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第2章 白き海賊船ルナティス *6*
とりたてて厄介事もない穏やかな日が続いていた。
ブリッジの中央に配された、コンソール(制御盤)のずらりと並んだ操舵席に、ウルフは深々と腰を下ろしている。
他より数段高い位置にあってブリッジ全体を見渡すことのできるその場所は、キャプテンであるウルフの特等席だ。
コンソール脇のモニターには海賊船内外のあらゆるデータが映し出される。姿は見えなくとも、逐一変化するデータの波を見ていればクルーたちの働きぶりは手に取るように分かった。
正面は緩やかな曲線を描く窓をかたどった、床から天井までの高さの巨大スクリーンとなっていて、深い闇と星々の光が織り成す大宇宙の姿を目にすることができる。
ウルフは粗野な態度で長い足をコンソールの上で組み、文字通り踏ん反り返っていた。
船はオートパイロット(自動操縦)で航行を続けていたし、いざという時でもなければウルフが舵を取ることはない。通常航行での船の操縦は、数人のクルーが持ちまわりで担当しているからだ。
「オーク」
計器類を見つめチェックを行っている副官に、ウルフは声をかけた。
「電気系統は?」
「今のところ異常はない。ダクト(空調)も正常だ」
「よし。まずまずだな」
ウルフは大きく伸びをする。
異常ありとの報告を受けてから、宇宙標準時間で丸2週間かかりきりだ。
そのひとつひとつは些細な故障に過ぎないが、宇宙空間では僅かな異常が時に命取りと成り得る。微に入り細に入り気を遣っても、気を遣いすぎることにはならない。
真空の宇宙で空調設備に異常が残るとなれば尚更だ。
モニターに残っていたイエローランプがグリーンに変わるのを確認しながら、ウルフは四肢を弛緩させた。
普段の敏捷さをかなぐり捨てた彼だが、それでも充分に野生のしなやかさをその身に漂わせている。
うっすら目を閉じ気だるく四肢を投げ出す姿は、狩りを終えた獣が悠々と大地に寝そべる様を思わせた。
けれどウルフが深く穏やかな息をついていられたのも束の間でしかない。
柔らかな静寂を破り突然けたたましく鳴り響いた警告音に、ウルフは身体中に緊張を奔らせ、コンソールに乗せていた両脚を床に下ろした。
「なんの騒ぎだ!?」
声を張り上げる。
すぐさま応えは返ってきた。海賊船には不似合いな女の声でだ。
『メインシステムに侵入者あり。マスタープログラムへ不正にアクセスを開始』
「ハッキングか? どこからだ?」
『ライブラリーのサブシステムよ』
「この船の中からだって言うのか?」
『イエス、キャプテン』
神妙に返事してから、女は涼やかに笑い声をたてた。
『ついでに言っておくなら、《彼》はあなたの部屋から出てきたわ』
「俺の部屋から?」
とたんにウルフは呆れたように肩を竦め、唇の端を上げてみせた。
「あいつ、また逃げ出したのか。まったく懲りねーヤローだな」
『ねぇキャプテン、彼が噂の王子様ね?』
女の声が浮き立つ。明らかな好奇心が顔を覗かせていた。
『彼に逢いに行っても構わない?』
「ああ」
ウルフは頷く。
駄目だと言ったところで聞きやしないだろう。今にも跳んで行ってしまいそうに、声がはしゃぐ響きを持っているのだ。
「ヤツを止めてこい」
『イエッサー、キャプテン』
短く告げたウルフに、嬉々として声は応えた。
通信が切れるとブリッジに再び静寂が戻る。だが戻った静けさの中には、それまでとは違う種類の空気が纏いついていた。
ウルフと女との遣り取りに耳を澄ませていたクルーたちが、広いブリッジのそこかしこで目配せしあっている。
ぐるりを見回してから、ウルフはコンソールをコツコツと指で叩いた。
「お前ら―――なにが言いたい?」
「いやいや、さすがのキャプテンでも今度ばかりは勝手が違うようだってね」
操舵システムの補助にあたっていたディックが、冷やかしをこめ口にする。
「帝国の王子が相手じゃ、飼い馴らすのも大変だ」
「まったく、手を焼かされるぜ」
大袈裟にウルフが両手を挙げて見せると、ブリッジにどっと笑いが起こった。
昼も夜もない宙空を漂うばかりの代わりばえのない生活の中で、カシスが繰り返す逃走劇は海賊たちのちょっとした退屈凌ぎとなっていた。船内を揺さぶる大捕り物とはいかないが、少なからず刺激剤となっていることは確かだ。
僅かの時間の追いかけっこを、海賊たちは心密かに楽しんでいた。そうと知ってウルフも、あえてカシスを今以上に縛りつけようとはしない。
「気長に飼い馴らすさ」
軽い冗談を口にするようにウルフは言った。
「どう足掻いたって、この船から逃げ出せるってわけでもないからな」
操舵席から立ち上がる。
明るく続く軽口をさらりとかわしながら、ウルフはクルーたちに後の指示を与えブリッジを出ようとした。
どこへ行くかなど、クルーたちも承知している。それぞれの視線に見送られ、操舵席からウルフは離れた。
唯一誰しもの目から死角となるコンソールの陰で、呼び止めたのはオークだ。
「ウルフ」
「…………」
立ち止まったウルフはスッと細めた目でオークを見た。
気づかないフリはできない。
どちらもが続く言葉を知っていた。あえてオークは言葉にしようとするのだ。
「―――彼は帝国の王子だ」
分かりすぎた事実を。
「アウトセイラー如きが、どうこうできる存在じゃない」
討伐隊を相手に遅れなどとったことのないウルフたちと言えども、シェルタランダ星系を統治する帝国アルケイスの強大な力はやはり脅威だ。
王子であるカシスを攫われ、帝国が黙っているはずなどない。
間違いなく追っ手がかかる。遠い先ではなく、限りなく近い未来に。
「いずれは手放すことになる」
望むと望まざるとに関わらずだ。
気紛れで手中に収めておけるほど、生易しい相手ではない。
奴隷の腕輪ひとつで繋いでいられるほど甘くはないのだ、帝国の王子という存在は。
「彼は必ず帝国に戻ることになるんだ、ウルフ」
「―――分かってる」
オークの顔を見ず、ウルフは静かな声でそれだけを応えた。
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