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虎牙-05

 そんな…剣先輩が?! 元喧嘩番長で、病院送りにした奴もいるなんて…!  確かに、剣先輩は背が高くて体つきもガッシリしていて、黙っていれば目つきも鋭く、怖く見えるかもしれない。でも剣先輩は優しい人だ。絶対に理由もなく人を殴ったり、自分から喧嘩をふっかけたりしない人だ。 「…酷い目にあったんですね…そんな怪我までして…」  もし神経を切ったりしたら、料理なんてできない。剣先輩の夢が断たれてしまう。どうして相手の人は、そこまで容赦ないんだろう。ただ家族が芸能人で目立つっていうだけで、剣先輩が何をしたっていうんだろう。 「ああ、酷い目にあったし、あわせたりもした。幻滅しただろ? 俺がこんな奴で」  俺は剣先輩の目を見て、キッパリと答えた。 「いいえ! 喧嘩をふっかけた方が悪いんです! 剣先輩は、あんなにおいしい料理を作れる優しい人だってこと、俺は知ってます。本当は誰のことも傷つけたくなかったんでしょう?」 「遠野…」 「酷いですよね、先輩の家族が芸能人っていうだけで、先輩は何もしていないのに、言いがかりをつけたりして」  剣先輩の目が、いつもの優しさを取り戻した。 「まあ、売られた喧嘩を買う俺も悪い。ほら、喧嘩両成敗っていうだろ?」 「でも…」  剣先輩が身を守らなければ。暴力を奮う相手に対して、負けない気持ちを示さなければ。調理師になりたいっていう夢を、断念したかもしれない。 「でも、正当防衛って言葉があります」  いきなり“プッ”と剣先輩が吹き出した。 「そこまで俺を擁護してくれるのは、お前が初めてだな」  イブ先輩は、喧嘩ばかりする剣先輩を叱ったりしたんだろうか。傷ついて血だらけの剣先輩を見れば、心配して叱るかもしれない。もう喧嘩はやめろって。 「もう今はそんな心配、ないんですよね。この学園にいれば、変な人たちは近寄ってこないし」 「ああ、不良でこの学園に来たのは、聖トマス・モア始まって以来、俺が初めてだろう」  そんなふうに苦笑する剣先輩は、とても不良なんかに見えない。  あっ、もしかしたら―― 「剣先輩…もしかして、雨の中で捨てられている子犬とか見たら、懐で温めてあげるタイプですか?」  なんだそりゃ、と剣先輩が楽しそうに笑う。優しい不良っていうと、漫画とかでよくありそうなタイプを思い浮かべたんだけど。 「確かにそうかもな。家で飼えるかどうかわからないが、連れ帰って世話をして、飼ってくれる人を探したかもな」  それを聞いて、不覚にも胸の辺りがキュンとした。なんとなく俺の中で、剣先輩は弱い者を助けてくれるヒーローみたいな。 「でも傷が神経まで達してなくて、よかったですね。包丁が握れなくなったら大変だ」 “そうだな”と、剣先輩が右手を握ったり開いたりしている。怪我の後遺症は全く無いみたいでよかった。 「本当に、あのころは馬鹿なことをしたと思ってる。警察沙汰にはならなかったから、この学園に入れたけどな」  聖トマス・モア学園は、普通入試も俺たちみたいな特別入試も、素行調査はされる。いくら才能があっても頭がよくても、普段の行いが悪ければ、入試を受けることを認められない。ジェントルマンにはなれないからだ。 「でも…喧嘩した相手の人も…、よく警察や学校に言いませんでしたね。逆恨みして告げ口されそうなのに」 「そうだな。俺一人に負けたなんて、カッコ悪くて言えないんだろうな。それに、武器を持っていたり数人で襲いかかってきたり、分が悪いのは相手の方だからな」  剣先輩は何人もの相手に、素手で戦ってたんだ。本物の喧嘩番長だ。蛮カラものの漫画にでも出てきそう…。それでも目の前の剣先輩は、俺にとっては優しい人だ。それどころか卑怯な手を使わない、正義の味方のように思える。エプロンの似合うヒーロー、それが剣先輩だ。 「おーい、遠野ー。早くしないと置いてくぞー」 「待てよ中山~」  次の三時間目は情報処理、今日は視聴覚室で授業だ。ペンケースとノートと教科書を持って慌てて教室を出ると、中山たちの姿は無い。薄情だなぁ、もう少し待ってくれてもいいのに。  校舎の角を曲がると、渡り廊下だ。急いで角を曲がった瞬間――ドシン、と誰かにぶつかった。剣先輩だ! 「あっ、剣先輩?! す、すみませんっ、大丈夫ですか?!」  なんて言ってる俺が、尻餅をついて荷物をぶちまけ、剣先輩に手を引っ張られている。 「俺は大丈夫だ。遠野こそ、痛かっただろ」 「俺も大丈夫で…、あ、自分で拾いますから」  剣先輩は教科書やノートやペンケースをサッと拾ってくれた。 「あ…ありがとうございます、本当にごめんなさい」  お礼を言ってもう一度謝って、剣先輩に頭を下げた。別れ際に、髪をくしゃっと撫でられた。右手の甲に傷はあるけれど、とても優しい手。その優しさにドキドキしてしまった。  二年A組も、さっきの授業は移動教室だったんだな。イブ先輩ともすれ違って挨拶した。  渡り廊下の先では、中山たち三人がずっとこちらを見ていた。“何笑ってんだよ”と言おうとしたけど、なぜだかみんな心配そうな顔をしていた。

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