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第3章 闇よりも黒き淵 *10*
カシスはシアを連れブリッジに向かう。
赤く明滅を繰り返す警告灯に急かされるように、ふたりは通路を走った。
ブリッジが近くなると、大きな喧騒とともに忙しなく行き交うクルーたちの姿が見える。
不意にシアの脚が止まった。引き止められる形となり、急なことにカシスは驚く。
「シア?」
立ち止まったシアの身体は可哀想なほど震えていた。
怯えている。眸の前の光景に。
いや……クルーたちの姿に、だ。
「シア…………」
怖くて堪らないというように、シアの肩がビクビクと揺れる。
視線の先には、緊張に顔を強張らせる荒くれ者たちの姿があった。
かつての記憶が呼び起こされるのだろうか。
奴隷として蔑まれた記憶か、それとも咽喉を掻き切られた忌まわしい記憶だろうか。
そのどれだともカシスには知りようがないけれども。
カシスはシアの肩を抱いた。
「シア、平気かい? 行ける?」
こんな状態のシアを連れ歩くことに抵抗を感じながら、けれど置いていくわけにもいかずカシスは先へと促す。
シアは不安に揺らぐ眸を向けながらも、どうにか頷いてみせた。このままカシスの足を引っ張りたくないと、シアなりに考えたようだ。
「行こう」
再びカシスはシアとともに走り出す。
ふたりがブリッジに入るなり、凛とした声が鋭く響き渡った。
「ルナ、ジャンプの準備!」
『第3、第4エンジンに損傷あり。ジャンプは不可能です』
「クソッ、大人しく引き退がらせてはくれねーってわけか」
ウルフが操舵席で舌打ちを洩らす。
その姿を見るなり、シアが弾かれる勢いで駆け寄った。
「シア!? なんでここにいる!?」
ウルフは眸を丸くして、数段高い位置にある操舵席へ駆け上ってきたシアを抱きとめる。すぐにカシスの姿に気づき声を荒げた。
「わざわざシアを連れてくるなんて、どういうつもりだカシス?」
「俺だってシアのことが心配で……ッ」
1度は切れたはずの警告音が喧しく鳴り響く。
カシスは言葉の先を続けることができなかった。
ウルフが剣呑に眉を顰める。
「うるせーぞ、ルナ!」
『敵艦の主砲、ロックオンされました』
「分かってるッ」
ウルフが怒声をあげるまでもなかった。
スクリーンの真正面に敵艦の姿があり、主砲がピタリとこちらに狙いを定めているのだ。
「言い訳は後でゆっくり聞かせてもらうぜ、王子さま」
震えるシアを離すことなく、ウルフは意識をスクリーンに映る敵艦へと戻した。
映っているのは帝国の艦船ではない。連邦警察の巡視船だった。帝国が使う巡視船と異なり、強力な武器を備えているのが特徴だ。
その巡視船がルナティスへ主砲を浴びせようとしている。
カシスは汗ばむ手を握り締めた。
ワームホールを使ったジャンプはできない。エンジンも2つが損傷を受け肝心のスピードが出ないときている。
逃げ切れるのか?
せめて無事な宙域まで……。
「俺が出れば時間稼ぎになる」
「なんだと?」
カシスの呟きに反応したのは、やはりウルフだった。バカなと言いたげに頭を振る。
「どうやって出てくつもりだ? だいたいお前ひとりが出て行ったところで状況が変わるわけじゃない」
「連邦も帝国の王子を捜しているはずなんだ。俺が出れば簡単には撃ってこれなくなる」
「帝国の王子が乗る船に、既に攻撃を仕掛けてきてるんだぞ、奴らは!」
どちらも退くことなく、きつい眼差しが対峙した。
カシスはシアを見る。
ウルフの腕の中で震えるシアは、しかしそこが最も安全な場所だと信じきっていた。
この船から逃げようと手を差し伸べても、シアは決してついてはこないだろう。荒くれ者の姿に慄き部屋に閉じこもっていても、守ってくれる者がいることを知っている。
カシスとは違う。初めから違いすぎるのだ。
カシスは踵を返した。
―――海賊船を出る。
―――連邦警察の巡視船へコンタクトをとり、攻撃を止めさせる。
帝国の王子である自分が海賊船との間に入れば、迂闊に攻撃を仕掛けてはこれないだろう。
もしもコンタクトがとれないとしても、僅かなりと相手の攻撃を逸らす役目にぐらいはなれるかも知れない。
囮の代わりに、楯の真似事ぐらいは……。
守りたいのだ。
シアを―――この海賊船を。
無駄と知りながら祈りたくなるほど、願わずにはいられないほど、自由な暮らしを求める自分をカシスは最早否定できない。
全てが夢でしかないのなら、いっそ自分自身を打ち砕いてしまうことすら、カシスには容易いと思えるのだ。
ブリッジを出て格納庫を目指す。
カシスにとっては地獄への道行きに他ならなかった。
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