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虎牙-06

「大丈夫かよ…遠野」  三人の中の一人、菊池が震えながら俺に声をかける。 「大丈夫だよ、尻餅ついただけだし」  たかが廊下で転んだだけなのに、みんなちょっと大袈裟だぞ。 「いや…そうじゃなくて…、今の人…剣虎牙さんだろ…? ぶつかって、よく怒られなかったな」 「怒る? 剣先輩が?」 「そうだよ。俺、剣先輩が通ってた中学の、隣町の中学だったんだけど」  菊池の話では、剣先輩の噂は隣町どころか市内、隣の市でも有名で、不良たちから一目置かれるか、呼び出されて喧嘩をふっかけられるかのどちらかだったそうだ。 「ここだけの話だけど」  急に菊池は声をひそめた。四人で輪になって顔を寄せる。 「剣さんが病院送りにした奴も何人かいるみたいで、警察沙汰にならなかったのは、両親が金を使ってもみ消してるとか」  病院送りにした、という話は直接聞いた。でも、きっと相手が一方的に言いがかりをつけたに違いない。剣先輩は武器を使わず、素手で喧嘩をしていたと話していた。数人で襲いかかることはせず、常に孤高の一匹狼で…。警察沙汰になっていないことでも、喧嘩をしかけた相手の方が、ばつの悪さから何も言わなかったからで。  とにかく俺は、剣先輩を信じている。“誰も傷つけたくはなかった”の言葉を。 「遠野、気をつけろよ。あの人今は生徒会役員でおとなしいみたいだけど、何か失礼なことでもしたら…」 「大丈夫だって。毎日のように会うけど、優しくていい人だから。それに――」  あんなにおいしい料理を作れるんだから、と言いかけたけどやめておいた。何となく、俺だけの秘密にしていたい。代わりに、“ふふふっ”と小さな笑い声が出た。 「何だよ遠野、気持ちわりーな」 「いや、何でもないよ。ほら、予鈴が鳴ったから中入ろ」  三人を視聴覚室に促しながら、俺は剣先輩のエプロン姿を思い出していた。 「茶話会…ですか?」 「ええ、六月最終土曜日に、毎年理事会が開催しておりまして、関係者の方々など二十名が出席されます」  いつものように生徒会室にお菓子を持って行ったら、榊会長から理事会主催の茶話会について説明された。 「遠野くんにお茶菓子を二十名分、提供していただきたいのです。当日は理事長もいらっしゃいますから、喜ばれるでしょう」  理事長といえば、俺の動画を見て気に入ってくれて、理事の宝尾さんにスカウトするよう頼んだ人。これは気合いが入るぞ! 「はい、頑張ります! でも、どういったお菓子がいいでしょう?」  理事会や来賓の方に喜ばれるお菓子、いったいどんな物がいいだろう。 「こういう、チーズケーキでもいいんじゃないか?」  魁副会長は今日のお菓子、デンマーク風のチーズケーキを気に入ってくれたみたい。  レンチンで作れる蒸しケーキに、とろけるチーズを乗せてオーブンで軽く焦げ目がつく程度に焼いたもの。蒸しケーキの素朴な甘さに、チーズのほんのり塩味がほどよく合って、普通のチーズケーキとは違うけど、これもまたおいしいんだ。 「アラタがいつも作ってくれる普段のお菓子、そういう物がいいんだよ」  紅茶のカップを手に、ジル先輩もそう言ってくれる。 「きっと理事長も、普段食べる物とは違う、新太のアイディアいっぱいのお菓子を楽しみにしてるよ」  イブ先輩にもそう言ってもらえると、ますます自信がわいてくる。 「みなさん、ありがとうございます。茶話会まで日がありますから、ゆっくり考えます」  ケーキを食べ終えた剣先輩が、“うん”とうなずき、俺の方を向いた。 「当日は、俺も手伝おう。数が多いから、助手がいた方がいいだろう?」  剣先輩といっしょに――夢を見ているみたいにボーッとしていた俺は、“駄目か?”という剣先輩の声に、我にかえった。 「駄目じゃないですっ、全然! ありがとうございます、よろしくお願いします」  立ち上がって頭を下げながら、またニタニタしてしまった。剣先輩といっしょに、お菓子作りができる! 二人なら、少し手のこんだ物でも作れるかもしれない。数が多くても困らない。味見もしてもらえる。  それは助かるけど、本音を言えば、そんなことはどうでもいいんだ。剣先輩といっしょに何かできるのが嬉しい。先日、だし巻き卵の作り方を教えてもらったときも、本当に楽しかった。剣先輩が後片付けを手伝ってくれたのも、嬉しかった。それは、ただ料理を覚えたとか片付けがはかどったというだけじゃないんだ。剣先輩といっしょにいることが、楽しいんだ。  最初は怖い人かなって思ったけど、全然そんなことはない。剣先輩は、強くて優しい人。俺の憧れの人だ。

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