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第3章 闇よりも黒き淵  *16*

 視界の一切が閉ざされた闇の中、それぞれの手が貨物室の扉へ伸ばされる。  ウルフの目論見どおり、電子ロックは解除されていた。  今しかない。 「ライアスッ」 「アイサー!」  ウルフの声に呼応して、巨漢のがなりがひときわ強くとどろく。扉にかかる手に力がこもった。  ズズズと重苦しい音をたて、中央から両サイドに扉が開かれる。  密閉された貨物室に空気の流れ込む音が聞こえた。クルーたちは慌てて酸素マスクをつける。  薄く開いた扉の隙間を縫うようにして、ウルフはすでに貨物室へ身を踊りこませていた。  悠長にしている暇はない。  酸素マスクもつけぬまま飛び込んだ室内は酷く息苦しかった。通路からの空気が流れ込み、ほんの僅かにはマシになっていたにせよだ。  サブシステムが動き始めたのか、貨物室の非常灯が灯る。  ウルフは眸を凝らした。  積み上げられたコンテナーの陰に華奢な身体がぐったりと力なく横たわっている。 「―――ッ」  駆け寄ったウルフは躊躇なくその身体を腕に抱き上げた。 「キャプテン!」  こちらも酸素マスクをつけていないライアスの声がウルフを急かす。  無理矢理抉じ開けた扉を、ライアスは身体で支えている。酸素の流出を食い止めるため貨物室の扉は閉じようと圧力がかかっていた。  カシスの身体を横抱きに抱え、ウルフはすぐさま貨物室から通路に出る。  脇をすり抜けたウルフを眸で追い、ライアスが扉を離れた。あっという間に扉は閉ざされる。  ウルフが次の指示を出すまでもなく、ロイが通路の外側にいるケビンへ合図を送っていた。通路を分断するシャッター扉は待つ間もなく開かれる。 「キャプテン」 「キャプテンッ」 「お前たち路を開けろ。キャプテンを通すんだ!」  ウルフの後方からライアスの声が一喝した。放っておけば出てきたウルフをクルーたちが取り囲んでしまいそうな勢いなのだ。  誰しもが身を乗り出すようにしてカシスの顔を窺い見ていた。  ウルフの腕の中でカシスはピクリとも動かない。血の気の引いた顔は創り物めいて、生気がまるで感じられない。  通路の床の上にウルフはカシスを降ろした。クルーたちは壁のように、今度こそぐるりを取り囲む。  開いていたシャッター扉はすでに閉じられ、ライアスやロイたちも他のクルーたち同様にウルフの行動を見守っていた。  横合いに屈みこむクルーのひとりが酸素マスクをウルフへと手渡す。受け取ったそれをウルフはカシスの顔へ近づけた。  けれどウルフは酸素マスクをカシスの口許へ押し当てることはしない。  寸前で気付いたのだ。  カシスの呼吸が止まっている。  鼓動はあった。腕の中にしっかりと感じていた。  しかしそれも弱々しいものでしかない。  ウルフの背にゾクリと冷たいものが疾り抜ける。  躊躇などしている場合ではないのに、瞬間ウルフは動けなくなった。自分の鼓動がドクドクと耳の奥でやけに響く。  このままでは喪う。カシスを喪ってしまう。  思いがけずウルフの裡を駆け巡った激しい衝動。それは恐怖という感情に酷似していた。  凍りついたように動けなくなったウルフの前に、クルーたちが作る人垣の中から転び出てくる影があった。  大柄な海賊たちの中にあっては尚のこと小さく見える少年の姿。 ―――シアだ。  まろびながら必死の態(てい)で、床に横たわるカシスの傍らに跪く。  溢れる涙を拭おうともせず、黄金色の髪を振り乱す。  叫びたいのに叫べない。乱れた呼吸がシアの混乱と焦燥を露わにしていた。 「…………シア」  ウルフは低く呼びかける。  カシスの身体に縋りついたシアは、肩を引き寄せても離れようとしない。 「シアッ」  焦りがウルフの声を荒げさせた。  常ならビクついてみせるだろうシアは、だが酷く取り乱したままウルフの声など届かぬ風だ。  ウルフはついに痺れを切らせる。 「バカヤロー! このままこいつを死なせる気かッ!?」  シアに向けながら、あるいは自分に対しても向けた怒声だったのかも知れない。  嫌がるシアをウルフは無理矢理カシスから引き剥がした。  片手でシアを押しやりながら、ウルフはもう一方の手でカシスの首を僅かに持ち上げ気道を確保する。  半狂乱になり再びカシスに縋ろうとするシアを止めたのは、遅れてこの場に駆けつけたオークだった。 「シア、こっちにおいで。王子から離れているんだ」  ブリッジを出たシアを追ってきたのだろう。  嫌々と頭を振り駄々をこねるシアを、オークは自分の腕に閉じ込めた。  オークの存在を感じ取り、ウルフは完全に意識をカシスへと集中させる。  他を相手にしている余裕などない。  時間がなかった。  カシスの唇に自分のそれを押し当て息を吹き込む。  反応は返ってこない。  焦りを押し隠し、ウルフは根気良く人工呼吸を続けた。5回、6回と繰り返す。  幾度目かウルフが息を吹き込んだと同時に、床に投げ出されたカシスの指先がピクリと微かな反応を見せた。

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