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第2章  白き海賊船ルナティス  *7*

 幾度こんなことを繰り返しただろう。  狭い通路をひた走りながらカシスは思う。  なんどもなんども逃走を繰り返しては部屋へ連れ戻されるといった日が続いている。  カシスの行動はかなりのところ海賊たちに筒抜けであったし、もちろんカシスもそれは重々に承知していた。  カシスの逃走は海賊たちにとってほんのお遊びでしかない。追われるカシスの切迫した立場とは異なり、彼らは状況を楽しんですらいる。  そこに必ず油断が生まれると、カシスは考えていた。  油断が隙を生む。  海賊たちが招く僅かの隙を、カシスは狙っているのだ。  滅多やたらに走り回るかに見えるカシスの逃走は、その実明確な目的を持っていた。  船内の構造を、まずは頭の中に叩き込むこと。  気紛れとも思えるセキュリティシステムに阻まれ、海賊船の中を自由に動き回ることはできない。それでも繰り返す逃走のうちに、カシスは海賊船の内部を僅かずつではあるが把握しつつあった。  まだ見たことのないブリッジの場所も、どの方向にあるのかカシスはとっくに理解していた。  そしてこの日、カシスにとっては実に幸運なことに、ライブラリーを探し当てることに成功したのだ。 ■■□―――――――――――――――――――□■■  ライブラリーへ足を踏み入れた瞬間に、カシスは胸を高鳴らせた。  データがぎっしりと詰まったディスクが、広い室内の壁一面をずらりと覆い尽くしている。  足下から天井まで隙間なく埋め尽くされたディスクの数々。そこに収められたデータの全てを検索することのできるコンソールシステムは、カシスがかつて帝国ですらお目にかかったことのないような代物だった。  ガラス張りとも見える透明なデスクに手を置いてみる。たちまちにして淡い光がデスクの上を走り、いくつもの文字キーが映像となって浮かび上がった。  カシスは驚いて思わず手を引っ込める。怖々と指先で文字キーのひとつに触れると、今度はデスクの正面に巨大なスクリーンが現れホログラム(立体映像)を映し出し始めた。  まずは映像の美しさに、そしてシステムの反応の速さにカシスは感嘆の息を洩らす。  これだけのシステムをカシスは目にしたことがない。  科学技術の最先端をいく帝国であっても、これだけの性能を持つシステムは開発されていなかった。  検索をかければ、瞬く間にデータがはじき出される。  始めこそ恐る恐る指を触れさせていたカシスだったが、慣れてくると次第に好奇心が指を走らせるようになった。  恐ろしく数のあるデータの中から、航宙船のデータだけを選り分けていく。  クリアな立体映像で様々な船の姿が映される中、ひときわ目を引く美しい船影がスクリーンに浮かび上がった。 「これが…………」  カシスは思わず息を呑む。  黒く闇ばかりの宇宙に、ひっそりと浮かぶ白い船影。儚げとすら形容できる繊細な曲線は、伝説に伝え聞く幻の不死鳥フェルネスを思わせた。  これが海賊船だというのだろうか。  これほどに美しい船がそうだと。  だがデータはこの白き船が紛れもなくカシスが現在身を置く船であることを告げている。  ならばここで躊躇している暇はない。 「このシステムからなら……ッ!」  カシスは再びキーを操作した。  今度は検索ではなく、コマンドを片っ端から打ち込んでいく。  マスタープログラムへのアクセスを試みる。うまくセキュリティを解除できれば、あるいは船からの脱出が可能かも知れない。  知らず指先に力がこもった。  緊張に汗ばんだ手が、けれど次の瞬間にビクリと止まる。 「ク……ッ」  カシスは唇を噛み締めた。室内にエラー音が鳴り響く。 『マスタープログラムへの不正アクセスを感知』  電子頭脳のものだろう女の声に、カシスは掌を握りこんだ。悔しさに全身が震える。  ハッキングの腕には自信があった。これほど早く知られるほど、稚拙な技を使ってはいない。  この船が持つセキュリティが、呆れるほどに高度なのだ。 『不正アクセスを感知。不正アクセスを感知』 「うる……さ…………」 「あなたにこれ以上のアクセス権限はないわ、帝国の王子さま」 「―――!」  声に振り向いたカシスは、驚愕に目を見開いた。  目の前に女が立っている。美少女がと言ったほうが正しいだろうか。  後頭部で束ねポニーテールにしたプラチナブロンドの髪が、肩にふわりとかかる。  湖水を思わせるアクアブルーの双眸は長い睫毛に縁取られ、唇は紅く艶やかに輝いていた。  短パンからスラリと伸びる両脚は細く華奢で、ビキニに近いシャツの上から着込んだジャケットも丈は短く、腰の細いラインが素肌のまま晒されている。  優しい面差しに勝気な表情を覗かせる様が、なんとも愛らしい。 「残念ながらマスタープログラムへのアクセスは、キャプテンの許可が必要なの」  彼女はクスリと微笑んでみせる。  カシスは自分の目を耳を疑った。 「キイ・ブレイン……?」  まさかと思う。  目の前に立つ彼女がホログラム(立体映像)だ、などとは―――。  けれど疑う理由とてない。  カシスにしても背後に突然彼女が現れたのでなければ、とても信じてはいなかった。  これほどクリアなホログラムは見たことがない。  これほど感情を―――表情を持つキイ・ブレインもだ。  船の航行にはサポートのため電子頭脳―――キイ・ブレインを使う。通常キイ・ブレインは女性の姿を持つことが多いとされるが、音声にしろ映像にしろあくまでも作り物の合成に過ぎず、どこまでも無機質だ。  良くも悪くも機械的なのだと言える。  ところが彼女はまるで違う。  悪戯っぽくカシスの顔を覗きこみ、楽しげに笑みを洩らす。  キイ・ブレインには有り得ない感情を、彼女はありありとその表情に浮かべていた。  唯一彼女の気配だけが、生身が持つ確かな形を持てずに、あやふやで不確かな存在へと彼女を位置づけるのでなければ、だ。

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