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第3章 闇よりも黒き淵  *9*

 部屋で目覚め、カシスは不思議と安堵した。  見慣れた部屋はウルフのものだ。カシスだけに与えられた部屋はない。  数ヶ月をここで過ごし、すっかり馴染んでしまった部屋だった。妙に落ち着いてしまっても、なんら不思議はない。  思えばこれほど長く宇宙へ出たのは初めてだ。苦手だった船での暮らしが、心地好いと思えるほどになっている。  ベッドを降りようとしたカシスは、身の裡にある鈍痛に顔を顰めた。とたんに先刻ウルフに無理を強いられた通路での一件が思い起こされる。  再びベッドに転がり、カシスは真っ赤になった頬をシーツへ埋めた。誰に見られたわけでもないが、恥ずかしくて堪らない。  これがなければ良いのにと思う。  これさえなければ―――なんだと言うのだろう。  帝国の王子が海賊船に捕らわれて、すっかり馴染んでしまっているなんて。  本当にそれで良いと言えるのか?  カシスにとって海賊船での暮らしは、居心地の悪いものではなくなっている。  逃げることなど無意味だと思えるほど。  いつかはこの船を降り、帝国へ戻らなくてはならない。そんな始めから決まりきっていることすら、忘れてしまいそうなほどにだ。  グレンの食べさせてくれる食事が温かなものだったり、シアと過ごす時間が優しく穏やかなものであったり。  そんなものはまやかしだ。  ウルフが強いる行為に慣れ、もたらされる快楽を享受して。  帝国の王子としての誇りをなげうって、それでも良いと本当に言えるのか?  カシスは顔を上げる。のろのろとベッドを降りた。  身体がさほど辛くないのは、ウルフが手加減してくれたからだろうか。自分の身体が慣らされたせいなのだとは、考えたくないけれど。  このままじゃダメになる。  カシスは切なく息を吐く。  ここにいたらダメになる。  このままここにいたら、きっとダメになってしまう。  気の好い海賊たちに囲まれ、帝国での暮らしを忘れて。  そんなものは夢物語だ。  決して現実とは成り得ない幻だ。  いつか自分は帝国へ還る。そう遠くはない未来に。  いつか―――それがほんの僅かでも先になればいいと、カシスは思わずにはいられない。  願ってはいけないことなのだと知りながら。 ■■□―――――――――――――――――――□■■  部屋を出ようとしたカシスは、扉が開いた瞬間ぶつかってきた相手に驚愕の声をあげた。 「シア!」  ひとりでは部屋を出ることのないシアだ。そのシアがカシスの姿をしっかりと見据え立っている。 「誰かに連れてきてもらった?」  思わず問いかけると、シアは違うと首を振った。 「ひとりで?」  今度は満面の笑みでそうだと頷く。  朝と昼に数時間ずつ、シアとともに過ごすことが日課になりつつあったカシスだ。  時間が過ぎても姿を見せないカシスを心配して、シアはひとりで部屋を出たのだろう。  カシスの胸が熱くなる。  無条件に慕われることが、これほど幸せなものだとは思わなかった。 「シア……」  泣きたいような気持ちになる。  決して同じ場所にはいられないのに、同じ時間を過ごせるわけがないのに、バカみたいに祈りたくなってしまう。  あと少し…………あと少しだけ、どうか同じ時間を、と。  カシスの思いを嘲笑うかのように、船内に爆音が響いた。  激しい衝撃。  咄嗟にカシスはシアの身体を腕の中に抱きこむ。  船体の揺れに脚をすくわれ、ふたりの身体は床に崩れ落ちた。 「ク……ッ」  抱きこんだシアの身体ごと、カシスは床に叩きつけられる。  なにが起こったというのか。すぐには判断がつかない。  通路中に喧しく警告音が鳴り響き、ルナの声が敵艦からの発砲を告げて、カシスにもようやく状況が飲み込めた。 「帝国の船なのか?」  カシスは身を起こす。 「シア、大丈夫だった? 起きれる?」  平気と頷いて見せ、シアも身体を起こした。  不安に揺らぐ双眸がカシスを見つめる。  シアを立ち上がらせ、カシスはその眸を覗き込んだ。 「いいかいシア、部屋に戻ってるんだ。行けるだろ?」  シアは嫌だと首を振る。今にも泣き出しそうな眸をして、常にない強情さをみせる。  ひとりで残されれば恐怖は募る。カシスにとっても痛いほどに覚えのある感情だった。 「シア」  カシスは決心する。  このままシアをこの場に置いて行くわけにもいかない。 「おいで、ブリッジに行こう」  差し出したカシスの手を、シアが強く握り返した。

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