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第2話
「女を紹介しろ? どーした健ちゃん、そんな溜まってんの?」
頬杖をついて茶化すように言ってきたのは、同い年の幼馴染である舘山勝 だ。
彼の家は酒屋を経営していて、神社で使うお神酒の手配などもしてもらっている。酒屋独特の前掛けをしていなければ、金髪に女の子ウケする甘い顔立ちの勝はホストにでも見える。軽い性格も相まって、昔から勝の周りには女の子がいつも耐えない。
(勝なら、紹介してもらえると思ったんだけど)
物心ついた時から兄弟同様に育ってきているので、色々とこちらの恥ずかしい事情も知っているし、他所の神様に頼る前にと思って飲みに誘うついでに相談したのだけれど、早まったかもしれない。
「うっさい! 俺の人生かかってるんだよ!」
勢いで机を叩くと、さすがに勝も驚いて目を丸くする。
「はあ? どーしたのマジで。サワー半分しか飲んでねーけどもう酔ってんのか」
飲むのをストップさせるべく、さり気なく健次郎の前にあるサワーの入ったグラスを引っ張ろうとした勝の手を掴む。
「酔ってないし、俺は真剣なの! とにかく女の子紹介してよ。勝ならフリーの女の子のひとりやふたり、知ってるだろ」
我ながら酷い言い方だと思うけれど、背に腹はかえられない。
本来の自分なら絶対言わない、投げやりな言葉に勝は疑いたっぷりな目を向けてくる。
「知ってるけどさあ……いいのかよ。健ちゃん、脱童貞は好きな子とって夢見てたんじゃねーの?」
「うっ……い、いつの頃の話してんだよ! 俺だってもうハタチだし、恥ずかしいって思ったんだよ」
「ふーん……まっ、健ちゃんがそれでいいならいいけど。でも、アレは大丈夫なのか?」
勝の言う『アレ』というのは、たぶん心霊現象的なものだろう。
付き合いの長い勝は健次郎が霊感が強いせいで色々な目に合っているのを知っているので、心配してくれているようだった。
「それは何とも言えないかも……」
頭の片隅に笛吹の顔がちらついたけれど、深く考えないことにする。
「んーまあ、何人かメールしてみるけど、捕まらなかったら許せ」
喋りながら勝はスマホを操作して、何人かにメールを送ってくれたらしい。何回か着信音が鳴って、ドキドキしながら待っていると、勝が手を止める。
「お、ひとり今からオッケーだと」
「えっ、今から?」
「ああ、なんか彼氏にドタキャンされたから、憂さ晴らし付き合って欲しいって。どうする?」
「お願いしますっ!」
こんなチャンスを逃す手はない。机に頭をぶつける勢いで頭を下げると、勝に笑われてしまった。
「ま、肩の力抜いて頑張ってこいよ」
応援がわりなのかポンっと手に乗せられた避妊具を見て、見慣れないものに焦って一気に顔が赤く染まる。
(なんか……上手く進み過ぎな気がするけど……大丈夫だよな?)
ネガティブに考えが行くのは良くないけれど、どこかスッキリとしない胸の内を抱えつつ、勝から相手の女の子の連絡先を教えてもらい、待ち合わせ場所へと向かった。
★ ★ ★
言われた場所に立っていたのは、どう見ても夜の商売をしていると分かる格好の女の子だった。彼女が務めている店が勝の得意先らしく、そこで出会ったらしい。
「まーくんから話は聞いたよお~あたし、リカ。ええと、健ちゃんだっけ? よろしくね」
「あ、ども……」
語尾を伸ばす甘ったるい挨拶に、健次郎は戸惑いながら軽く会釈を返す。
「じゃあ、行こっか」
「えっ?」
「ホテル」
ニコニコとファミレスにでも行くような口調で言われ、面食らっているうちにリカは腕を組み、健次郎にくっついてくる。
(む、胸が……っ)
寄りそう様にくっつかれ、リカの柔らかい胸が当たってそれだけで頭に血が昇りそうだった。
場慣れしているみたいだし、こっちが童貞でも気にせずリードしてくれそうだと思うと気持ちが軽くなる。
どぎついネオンが眩しいホテル街へと足を踏み込み、光の洪水の中をしばらく歩く。
「ここでいい?」
シンプルな外装のホテルの前でリカが止まり、見上げてくる。きっと彼女は自分が一番可愛く見える角度を研究してるのだろう、男の庇護欲をそそるような笑みに無意識で頷いた。
(こんなところで戸惑ってたら恥ずかしいもんな)
本来なら、こっちがリードしなければいけないのだ。
気持ちを切り替え、リカの肩に手を回した時だった。
「――おいっ!」
突然、怒声と共に背後から肩を掴まれた。
「え……?」
振り向いたのと同時に左頬に強烈な衝撃と痛みを受け、身体があっと言う間に地面に沈む。
「っ……てぇ」
頭の中が真っ白になり、一瞬、自分の身に何が起きたのか全く分からない。
(俺……なんで殴られてるんだ?)
ぐらぐら揺れる頭を軽く振りながら起きあがると、口の中が切れているのか鉄の味がする。痛みよりもジンジンと熱い左頬に手をあてて見上げると、熊みたいな体型の男がリカの手を掴んでいた。
「ちょっ……何してるんだよ!」
「そっちこそ、人の女に手ェ出すんじゃねーよ!」
「……うぐっ!」
今度は足で腹や身体を何箇所か蹴られ、リカの悲鳴を聞きながらその場に丸まった状態で倒れる。
「やだ、健ちゃん大丈夫?」
「行くぞリカ!」
「ごめんねぇーっ!」
騒がしい声がどんどんと遠ざかっていき、それまで静かだった周囲が何事もなかったように動き始めて、再び繁華街の空気を取り戻す。
あちこち痛む身体をゆっくりと起こすと、倒れた時に擦りむいたのか、腕と掌に血が滲んでいる。ズボンを捲ってないから分からないけれど、たぶん膝も同じように怪我をしているのか、そこに心臓があるかのようにズキズキと大きな音が聞こえる。
「あーサイアク」
踏んだり蹴ったりとはよく言ったものだ。
悔しいから、天罰だなんて絶対に思わない。
滲む涙を隠すように俯きながら立ち上がると、服についた埃を軽く叩いて歩きだす。
軽く酔っているせいなのか、それとも怪我をした足が痛むのか、良く分からないけれど、ひとつだけ確かなことは今、自分がとても惨めな状態だということ。
できれば誰にも会わずに部屋に戻りたい。
あまり夜の神社の境内の中を歩きたくはないのだけれど、玄関から入らない方法として境内側にある自分の部屋の窓から入るしかない。
鳥居の前だけにある電灯の明るさだけを頼りに境内にはいると、本殿に続く参道の真ん中にぼんやりと白いものが見えて身が竦む。
「俺には見えてない、俺には見えてない……」
神社の中では見た事ことなかったのに、あんな物の怪みたいなものが見えるなんて、神様に見放されたのだろうか。
わざと視線を反らし、参道を外れて砂利の上を歩いていると、白い物体がトトトッと軽快な足音と立てて近付いてきた。
(なんだ、猫か……)
視界に入った足先を見てそう思ったけれど、視線を上にあげて赤い前掛けが見えた瞬間、足が止まる。
「うううう、笛吹っ!」
「随分と痛そうだな。舐めてやろうか?」
拒否をする前に、笛吹は器用に後ろ足で立つと、健次郎の手をペロリと舐める。ザラリとした獣特有の舌の感触に、背筋が粟立つ。
「いっ、いいよ! これくらいの傷、かすり傷だし」
笛吹から隠すように手を背後へと回すと、赤い瞳に見据えられる。
「……どうせ、罰が当たったなとか思ってるんだろう」
「いや」
「嘘つき、だってあれって……」
お前が仕向けたことだろう。とは何故だか言えなくて言葉に詰まっていると、健次郎をずっと見上げたままの笛吹の目が細まる。
「では、俺からお前が聞きたいことを答えてやろう。あれは俺のせいではないからな」
「えー……」
下を向いて喋るのが辛かったので、参道の端にある木にもたれるように座ると、笛吹が当然のように健次郎の膝に乗ってくる。
思いきり疑いの眼差しで笛吹を見ると、狐の姿でも分かるくらい大袈裟に溜息をつく。
「俺が祝言前の伴侶をわざわざ傷つけさせるか、馬鹿もの」
トンッと小さな足で胸を叩かれ、抗議される。
笛吹の言葉はもっともらしいけれど、まだ信用したわけじゃない。
健次郎は笛吹を抱きあげると、そのまま地面へと降ろす。
「お前のせいじゃないって言うなら、誰が仕向けたんだよ。あれは絶対に偶然じゃないだろ」
ドラマじゃあるまいし、あんな展開はおかしい。なんとなく何か人為的な力が働いていると直感が告げている。
「お前は変なところで勘がいいのだな」
「は? じゃあ、やっぱり……!」
声を荒げると、それを阻止するように笛吹の小さな手が伸びてきて口を塞ぐ。
「近所迷惑だろうが」
「ご、ごめん」
人間じゃないのに、笛吹は意外とこの世の常識はあるらしい。
「さっきの言葉を少し訂正する。半分は俺のせいではない」
「それ、意味が全く分からないんですけど」
「俺がやったわけではないが、俺の為に稲荷神がな……彼女はお前を気に入ってるみたいで、俺以上に祝言を楽しみにしているらしい」
「ええ……マジで天罰ものだったのか。っていうか、神様って女だったの?」
「呆れたな……お前は自分の神社が誰を祀ってるのか、知らないで奉仕してるのか」
「名前くらいしか知らないよ」
「五穀豊穣の神は女性が多い。とにかく、彼女が怒ると手がつけられないからな……くれぐれもこれ以上機嫌を損ねるような真似はしない方がいい」
「う、うん……分かったよ」
相手が神様ならば、反論のしようもない。
(しかし、そんなに信頼されてる笛吹って……)
実は、すごい狐なんじゃないだろうか。
「なんだ? 俺の位の高さにやっと気付いたのか」
さっきから、まるで心を読む様なことを言われドキッとする。
「おっ、お前! 俺の心の中を読む様なことするなよっ」
笛吹は心外だと呟き、片眉をあげる。
「別に意図的に読んでいるわけではない。健次郎の気持ちが駄々漏れなだけだ。勝手に俺に流れてくるのだからしようがない」
「はあ? 意味分かんねーし!」
どうも笛吹と話していると調子が狂う。
さっきまで落ち込んでいた気持ちは吹き飛んでいて、今や怪我の痛さもさほど感じない。
これなら玄関から入って家族に見られても、適当にあしらえる気力も戻ってきている。
「いつもの健次郎に戻ったみたいだな」
嬉しそうにゆらりと大きな尻尾が揺れるのを見て、その柔らかそうな尻尾に触りたいとちょっとだけ思ってしまった。
「……ふん、慰めてくれてどーも」
悔しいけど、笛吹のおかげで気分が上がったのは確かなので、借りは返しておかなくては後で色々言われると面倒くさい。
「礼なら態度で示すものだぞ」
「見返り要求かよ」
なんてゲンキンな神使だ。
「分かった。明日お供えに、油揚げの美味しいやつ奮発する」
健次郎の言葉に、笛吹の耳がピクピクと動く。
(ん? やっぱり油揚げとか嬉しいのか)
人間バージョンの彼は背が高くて威圧的な所があるけれど、今の白狐の姿はどことなく可愛く見えてくるから慣れというのは不思議だ。
「む。それも魅力的だが明日では遅い」
弾ける音と共に、人間の姿の笛吹が現れる。
「ちょっ……」
驚く間もなく、端正な顔が近付いてきて唇を奪われる。
「んーっ!」
抗議するように笛吹の胸を叩いても、全く離してくれない。それどころか、舌先で唇の隙間をなぞる感覚に腰の奥が微かに疼く。
(また、あの香りだ)
桃に似た甘い香りに身体が溶けそうになる。
ゾクゾクと這いあがってくる疼きに息すら苦しくなってくる。思わず開けた口の隙間から舌が入りこみ、健次郎の舌に絡まった。
「ふっ……あ……」
上顎の弱い部分をザラリとした舌で撫でられる。
(やばい、気持ちい……)
こんな頭の中が溶けそうになるキス、したことがない。
抵抗したいのに、胸を叩いていた手はいつの間にか笛吹の服を握ってしがみつくような感じになっていた。
喰われるという言葉がピッタリだと思うくらいの濃厚なキスは、恐怖よりも快感の方が勝っていてだんだんと下半身に血液が集中していくのが分かる。
このままだと恥ずかしい事態になると頭の中では焦るのに、身体は思い通りに動いてくれなくてもどかしい思いでいると、不意に唇が離れる。
「あ……」
つい無意識に笛吹の唇を目で追ってしまうと、ニヤリと意地悪そうな笑みを浮かべる笛吹と視線が合ってしまった。
「なんだ? もっとして欲しそうな顔だな」
「っ! そんな訳ないだろ!」
男で、しかも人外相手にこんな気分になるなんて悔し過ぎる。
「けれど、俺との口づけは気持ち良かっただろう?」
「う……」
そこは否定できない。
「素直になれば、いくらでも……」
再び近寄ってきた顔を、今度は思いっきり手で頬を押して遠ざける。
「調子に乗るな!」
勢い良く立ち上がって走ろうとしたけれど、腰にきていたせいか膝がガクガクしてしまい、まるで泥酔している人の様に左右に身体がふらつく。
「ククッ、家に着くまで手を貸そうか?」
背後から笑いを含んだ声が聞こえ、羞恥で顔が赤くなる。
「いいっ!」
半ば転がる様にして走り、玄関のドアノブに手をかけた時、遠くの方で柔らかな声が聞こえた。
「――おやすみ、健次郎」
そんな優しい声でおやすみなんて言わないで欲しい。
基本的に甘ったれなので、自分を甘やかしてくれる人には弱いのだ。きっと、笛吹は健次郎のこの性格を熟知しているのだろう。
「……絶対、落ちてなんかやらないんだから」
そう呟いたけれど、自分でも驚くくらい弱い決意にしか聞こえなかった。
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