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第4話

「アカネ、君の家はこの近くなのか?」 「いや、もう少し先だ。こんな立派な家になんか、オレ達が住めるはずない」  これで立派だと?  この、昼間でも日が差し込まなさそうな小さな家が? 「そな…いや、君は、どこに向かっているんだ」 「――何を見ても文句言うなって言ったよな」 「ああ」 「けど特別に猶予をやる。逃げるなら今のうちだぞ」  今更そんなことを言われても、もう引き返せないところまで来ている。  これはおそらく最後通告だ。自分達が住んでいるのはここより酷い所だけど、それでも構わないか、という。 「逃げないさ。俺は覚悟決めてここにいるのだから」 アカネは何も言わず、いつの間にか緩やかになっていたフィオの歩みと同じ速さで進んでいく。  この先どんな光景が待ち受けていようと、平常心でいようとした。  だが、そんなフィオの意思はいとも簡単に打ち砕かれる。 「な、なんだここは……!」  下流階級の住宅街は、奥に行けば行くほど建物が小さく、多くなっていった。ついには家と呼ぶにはほど遠い、瓦礫(ガレキ)の寄せ集めのような住居が密集する地域に出た。  周囲には食べ物が腐ったかのような異臭が立ちこめており、地面はゴミだらけだ。 「こっちだ、フィオ」  瞠目するフィオの耳に、その声ははっきりと聞こえた。 (間違いない。ここは下流よりももっと身分の(いや)しい者が住む、貧民街だ)  話には聞いていたが、こんなにも腐敗した所だったとは。  十年前、ラジオーグと隣国のイフターンの間での大きな戦が幕を閉じたばかりだった。 何十年も昔から領土の奪い合いをしてきた両国は、十七年前にラジオーグ側が勝利し、条約を結ぶことで一度は終息していた。だがその四年後、イフターンは独立戦争を起こし、三年間にも及ぶ戦渦が降りかかることになる。  結局ラジオーグが激闘を制し、両者に安寧が訪れたは良いものの、大敗を喫したイフターン国民達がラジオーグの外れに街を形成した。その街こそが貧民街なのだ。  こんな所自分とはかけ離れすぎていて、まるで異世界のようにすら感じていた。  しかし今フィオが立っているのは、紛れもなくラジオーグの貧民街。厳しい現実に、目を背けたくなった。 「おい! もたもたすんなよ」 「ごめん、今行く」  アカネは器用に、あちこちがぬかるんだ道を歩き出す。 (本当に、こんな場所で生活など出来るのだろうか)  さすがに落差が大きすぎて不安になってしまうが、王宮に戻るという選択肢は無い。薄暗くて歩きにくい道に足を取られながら、フィオも貧民街の奥へと進んでいく。  やがてアカネの足はある小屋の前で止まった。玄関に戸は無く、外から中が見えないように長い布が垂れ下がっているだけ。隙間だらけの壁板が何とも心許ない。  中にはアカネの兄が居るのか、激しく咳き込む声がした。 「ここだ」  それだけ言うと、アカネは先に中に入ってしまう。  フィオは躊躇いつつも入り口の布をくぐり、小屋に足を踏み入れた。そこは中央に短い蝋燭(ロウソク)が揺らめいていたが、部屋の隅まで照らすには到底至らない。天井は低く、フィオの身長と殆ど変わらない高さだった。 「アカネ? 遅かったな――ッ、ごほ」  小屋の外から既に聞こえていた声が、息苦しそうにアカネを呼ぶ。声のする方を見ると、干し草を詰めた木箱を並べただけの寝台(ベット)に青年が横たわっていた。 「ごめんレノ。ちょっと厄介事に巻き込まれてさ。こいつに借り作っちまったんだよ」  レノ、と呼ばれた青年がゆっくりと身を起こす。肩まで伸びた金髪が俯いた彼の顔を隠していて、立っているフィオからは口元しか見えなかった。 「厄介事? 逃げ足の速いお前が、珍しいな」 「逃げられなかったんだよ。こいつが、頼みがあるって」  アカネはフィオに目配せで『お前の番だ』と告げてくる。  部屋に居るもう一人の存在に気が付いたのか、青年は長い前髪を掻き上げ、その碧眼でこちらを見つめてきた。 (なんと、このような者まで貧民街で暮らしておるのか)  ラジオーグとその周辺の国では金髪や茶髪は珍しくないが、彼のように端正な顔まで持ち合わせている者はそう居ないだろう。貧相な身なりのせいでくすんではいるが、どこか高貴な雰囲気を感じさせる不思議な青年。そのぼろぼろの服を着替えさせて髪を切り揃えれば、上流貴族と肩を並べられそうだ。

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