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第6話

――遠くでチリンと鈴の音が聞こえたような気がして、意識が浮上する。  砂に埋められているんじゃないかと思う身体の重さにうなされるように目覚めると、木目の天井が見えてホッとした。 「目が覚めたか」  声の方を向くと、玄冬が腕を組んでこちらを見下ろしていた。 「玄冬、これ……なんだよ」  砂に埋められてはいなかったけれど、両手首を文字がたくさん書かれた布で縛られていて動けない。 「暴れられると面倒だからな、拘束させてもらった」  何か特殊な術でもかかっているのか布団からも起き上がれなくて、首だけを必死に上げてここがどこか周りを見回したけれど、笛吹の部屋と似たような感じで場所の把握は出来なそうだった。 「俺なんて誘拐しても、うち貧乏神社だからお金とかないんだけど」 「神使に金など必要ない。オレ様の目的は初めから健次郎、お前だ」 「お、俺!?」 「そうだ。笛吹のつがいであるお前が、笛吹以外の狐と交わえば笛吹は御先稲荷の力を失う」 「え……?」  そんな事、初耳だ。  目を見開いた健次郎に、玄冬がせせら笑う。 「なんだ、笛吹はそんな大切な事も言っていなかったのか。御先稲荷にとって、つがいは力の源であり弱点でもあるのだ。だから、常に傍に置いて離さない」 「あ……」  単に独占欲が強いだけなのかと思っていたけれど、ちゃんと意味があったのか。  過剰に家から出したがらなかったのも、渡されたお守りも、きっとそういう理由があってのこと。 (もっとちゃんと説明してけよ、バカ狐っ!)  そうすれば、自分で注意だってできたのに。 「まあ、笛吹がお前へ説明してなかったお陰で、こうしてお前からノコノコやって来てくれたのだからな、オレ様としてはお前に感謝したいくらいだけど」  別に笛吹の足を引っ張りたかったわけじゃない。  あの強引なところをなんとかして欲しかっただけだ。 (自業自得だよな……)  突っぱねてばかりで、笛吹と歩み寄ろうとしなかった。 「はあ……俺って馬鹿だな」  捕まった今となっては遅いけど、きちんと笛吹と向き合って話し合えばよかった。  落ち込む健次郎にさらに追い打ちをかけるように、玄冬は話を続ける。 「その馬鹿なお前のおかげで、お前の神社の御先稲荷の座が空くからな! ようやくオレ様もこんなちっぽけな末社守りでなく、日の目を見れるわけだ!」  勝ち誇ったように笑う姿に、さすがに怒りがこみ上げる。  こんな騙すような真似をする狛狐に、大事な神社を任せたくなどない。 「……なれないよ」 「あ?」 「もし、笛吹が御先稲荷じゃなくなったとしても……玄冬は、うちの神社の神使には絶対なれない」 「なんだと……?」  怒りのあまりなのか玄冬の瞳孔が縮まり、狐の目に変わる。 「神様だって、騙して仲間を裏切るような狐に大切な神社を任せるわけないだろう!」 「貴様、言わせておけば……っ!」 「……っ!」  自分と同じくらいの体格なのに、物凄い力で胸倉を掴まれる。そのまま着ていたシャツを破かれ、手が胸へと当てられる。 「ふ、ふふ……どんな風に抱いてやろうか」 「痛っ……」  胸を長い爪で引っ掻かれ、痛みと共にじわりと赤い線が滲む。 「オレ様を侮辱した事、思い知らせてやる」 「ちょっ……やめろっ!」  逃げようと身体を捻ったけれど、縛られている両手首が更に締められただけで、玄冬の手からは逃れられない。 「手首が折れたくなければ、あまり動かない方がいいぞ。その紐は暴れれば暴れるほど肉に食い込む術がかけてある」 「ひ……ひきょう者っ!」 「何とでも言え、負け犬の遠吠えにしか聞こえんがな」 「くっ……」  悔しさで唇が切れるほど噛みしめる。 「もっと悔しめ、お前が悔しむほど、オレ様はとっても気分がいいぞ!」  喉で笑いながら健次郎の肌を撫でまわしてくる。その感触が気持ち悪くて、鳥肌が立つ。 「触るな……っ」  不快感をあらわにして声をあげても、玄冬にのしかかられている状況じゃ全く歯が立たない。  笛吹に触られても平気だったのに、相手が違うだけでこうも気持ち悪く感じるのかと気付く。 (こんな時に笛吹が好きだって分かるなんて……)  鈍感さに自分で自分を殴りたい。  ふと縛られた手首に視線を落とすと、笛吹につけられたお守りが目に入った。 「何が守ってやる、だよ……笛吹のバカ」  助けになんてこないじゃないか。  そう思ってからこんな事態になった自分の行動の方が馬鹿なのだと脳内でひとり反省会をしていると、急に大人しくなってしまった健次郎につられて玄冬が手を止める。 「なんだ? ついに諦めたか」 「諦めるわけないだろ! 狐の相手なんて、笛吹ひとりで十分だ!」  なんとかして、この場所から脱出してやる。  強い決心と共に玄冬を強く睨みあげる。 「このっ……オレ様に向かって、生意気な口を聞くな!」  パンッと大きな音がして、頬を思いっきり叩かれる。 「……っ!」  力任せに叩かれたせいで、一瞬だけ目の前が真っ白に染まる。ジンジンと叩かれた場所が熱い。 (負けるもんか)  涙で曇った視界のまま、それでも玄冬を睨みつける。 「……んだよ、お前。本当ムカツク……っ」  苛立ちを最高潮にした玄冬は、再び手を振り上げる。  叩かれる衝撃に身構えるように目をつむった瞬間、チリンと鈴の音が聞こえた。 「――ムカつくのはお前だ、玄冬」  地を這う様な低い声が聞こえ、締めあげられていた手首が楽になったのと同時に、身体の上から重みが消える。 「う、笛吹……っ! 結界が貼ってあったはずだぞ、何でここにっ!」  猫の子の様に笛吹に首根っこを掴まれた玄冬が、暴れながらも笛吹に噛みつく。 「ふんっ、あんな子供だましの結界、健次郎につけていた守りで効果などないわ」 「守りだと!?」  驚きの声をあげてこちらを見る玄冬に、健次郎は手をあげる。  チリンと鳴った音を聞いて、玄冬は悔しそうに口を結ぶ。 「くっ……そんなものをつけていたとは」 「気付かない時点でお前の負けだな」 「ふぎゃ!」  床にものを置く様に玄冬を投げると、容赦なくその身体の上に足を乗せた。 (こ、怖……っ!)  笛吹の怒る姿を目の当たりにして、背筋が冷たくなる。 「き、貴様……っ、こんな事をして、稲荷様に報告してやる!」  そう言う玄冬の目は微妙に潤んでいる。  きっと彼自身、笛吹との格の違いを感じているのだろう。  酷い事をされたけれど、ちょっとだけ玄冬が気の毒になってしまった。 「その言葉、そっくりそのまま返してやろう。俺の大切な伴侶に行った仕打ちの罪、償って貰うぞ」  笛吹が何か呪文のようなものを呟き始める。 「……っ、こ、これは……っ、おいっ、止めろ……っ!」  とたんに玄冬が耳を塞ぎ、呻き始めたと思った瞬間、玄冬が黒狐の姿に変化した。 「稲荷神からの伝言だ。数々の行為により、神格の降下を命ずるだと」 「ど、どういうことだ……?」  きょとんとする玄冬に、笛吹はしゃがんで視線を合わせるようにしてから答え始める。 「お前の持って行った桃の菓子、あれは稲荷神の好物だぞ」 「なっ……」 「無断で持って行けば逆鱗に触れるに決まっているだろう。目先の欲望に目がくらんで、選択を間違えたな。稲荷神の怒りが収まるまで、その姿で修業しろとのお達しだ」 「ふ、ふざけるな! このオレ様が下級狐のような真似、すると思うか!?」  怒る玄冬の首根っこをつかみ、笛吹は冷ややかな顔をする。 「お前に選択権などない。安心しろ、その性根、俺がしっかりと叩き直してやる」  そう言って笑った笛吹がよほど恐ろしかったのか、玄冬はそのまま目を回してしまった。 「ふん、小物め」  苛め飽きたのか笛吹が手を叩くと、何処からともなく白狐が現れる。 「うわっ!」 「安心しろ、俺の部下だ。こいつを持って帰れ」  笛吹の命令に白狐は頷くと、玄冬を咥えて姿を消した。  ある程度のことにはもう驚かないと思っていたけれど、目の前に現れたり消えたりを立て続けにされると、さすがに神経が持たない。 「も……疲れた……」  起こしていた身体をバタッと倒すと、心配そうに笛吹が近付いてくる。 「大丈夫か? どこか怪我は……」  手を伸ばしてきた笛吹を避けるように、布団の上を転がる。  その態度を見て、笛吹はそれ以上は触れようとしてこない。 「縛られてた手が痛いくらいだから平気。それより、俺が他のやつとすると、笛吹が御先稲荷じゃなくなるって、どうして説明しておいてくれなかったんだよ」 「それは……お前に余計な心配をさせたくなかったからで」 「あっそう。でもそんな事言って、本当は俺を信用してなかったんじゃないの?」 「……っ、それは」  口ごもる笛吹を見て、やっぱりと思う。  けれど、笛吹を信用していなかったのは自分も同じなのだから、彼を責める権利は健次郎にはない。 「ごめん、ちょっと八つ当たりした。今回のは勝手な行動をした俺の方が悪いし……」 「そういえば、どうして他の神社などに向かったのだ?」 「うっ……そ、その、お前の事で誰かに相談したくって……」 「は……?」  笛吹の唖然とした表情を見て自分の間抜けな行動を続けて話すのが恥ずかしくなり、顔を赤く染める。 「し、しかたないだろ! 友達になんて相談できないし……他の社の狛狐なら相談を聞いてくれるかなって思ったんだよ、悪いか!」  一気にまくし立てるように言い放ってから、枕に顔をバフッと埋める。しばらくしてから伺う様な笛吹の声が聞こえてきた。 「い、いや……健次郎がそんなに悩んでるのに気付かなかった俺が悪い。けれど、これからは俺にちゃんと話してくれ」  珍しく低姿勢な笛吹に昂ぶっていた気持ちが落ち着く。そろそろと顔を向けると、パッと笛吹の顔が明るくなった。 「う、うん……分かった、ちゃんと話す。それと、助けに来てくれて……あ、ありがとう」 「健次郎が俺に礼とは……夢を見ているのか……?」  お礼を告げた健次郎に、笛吹が目を丸くする。 「失礼だな! 俺だって礼くらい言うよ」 「そうか、そうだな」 「……あと、ついでにもうひとつ言いたい事があるんだけど」 「この際だ、俺への文句があるなら全部言うがいい」  開き直ったらしい笛吹は、本当に親身に聞こうとしているのか、布団に腰を据える。 「あ、文句じゃないから、そんな構えられると困るっていうか……」 「ん?」  モソモソと身体を起こし、笛吹と向かい合う様にしてきちんと座る。  考えてみたら、人生で初の告白かもしれない。  その相手がもう結婚している相手というのもなんだか可笑しくて、勝手に笑いが漏れる。 「健……?」 「ごめん、ちょっと待って」  手をあげて一度顔を伏せ、大きく深呼吸してから再び正面を向く。 「俺、笛吹のこと、好きみたい」  きちんと言葉にしてみると不思議なもので、好きと言う気持ちが身体の中で膨れ上がっていくのが分かる。 「それはついでで言うものじゃないだろうが!」 「だって、さっき気付いたし……取りあえず言っておこうかなって……うわっ」  突然、笛吹に抱き締められて思わず声をあげる。 (あ……笛吹の香りだ)  甘い花の香りは心を掻きたてるものではなく、今はとても安心する香りに感じて、気持ちを返すように健次郎もそっと笛吹の背中に手を回して抱きつく。  誰かと抱き合う事がこんなにも心が温かくなるのかと夢見心地になっていると、突然身体を引き剥がされる。 「な、何っ!?」 「帰るぞ」 「え? どうしたんだよ突然……」 「お前がその気になったのに、こんな場所にいられるか!」 「その気って……俺はそこまでは……っ」  好きだと実感しただけで結構十分だったのだけれども、笛吹の中ではそのまま性欲に繋がるのだろう。 (やっぱり、その辺が人と違うんだよなぁ)  その価値観の違いを分かるようになるのは当分先な気がするけれど、少なくとも次の御先稲荷と交代する百年一緒なのだから時間はたっぷりある。  けれど、本能に忠実な笛吹はそんなに待てないらしい。 「む……では、健次郎は俺と愛し合いたくはないのか?」 「愛っ……て……」  率直に言われて、ぶわっと顔が赤くなる。 「どうなのだ?」 「う……し、したいっ!」  無理やりとか流されてとかではなく、好きだから笛吹を欲しいし、繋がりたい。  自分から笛吹の手を握ると、彼はとても嬉しそうに口元を上げた。 「やっとお前の本心が聞けて嬉しいぞ、健次郎」

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