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第3章 闇よりも黒き淵 *11*
通路のシャッターは降りなかった。
緊急の事態に慌ただしく行き来するクルーたちの進路を、遮断することができなかったのだ。
誰も彼もが自分へと割り振られた仕事に必死で、他を構っている余裕などなかった。
カシスは通路を駆け抜ける。
コンピュータルームを過ぎた先にある階段を下りていく。
貨物室を横切り、カシスは格納庫へ向かった。格納庫ではエアーシップ(小型宙空機)数機が万全に整備され、宇宙へ飛び出す瞬間を今や遅しと待ち望んでいる。
カシスは格納庫のシャッター扉を潜り抜けた。カタパルトにセットされたエアーシップのコックピットに乗り込む。
中2階にあるガラス張りのコントロールルームで、慌てふためくクルーたちの姿が見えた。彼らはしきりにエアーシップへ呼びかけているようだが、無線はとっくに切ってある。
カシスは素早く発進の準備を整えた。宇宙空間でならカタパルトの制御を考えなくても発進は可能だ。必ずしも安全とは言いがたいが、多少の無茶はこの際仕方ないだろう。
正面にある閉じたままのハッチも、いざとなれば開くだろうとカシスは踏んでいた。
船の存在を思うなら、開かないということはまず有り得ない。
もしも開かなければ、ミサイルをぶち込み体当たりするまでだとカシスは考える。
ハッチの1つや2つ吹き飛んだところで、船が沈むということはない。
けれど今行動を起こさなければ、この船は沈んでしまうかも知れないのだ。
連邦の巡視船はすでに攻撃をしかけてきている。
カシスに戸惑いはなかった。
たとえ死んでしまっても、嘆く者などいない。犬死にだと嘲笑されても構わなかった。
カシスにとってルナティスを救いたいと願うことが、唯一のまぎれもない真実なのだ。
カシスは最後のスイッチに指をかける。
息を吹き返すはずの機体は、しかし次々とシステムがシャットダウンを起こし、静けさを呼んだだけだった。
「ど……して……」
なにが起こったというのか。
慣れない機体とは言え、操作は完璧だったはずだ。間違いなどない。
呆然とするカシスの眼前で、モニターが瞬いた。明るい光の中、表情を曇らせた少女の姿が映し出される。
「ルナ…………」
カシスは苦しげにその名を口にした。
だからなのか。
彼女が―――ルナが阻んだのか。
カシスの行く手を阻むのは、いつだってこの高度なキイ・ブレインだ。
ウルフに忠実な、美しい姿を持つ電子頭脳。
『あなたが外へ出ることを、ウルフは禁じてるわ』
ルナはどこか申し訳なさそうに告げる。
カシスは手を握り締めた。
「今、行かなきゃダメなんだ」
『カシス王子、あなたにその許可は与えられていない』
感情に流されるような表情を造りながら、その実まるで融通がきかない。
カシスの手が震えた。喰いこんだ爪が傷つけたのか、握り締めた拳から血が滲み出す。
「お願いだルナ、行かせて……」
『無理よ』
「今なんだ! 今しかないんだ!」
このままでいればダメになる。
ここにいたいと願ってしまう。
「今なら帝国に戻れるッ」
帝国の王子として還ることができる。
帝国の王子として死ぬことができる。
カシスに残された最後の誇り。
たとえ踏みにじられても、微かに残った誇りに縋ってしか、カシスは生きられない。
夢でしかないのなら夢のままで。
自由への憧れも堅く胸の裡に閉ざして。
帝国の王子として生き、帝国の王子として死ななければならない。
「ルナ……お願いだから…………」
カシスの頬を熱い雫が零れ落ちた。
海賊船を守りたいなどとは、許される感情ではないけれど。
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