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第3章 闇よりも黒き淵 *4*
ウルフが部屋を出て行ってしまうと、残されたカシスは戸惑いばかりが先にたち、なおのこと動けなくなってしまう。
最初のきっかけが肝心なのだとは思うが、タイミングを計ることもままならない。
「話を聞かせてやれ」などと言われたから、余計な緊張をしてしまうのかも知れなかった。なにを話せばいいのか、どう切り出せばいいのか悩んでしまう。
動けずにいるカシスを気遣ったのか、先に動いたのはシアだった。
イスに駆け寄り座り込むと、テーブルごしにもう一方のイスをカシスに示す。
座れということらしい。
断る理由もないので、カシスは大人しくそれに従った。
イスに軽く腰掛けながら、ふとひとつのことにカシスは気づく。シアの声をまだ1度も耳にしていないことに。
ウルフとはなんらかの遣り取りをしていたようにも見えたが、シアの声を聞いたわけではない。
奴隷の身分にあると読み書きはもちろん、言葉が不自由なことも多々あると聞く。奴隷として買われる者たちは、シェルタランダ星系における公用語を一生を通じて習うことのできない場合が多いからだ。
けれどシアは公用語を知らないわけでもなさそうだった。
ウルフとの遣り取りを見ていれば明白だ。声は出さなくとも、ウルフの言葉にシアは理解を示していた。
声を出すことを禁じられているのかも知れない。これも奴隷にはよくあることだと聞く。
主人に決して逆らわぬよう、余計な手間や煩わしさを省けるよう、奴隷が発する一切の言葉を禁じてしまう。それならシアが声を出さない理由も納得がいく。
ただウルフがそんな風にこの少年を扱っているのかと考えると、甚だ疑問だ。
ウルフがシアに向ける眼差しは、穏やかに優しい色を含んでいた。シアがウルフに向けた屈託のない笑みから見ても、奴隷として言葉すら禁じられるほどぞんざいな扱いをされているとは考えにくい。
不思議に思いシアを見ているうちに、カシスは目の前の少年のしている首輪が通常の物とはまるで違うのだということに気がついた。
首輪にしろ腕輪にしろ、奴隷がはめる物は肌にピッタリと密着する特殊合金で造られる。柔らかな質感だが素材は頑強で、簡単には外すことができない。
もちろんカシスが両手首にはめられている腕輪にしても、例外ではなかった。
だがシアの首に着けられた物は他とは違う。左脇に付いた飾りが留め具になっていて、簡単に外せてしまえそうなのだ。
好奇心に引き摺られ、カシスはそっと手を伸ばした。
もしも本当に外すことのできる首輪ならば、着けていることになんの意味もなくなる。
カシスの指が僅かながら首輪に触れたとたんに、驚いたシアは大きく後方へ身を退いた。
行き場を失くし空で止まったカシスの手を前に、シアは首を横に振ってみせる。
緑の双眸がいけないことだと告げていた。
無言のまま、ダメなのだと諭されてしまう。
「どうして?」
外せるものなら外してしまえばいい。
奴隷の証など、屈辱でしかないはずだ。
「どうして?」
カシスは問いかける。
カシスの腕輪とは違う。シアの首輪は今すぐにも外すことができるのに。
けれどシアは首を横に振る。カシスに向け仕方なさそうに笑った。
ひどく大人びた笑みに、カシスは眸を奪われる。
シアの手が首輪を僅かに上へずらした。晒された咽喉にくっきりと傷痕が残っている。
おそらくは深く深く傷つけられた痕だ。
眸を瞠るカシスの前で、シアはただ穏やかに笑っている。
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