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第2章 白き海賊船ルナティス *5*
目覚めは最悪だった。
カシスは毛布にくるまりベッドの上で丸くなる。
いつも最悪なのだ。今日に限ったことではない。
原因をつくった男は隣にいて、今も穏やかに寝入っている。
先に起きてすぐ部屋を出て行ってしまうウルフには珍しく、カシスがもぞもぞと動いていても目覚める気配がない。
静かに瞼を閉じる男の顔を、だがカシスは眺める気になれなかった。
カシスは赤くなった頬を毛布に押し付ける。
目覚めが悪いのは、なにも身体が辛いからばかりではない。こみあげる羞恥にいたたまれなくなってしまうからだ。恥ずかしさに宇宙服すら身に着けず、真空の闇へ飛び出してしまいたい心持ちになってしまうからだ。
ウルフの顔を見れば嫌でも昨夜の醜態を思い出してしまう。
いやたとえ彼の顔を見なくとも、記憶は鮮明だった。
やめて欲しいと言いながら縋りついてみたり。
耐え難い行為を受けながら「イカせて」なんて口走ってみたり。
どれもこれも恥ずかしいことばかりだ。
カシスは毛布の中で小さく唸り声をあげる。
心を置き去りにしたまま、身体だけがどんどん慣らされてしまう。
逃げ出してもあっさり捕まり、結局は元の木阿弥だ。
カシスの手にギュッと力がこもる。
それでも諦めるわけにはいかない。
なんとか……。
なんとかしないと……!
焦りもあったのだ。
追い詰められてもいた。
ベッドの下に転がったものを目にした時、カシスは無意識の行動に出た。
床に転がるジャックナイフを手に取る。
カシスが昨夜ウルフに向かって切りつけたナイフだ。それを手の中に握り締める。
決断と呼べるものがあったかどうか。
一瞬の戸惑いもなく、カシスはナイフを振り下ろした。
ナイフの鋭い切っ先がウルフの頭部に切りかかる。
だがすんでのところで切っ先は狙いを外し、枕に深々と突き刺さった。
「おおっと、残念」
おどけた風な口振りで、ウルフは呆れたように苦笑している。
眠っているとばかり思っていたのに、ナイフが振り下ろされた瞬間、ウルフは咄嗟に切っ先から身を避けたのだ。
「朝から随分と情熱的だな。え? 王子さま? 昨夜みたいなのじゃ物足りないか?」
「…………クッ」
深く刺さったナイフを抜くこともできずに、カシスはウルフの顔を睨みつけた。
その強がった態度が可笑しいらしく、ウルフは咽喉でクツクツと笑う。
「ねだってみせろよ。『シテください』ってさ。そうすれば今までよりもっと感じさせてやるぜ?」
「ふざけるな……!」
頬に触れようとしたウルフの手を、片手で払い除ける。
カシスは悔しさに唇を噛んだ。
同じことの繰り返しだ。
逃げ切ることができなければ、ずっとこのまま。
狭い部屋に押し込められ、好きに弄ばれて、いいかげん頭がおかしくなる。
「これ以上触ったら許さない」
「……どう許さないんだ?」
悪戯な目をして、ウルフはカシスの顔を覗きこんだ。
「許さないならどーする? 言ってみな、カシス」
「―――…………ッ」
言い返せずカシスは押し黙る。
応えなど返せないと知って、わざとウルフはカシスをたきつけるのだ。そうしながらウルフの手はカシスの黒髪を柔らかく撫でた。
とたんにカシスの背が強張る。
結局また繰り返し。
同じことばかり何度も何度も。
諦めにも似た気持ちに、カシスの手が力を失くす。
訪れた沈黙を破ったのは、だが無機質な呼び出し音だった。
『キャプテン、キャプテンッ』
「―――聞こえてる。なんだ?」
スピーカーから届く切迫した声にウルフは応える。モニターは切られていて相手の姿は分からない。
『電気系統に異常発生。ダクトにも問題ありです』
「ダクト……空調か。わかったロイ、すぐ行く」
『アイサー、キャプテン』
顔を見なくとも声だけで誰彼と判断をつけ応えを返すウルフに、相手も当然のように返事を寄越す。
カシスには馴染みのない光景だが、同じ船に乗る者であればこれが当たり前と言っていい自然な姿なのだろう。
ぼんやりと見入ってしまっていたカシスをどう思ったのか、ウルフもまた言葉もなくカシスを見ていた。
目が合うとすぐさまカシスは剣呑な色を双眸に浮かべる。
カシスよりも僅かに早く、ウルフは悪戯な色をその目に取り戻していた。
「ご期待に添えなくて悪いな王子さま」
「……るさい」
「そのうちじっくり相手してやるさ。今まで以上にな」
さらりと言って部屋を出て行く。
ウルフの背を険しく睨みつけていたカシスだったが、彼の姿が見えなくなるとゆるゆると息を吐いた。
ナイフの突き刺さった枕の横に、ポスンと顔を埋める。
変わらないのだ。
なにひとつ。
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