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第2章 白き海賊船ルナティス *2*
行くあてがあるわけでもない。
行き着きたい場所ならあった。そこへ辿り着く術も保障も、カシスは持っていなかったというだけだ。
部屋を出てみたところで右も左もわからない。
闇雲に通路を突き進むしか手はなかった。
目指したのはエアーシップ(小型宙空機)の格納庫。でなければメインシステムルームだが、これはブリッジかそのすぐ傍にあるとみてまず間違いはない。
サブシステムを担うコンピュータルームが設けられているなら、そちらを攻めた方が良さそうだ。
海賊船から逃げ出せるならそれに越したことはないが、無理ならばせめてデータ収集を行い、帝国への通信手段を考える。海賊船の居場所を帝国に伝えるために、だ。
居場所を知らせれば帝国が即座に攻撃してくるでろう事実を知りながら、カシスには躊躇うことすら許されない。
いっそ死んでしまえば―――……。
清々したと侮蔑をこめ笑い飛ばされるのがオチだろうと、カシスは自嘲気味に胸の裡で呟く。
「やれるだけ、やってみるしかないんだ」
口に出してしまえば、諦めとも似た決意らしきものが湧いてくる。
右へ行くべきか、左へか。
右の通路はほんの数ブロック先で行き止まりになっているようだった。視界のすぐ先で通路が遮断されている。
カシスは左側の開けた通路を進むことにした。
右が遮断されているとは言っても、シャッターが下りているというだけで開けばなんとかなりそうだが、ぐずぐずと時間ばかりをかけるわけにもいかない。
ともかく部屋を出ることが先決だ。
船のセキュリティが甘いことをカシスは祈った。
部屋を抜け出し船内を歩き回って、捕まれば殺されても文句の言える立場でないことは重々承知している。
死ぬならせめて功績のひとつでもあげてからにしろと、冷え切った眸をした教育係あたりなら言いかねない。
帝国での優しい思い出なんてほとんど持たないと言っていいカシスだったが、それでも戻りたいと思うのはおかしいだろうか?
帰りたいと思うのは……。
蔑みや嘲笑や、そういった視線に晒される生活は、とても慣れるものではないけれども。
カシスは手首にはめられた奴隷としての証を、一方の手で憎々しげに握りしめる。
奴隷として生きることを易々と受け入れるわけにはいかない。
海賊に捕らわれた生活など真っ平だった。
逃げるしかないのだ。
どんな手を使っても。
人の気配がないことを確認し、カシスは左へ向かう通路を素早く駆け抜けた。
*―――*―――*―――*―――*
カシスが船内をうろついても、警報らしきものは鳴り響かなかった。
監視カメラの類も見当たらない。
セキュリティが甘すぎるように思う。
海賊船だからこんなものなのか?
ウルフの抜け目のなさから言えば、それはないように思えるのだが。
「買いかぶってるだけかも」
自分を捕らえた海賊に対しカシスが畏縮してしまっているのは、哀しいかな事実だった。認めたくはなくともカシスはウルフに対し本能的な恐怖を抱いてしまっている。
見つめられれば身体が竦む。
どんなに抵抗しても敵わないと知り、手足が強張る。
今も、あのきつい光を宿す双眸を思い返すだけで、背にぶるりと震えが疾るのだ。
気を強く持たなくてはと思うのに、こればかりは如何ともしがたい。挫けてなどいる場合ではないと、誰よりカシス自身がわかっていてもだ。
壁に身を寄せ伝うようにして、カシスは通路を進んでいく。
T字路で人の気配を察し息を殺したカシスは、なにやら熱心に話しこみながら足早に過ぎていく男ふたりの姿が見えなくなると、彼らがやってきた方向へ身を躍らせた。
だがなぜだか、すぐ2ブロック先でぶ厚いシャッターに行く手を阻まれる。
男たちがこの通路を通ってきたことは間違いない。なのに路は堅く閉ざされているのだ。
どれほど眸を凝らそうと、壁にもシャッターそのものにも開閉を促す制御版らしきものは見つからない。
だったらあの男たちはどこを通ってきたというのか。
「この船はどういう……?」
シャッターに触れ、カシスは俯く。
特殊なシステムに守られているということだろうか。最先端の技術を持つ帝国とて知りえないような、特殊なシステムに。
「―――……ッ」
じっとしてもいられない。
カシスは振り向き、元来た路を戻る。
背に腹は変えられず、男たちが姿を消した方向へカシスも進んだ。
彼らの後をついて歩くような真似はしたくなかったが、結果としては仕方あるまい。せいぜい見つからないように気配を殺すことにカシスは努める。
足音を忍ばせつつ駆けていくと、数ブロック先で男たちの背に追いついた。話しに夢中になり時折立ち止まっているらしい。
遠くからふたりを窺い見ていたカシスは、彼らが歩きはじめると同時にすぐ前のシャッターが下りてくるのを見て慌てた。天井から床を目掛け音もなく下りたシャッターは、無情にもカシスの進路を閉ざす。
男たちと距離を取っていたせいで、カシスは間に合わなかった。円形のフロアーにただひとり取り残される。
「なんなんだよ、いったい!?」
カシスは両の拳を握りしめ、力任せにシャッターへ打ち付けた。
もちろん、そんなことをしてみたところで、閉じたシャッターはビクともしない。
ダン、ダンと音を響かせ、2度3度と打ち付ける。
その音を聞きつけたわけでもないのだろうが……。
「おい、お前ッ」
カシスが来た通路に男の姿があった。
己の迂闊さを呪う間もない。
男はすぐに近づいてきた。
進行方向の路は閉ざされ、退路も断たれてしまう。
さして広くもない3メートル四方のフロアーだ。逃げ場はない。
手を伸ばせば届くギリギリの位置まで来て、男は止まった。
大柄な男だった。優にカシスの倍はあるかと思われるほどの、ずっしりと厚みのある体躯をしている。
カシスが隙を突き逃げ出そうと動きを見せた瞬間に、男の手が腰のビームサーベルを抜きカシスの喉元へ切っ先を突きつけた。
見かけによらない敏捷さに、カシスはただただ息を呑む。
油断なくカシスを見据え、男は声を張り上げた。
「キャプテン、聞こえますかい? キャプテン」
『―――ああ、聞こえてるぜ、ライアス』
どこからともなく応える声がフロアーに響く。
『どうかしたのか?』
「仔猫が逃げ出して、船内をうろついてますぜ」
『どこにいる?』
「第3デッキ」
『第3? ……近いな』
ニヤニヤと人の悪い笑みを見せ居場所を伝えるライアスに、応える声も薄く笑う気配を持つ。
部屋からそんなには離れていない場所だ。
せっかく脱け出したものの、部屋からそう遠ざかることもできずにあっさり捕まったカシスを、どうやら嘲っているらしいと知れる。
悔しさに歯噛みするカシスをからかうように、ライアスはサーベルの切っ先をさらにカシスの咽喉へ近づけた。
「キャプテン、この仔猫はどうします?」
『部屋に放り込んでおいてくれ』
「アイアイサー」
ライアスのサーベルを前に、カシスには反論の余地すら与えられない。
自分を見下ろす巨漢へ向け、カシスは負けん気の強さをありありと覗かせ、剣呑な眸つきで睨みつけていた。
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