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第5話

 彼は切れ長の眼でフィオを睨むと、嫌味っぽく鼻で笑った。 「あんたみたいな坊ちゃんが、この貧民街に何の用だ」 「そな…君が、アカネの兄上か?」 「本当の兄弟じゃないが、ガキの頃から家族よりも近くで暮らしてきた」 「そうだったのか。わた、俺はフィオ。君はレノといったか?」 「気安く呼ぶな。俺の名はレノルフェだ」 「悪かった、レノルフェ」  彼の様子からするに、フィオはあまりよく思われていないようだ。いきなり天と地ほどの身分差がある、得体の知れない人間が来たのだから怪しまれるのも当然だが。 「それで、ごほごほっ…、お前の頼みってのは何だ」 「……お、俺は家出をしてきて、誰にも見つからないような場所を探している。もちろん迷惑にならないよう努めるから、俺をここに置いてくれないか」 「…………」  今まで、自分の要求が撥ねのけられたことは殆ど無い。それこそ父に王政への参加を断られた時くらいだ。だから、相手の返事を待つ間の沈黙がこんなにも緊張するものだったとは知らなかった。 「アカネ、そいつに借りがあるんだろう?」 「まあな。一応助けてもらった」 「なるほど……げほっ、ごほ……。おいお前、フィオといったな」 「ああ」 「一つ言っておくが、貧民街はお前が思ってる十倍は厳しい所だぞ。金持ちの坊ちゃんなんてすぐに淘汰(とうた)されるかもしれない。それでもここに居たいか?」 「――居たい。居させてくれ。俺には戻る場所がないんだ」  フィオは、よく翡翠(ひすい)のようだと称される澄んだ瞳でレノルフェを見据える。橙色の光が不規則に彼の顔を照らし、光源に背を向けるフィオには影を落としていた。  レノルフェのゆったりとした呼吸の音が、フィオの鼓動を早める。 「ふーん……。まあ、そこまで言うなら良いんじゃねーの」 「本当か……!?」 「寝床ぐらいは貸してやるよ」 「あ、ありがとう!」  喜びのあまり顔に満面の笑みを浮かべ、深々と頭を下げた。これで王宮のことは気にせず過ごせるようになる。 「良いのか? 今日のレノ、やけにあっさりしてるな」 「そんなことねーよ。あとアカネ、こいつはお前が拾ってきたんだから、アカネが面倒見ろよ」 「え、オレが!?」 「待て、人を物みたいに言うな」  犬や猫ではないのだから、拾ってきたなんて言い方はやめてほしい。こんな無礼極まりない発言を、王宮の使用人が聞いたらどう思うだろう。  そんなことは、考えるだけ無駄ということも承知済みだ。 「しょーがないな。フィオ、オレから離れるなよ」 「あ、ああ……。世話になるな」 「げほげほ…ほら、この話はもう終わりだ。アカネ、晩飯は取ってこられたのか?」 「おう、今日はこれ」  アカネが差しだしたのは、先程男性から盗み取ったパンの袋だった。 「なぜ、自分達で買わないんだ?」 「金が無いからに決まってんだろ。そんなことも分からないくらい馬鹿なのかよ」 「バッ……、私はこれでも王立学校の主席で――」  ついカッとなって拳を握り締めるが、すぐに自分の身の上を思い出して口を噤んだ。そんなフィオを一瞥すると、アカネは小屋の端にあった空の木箱を取り出した。そして邪魔だと言ってフィオを追いやると、木箱をひっくり返してその上に蝋燭を置く。これが(テーブル)の代わりなのだろう。レノルフェも寝台(ベット)から降りて床にあぐらをかき、三人は木箱を囲んで座った。 「うわ、何だよ。これしか入ってなかった」  先に紙袋を覗き込んだアカネの、落胆に満ちた声がする。どうしたのだろうとそちらを見ると、木箱の机にパンが置かれていた。 「あのおっさん、二個しか持ってなかったのかよ」 「俺とアカネで一個ずつ食えばいいだろ」 「それでは俺の分が無いではないか! そもそもパンを手に入れられたのは俺のお陰だろう」  レノルフェがとんでもないことを言うので、思わず木箱をバンッと叩いてしまう。王都からここまで走ってきたせいで、胃が痛くなるほど腹が減っているのだ。 「そうだったな。じゃあ……ほら」  たった今思い出したかのように頷いたアカネは、持っていたパンを三分の一くらいにちぎって、フィオの前に置く。元が手の平大のロールパンなので、それは一口で食べ終わりそうなくらい小さい。 (やむを得ない。今夜はこれで我慢するか)  ここで贅沢は言えない。明日、食料を調達するまではこの僅かなパンで凌(しの)ごうと諦めかけたら、フィオの前にもう一かけのパンが置かれた。 「ほらよ。これで平等だろ」 「レノルフェ、ありがとう」 「勘違いすんなよ、これで貸し借りは無しだからな。ごほ、ッ、げほ…あとは、成り下がった可哀想なお前への慈悲だと思え」

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