときは相当痛かったはずだ。それに、半袖で剣先輩の生腕を初めて見たからわかるけど、腕にも傷や火傷の跡がいくつかある。とても料理でつけた跡には見えないような。何となく、その原因を聞けない気がした。俺が触れてはいけないような。
「どうした? ぼんやりして」
「あ、いえ、何でもないです」
傷のことは聞けない。でも、違うことなら聞いても大丈夫かな。
「あの…剣先輩って、普通入試で入れるぐらい頭がいいのに、料理の腕も抜群なんて凄いですよね」
「そうか? ありがとう」
片付けを終え、エプロンを外して剣先輩が照れた笑みを浮かべる。
「大学に進学するかどうかは、迷わなかったんですか?」
「元々は、進学に興味なかったんだ。将来の夢は、調理師一択だからな」
それから、剣先輩は聖トマス・モア学園を受験した理由を教えてくれた。中学の頃からイブ先輩と親友だったそうだ。売れっ子モデルのイブ先輩、家族が芸能関係の剣先輩。二人とも、目立つ存在だった。目立つゆえの悩みを分かち合う仲間みたいなものだそうだ。
イブ先輩は女の子につきまとわれ、剣先輩は不良たちから目をつけられる。そこで女性がいない、不良たちがいない全寮制を受験しようということで、猛勉強して聖トマス・モア学園に合格したそうだ。
「生徒会に入ったのは、イブが学園生活を充実させたい、って言ったからなんだ」
モデルの仕事があるイブ先輩は、試合やコンクールなどがある部活に出るのが難しい。ならば生徒会ならどうだろう、と生徒会に入ることを決めたんだ。
「…仕事で抜ける分、あいつなりに高校生活を満喫したかったんだろうな」
榊会長たちの理解もあり、イブ先輩の仕事に支障は出ていない。
「いいなあ~、そういう親友って」
「遠野には、中山がいるんじゃないか?」
そうだ。まだ仲良くなって間がないけど、二年間同室で同じクラスなんだ。俺たちも親友になれるかな。
「剣先輩とイブ先輩にはかなわないかもしれないけど、中山はいい親友になれそうです」
そうか、と剣先輩は優しく微笑む。今日はずっと、剣先輩のそんな優しい表情を見ていた気がする。
ともだちにシェアしよう!