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第3章 闇よりも黒き淵  *5*

 傷痕を見てしまったことで酷くショックを受けたカシスだったが、シアの方はと言えばとりたてて気にする風でもなかった。  少年が首輪で隠している傷痕を無理に晒させたことをカシスは詫びようとしたが、逆にシアは気にしないで欲しいというように止めてしまう。  かわりにシアはカシスに話を聞かせてくれるようせがんだのだ。  ウルフが言ったように、シアはカシスの話を何時間でも聞きたがった。どんなに下らない話も楽しそうに聞いている。  同じ話を繰り返し聞かせても、シアは厭きた様子も見せなかった。気に入った話は何度も何度も聞きたがる。  とりわけ帝国惑星アルケイスにおける歴代の王たちの話は、シアにとって刺激的なものらしかった。  戸惑いながら話すうちにカシスもコツが掴めてきて、日がたつにつれカシスはより長い時間をシアと過ごすようになっていった。 ■■□―――――――――――――――――――□■■  その日カシスはシアを連れライブラリーに来ていた。  ここ数日はライブラリーで過ごすことが多くなっているふたりだ。  シアの部屋に近く、映像や音声の資料も数多く揃っている。カシスがシアに話を聞かせるにはうってつけの場所だと言えた。  どこかの惑星の遺跡を投影させたスクリーンを見ながら、カシスは肩を並べて座るシアへ問いかける。 「次はどんな話をしようか?」  期待に眸を輝かせて、シアの指がデスクの上を舞い始めた。  鮮やかな光が右に左にと流れて見える透明なデスクは、処理能力の速さを誇るシステムのコンソール(操作卓)となっている。  シアの指は拙い動きで、デスクの上に映像として浮かぶ文字キーを操作した。  機械に疎く文字の読み書きすらろくにできないシアを相手に、カシスは根気よくシステムの簡単な操作法を教えていた。その成果があって、シアも好きな分野の映像くらいなら投影させることができるまでになっている。  シアが選んだのは帝国で3代目の王となった男の姿だった。冒険好きな変わり者の帝王として有名で、数々の逸話を残した人物だ。  辺境の惑星ラヴァルに辿り着いた、1番最初の人物でもある。 「また彼の話?」  カシスは苦笑した。  この帝王はシアの大のお気に入りで、かれこれ10数回は話して聞かせたのだ。 「同じ話になるよ。それでもいい?」  カシスの問いかけに、構わないとシアは首を縦に振る。  カシスは指をデスクの上に走らせた。たちまちにして辺境の惑星ラヴァルの映像がスクリーンに映し出される。  深緑の樹々。澄んだ空の青。眸に飛び込む自然の恵みに満たされた大地の風景に、殻に閉じこもり頑なになろうとする精神が癒されていくようだった。 「3代目の帝王は1ヶ月間宇宙を彷徨った末に、このラヴァルを見つけたんだ」  カシスの声を聞きながら、シアがウットリと映像に見入る。カシスもまたラヴァルの風景を見つめていた。  懐かしさに眸を細めながら。 「―――俺はね、ラヴァルで育ったんだ。生まれてから帝国に引き取られるまでずっとね」  ラヴァルでの暮らしは楽しかった。誰もがカシスを愛し、カシスもまた彼らを愛していた。  母親の死がカシスを取り巻く世界の全てを変えたのだ。  帝国の人々はカシスに対しよそよそしかった。  現王の息子として受け入れられない。王の血を引いていないからなのだとは、カシスも理解できる。  分かってはいても寂しくて。  帝王になろうなどと大それたことは考えていない。ただ王子である自分自身を王族として受け入れてもらいたくて、カシスは懸命に努力してきたのだ。  全ては帝王の期待を満たす結果とならなかったけれども。  カシスはポケットからペンダントを取り出した。幼い頃に母親からもらったこのペンダントが、唯一の心の支えだ。 「ほら、これはね帝国の紋章が象ってあるんだ。俺が小さかった頃に母上から頂いたもので、王族の証だからって……」  あなたは王族の血を引く、帝国の王子なのだからと。  彼女の言葉がなければ挫けていたかも知れない。  王族として誇りを持てと言った彼女の言葉がなければ。  カシスの手を覗き込み、シアは感嘆の息を洩らしている。  陶酔に潤んだ眸が、ペンダントを着けて見せて欲しいとカシスに訴えた。 「え? これを?」  言葉はなくともシアの言いたいことはすぐに分かる。  眸を丸くするカシスにシアはこっくりと頷いた。 「……ごめん。ダメなんだ」  期待を裏切ってしまうことを心苦しく思いながら、カシスは謝る。シアにペンダントの鎖の部分を翳して見せた。 「ここね、切れちゃってるだろ? だから首にかけるのは無理なんだよ」  シュンとしょげてしまったシアに、カシスはもう1度ごめんねと謝罪の言葉を口にする。  この少年の期待には応えたいが、こればかりはどうにもならない。  失敗したなとほんの少し落ち込みながら、カシスはペンダントを元のポケットにしまいこんだ。  気を遣わせて悪いと思ったのか、顔を上げたシアがカシスに微笑みかける。ごめんなさいと言いたげなのが見てとれて、カシスも「いいよ」と笑いかけた。  穏やかに安らいだ空気がふたりの間を流れる。  その空気を破ったのは、低くぶっきらぼうな声だった。 「―――時間だ、カシス」  聞き慣れた声にハッと振り向く。  壁に寄りかかり立っていたのはウルフだった。  時間……?  そうだ、昼食の―――!  いつからそこに立っていたのか、気配にも気づけなかったとは迂闊だった。  カシスは慌ててイスから立ち上がった。  いつにも増して冷ややかに、ウルフはカシスを見つめている。 「ルナ、部屋までシアを連れて行ってやれ」 「イエッサー、キャプテン」  不意に目の前へ現れたルナが、シアをライブラリーの外へと促す。   ウルフも壁から離れライブラリーを出ようとした。  躊躇しながらも、カシスはその背を追ったのだった。

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