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第1章 宇宙(そら)の狼 *3*
カシスは奇妙な不快感に目を覚ました。
見知らぬ部屋にいる。
白を基調にした部屋の中は清潔感があるが、ひどく殺風景と思えた。
病院にでも担ぎ込まれたのだろうかと訝しみ、思考を巡らせそうではないと思い至る。
備え付けのベッド。部屋の中央にある丸テーブルとイス。壁の一方に備え付けられたデスクの上は、なにかをやりかけた途中らしく雑然として散らかっている。
ここは病室ではなくスターシップ(航宙船)の一室なのだとカシスは気づいた。
ならば自分は今も宙空を漂っているわけだ。
どの艦隊に配属されたのだったか。
思い返すという行為そのものに、カシスは情けなさを覚えた。配属先すら碌に覚えてもいないなんて。こんなだから現王である養父にも疎まれてしまうのだ。
艦隊を率いるどころか、スターシップでの暮らしそのものに馴染めずにいる。黒く拡がる宇宙に恐怖感すら抱いている。
満足な功績もあげられずに惑星アルケイスへ戻り、現王を失望させてしまうことが常だった。
もとより戦闘には不慣れなカシスだ。幼少の頃は辺境の惑星で暮らしていたこともあり、ここ数年で受けた戦闘への訓練も付け焼刃でしかない。
王族として生まれそれ相応の知識を詰め込まれてはきたが、実戦で活かすとなるとまた別問題だった。
リーダーシップをとるなどとは当然ながら無理な話しで、小さながらも艦隊を任されてしまい戸惑う以外に、カシスにはどうすることもできない。
今もまだ宇宙にいるのだと認識したとたんに、気持ちが暗く沈みこむほどなのだ。
せめてこの寝起きで呆けた頭をスッキリさせなければ。
霞む目を擦ろうと腕を上げる。額に翳したところで手首にはまった黒いバンドのようなものに気づき、カシスは訝しさに目を細めた。
両手に特殊合金で造られたリストバンドがはめられている。
背がギクリと震えた。
こんなものはめた覚えはない。
そして今度こそはっきりと思い出したのだ。
追っていた海賊から手痛い反撃を喰らったこと。艦隊がことごとく走行不能に追いやられたこと。海賊たちが母船にまで乗り込み襲撃してきたこと。
宇宙一の海賊として―――アウトセイラーとして名高いウルフと正面から向き合ったこと。
ビームサーベルを突きつけられ、睨みあった末にどうしたのだったか?
帝国の援軍が来ていたはずだった。海賊たちもそんなことを言っていたように思う。
なら救い出されたということだろうか?
―――いや、違う。
両手首を覆う黒のリストバンド。これと似たものをカシスは目にしたことがあった。
繋がれた囚人の手首にだ。
間違いないとカシスは確信する。自分は今、紛れもなく海賊船の一室にいるのだと。
軽い音をたて電子ロック式のシャッターが開いた。
反射的にカシスは身を起こす。ベッドの上で壁を背に後退り、警戒心を剥きだしに開くシャッターを睨みつけた。
部屋に入ってきたのはやはり思っていた通りの男で、カシスは自分の考えが間違ってはいなかったことを知る。
「ウル……フ……」
掠れた声を振り絞り、カシスはその名を口にした。
スラリとして均整の取れたバランスのよい体躯。
素肌の上にジャケットを着けている。大きくはだけた胸元がひどくセクシーだ。
女性的とも思える整った顔立ちに、今は悪戯な笑みが浮かんでいる。
「ようやくお目覚めか、王子さま?」
からかいを帯びた声の響きに気づいて、カシスはさらにきつく相手を睨みつけた。対するウルフは気にする素振りすらなく、落ち着いた歩調でベッドの傍らまで歩み寄ってくる。
「どんな気分だ? 海賊の手に堕ちるってのは?」
「………………」
睨むばかりで口を開こうとしないカシスに構わず、ウルフは続ける。
「身体に傷のひとつもないだろう? これでも丁重に扱ってやったんだぜ。なにせ大事な人質だからな」
「………………」
「帝国はこの身体にどれだけの値をつけると思う?」
伸ばされた手を避け、カシスはウルフの嘲笑を真っ向から受け止めた。
「……帝国は取引に応じない」
低く押し殺した声で告げる。
「帝国にとって俺の命には、人質としての価値など欠片もない」
幼く見える顔立ちに今は大人びた表情を纏わせて、カシスは目の前の男にきっぱりと言い放った。
現王に疎まれ続ける自分が、帝国にとって僅かの価値があるとも思えない。
その言葉をウルフはどう取ったのか。
「なるほどね」
存外に穏やかな声が呟いた。
「帝国から金を巻き上げられねーなら、奴隷市で売り払ってやるさ。あの船でも言ってやったな? わざわざ帝国と取引するより、ずっと簡単に金になる」
帝国が身代金を払わなければ奴隷市に売ると、母船で対峙したとき確かにウルフは口にしていた。
奴隷市に売るとなれば、帝国を相手に危ない橋を渡らなくてすむ。ウルフにとっては願ったりといったところだろう。
カシスは唇を噛んだ。
冷酷な海賊として名の知れ渡ったウルフのこと、やると決めれば躊躇も見せないに違いない。
奴隷という立場を甘んじて受けるほど、カシスのプライドは低くはなかった。どれほど現王に疎んじられても、アルケイスの王子としての誇りはカシスの中に息衝いている。
「今、この場で殺せ」
憤りと怒りに震える声を、カシスは絞り出した。
「殺す?」
そんなカシスを蔑むかのように、ハンとウルフは鼻で笑う。
「俺がか? 冗談じゃない。金にも得にもならんことをする主義じゃないんでね」
カシスへとウルフは顔を近づけた。
「それほど奴隷市に売られるのは嫌か? この俺に死ぬまでこき使われるのとどっちがいい?」
「な……ッ!」
言葉を失くしたカシスを面白がってでもいるのか、冗談めいた囁きをウルフは落とす。
「奴隷といってもいろいろあるぜ。こういう楽しみ方もな」
ウルフの手がスルリと布地の上から内股を撫でた。思わずカシスは腕を振り上げる。
手首にはめられた特殊合金のバンドが、ウルフの頬を殴りつけた。
互いの動きが止まる。
自分のとった行動に驚いて固まってしまったカシスとは対照的に、ウルフは見開いた双眸を細く眇めるにとどまった。
「俺の顔に傷をつけたのは、お前が初めてだぜカシス」
ニヤリと不敵に笑って、口許の血を拭う。
動きは一瞬だった。
ウルフの伸ばした手がカシスの腕を掴み、次の瞬間にはカシスの身体はベッドの上に押さえつけられていた。
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