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第10話

   ***  ゴミ捨て場に着いたのはアカネが先だった。よく考えれば、勝敗は既に決まっていたのだ。その場所を知らないフィオは、アカネに付いていくしか目的地に着く方法はないのだから。  ぜえぜえと息を切らすフィオに放たれた『やっぱお前馬鹿だな』の一言は一生忘れない。  すっかり疲弊したフィオの頼みで、今度は歩きながら市場へと向かった。着く頃には完全に()が出ていて服も乾き始めていた。 これから開かれる朝市のために商人達がせっせと働いている。ここは主に下流階級の者達が集っているようだ。 「なあアカネ、家を出た時から気になっていたのだが……」 「ん?」  フィオは、なぜか物陰に身を隠しているアカネの腰を指す。 「その小刀(ナイフ)は?」 「前に拾った」 「そうじゃなくて、どうして買い物をするのに小刀(ナイフ)を持つ必要があるんだ」  アカネの腰に巻かれた帯革(ベルト)には同じく革の鞘が着いていて、そこにはフィオの手よりも大きい刃渡りの小刀(ナイフ)が収められていた。  フィオの問いに、アカネはそれをすっと引き抜く。簡単に喉を掻き切られそうなくらい鋭い切っ先に息を呑んだ。 「もし店の奴に捕まりそうになったらこれで(おど)すんだ」 「ま、まさか盗むのか?」 「昨日も言ったろ。金が無いんだから仕方ない」  だからといって、普通の少年が持っているのは物騒すぎる。いやその前に、物を盗るのは立派な犯罪だ。いくらアカネが貧民街の住人でも見過ごす訳にはいかない。 「盗むのは駄目だ」 「何でだよ。食べ物が無かったら、オレ達死ぬぜ?」 「それは……」  フィオは言葉に詰まった。これが彼らの生きる手段であることは重々承知している。それでも、やって良いことと悪いことはある。  ここでフィオが金を出すと言えれば良かったのに、生憎(あいにく)昨夜アカネを助ける際に手持ちは全て使ってしまった。 「もういい。行ってくる」 「待て! やはり盗むなんて――」  咄嗟にその腕を掴んで説得にかかる。 「誰もフィオがやれって言ってるんじゃないだろ」 「でもアカネがやろうとしているのは犯罪だぞ」 「今までこうして食いつないできたんだ。俺の生き方に文句あんのかよ」 「ちが…、アカネを否定しているんじゃなくて……」  自分でもこの感情をどう現わすべきか分からなくて苛立った。怒りの矛先はフィオ自身に向いている。  たった十五歳の少年にこんなことを続けてほしくないのに、彼には生きる(すべ)を失ってほしくもない。だがそれを何とかするほどの財力も権力も、今のフィオには備わっていない。  歯がゆくて、焦れったくて、情けなかった。 「何がそんなに嫌なんだよ。だったらオレが盗ってきたモン食わなきゃいいだろ」 「そういう問題じゃない。アカネに悪いことをしてほしくないだけだ」 「じゃあどうしろって言うんだよ!」 「――っ」  アカネの気迫に圧倒されて、そろそろと腕を掴んでいた手を離してしまう。 (これで良いのか? 小さいうちから泥棒をすることに慣れていては、この先もっと悪いことに手を染めてしまうかもしれない)  とにかく、彼のことが心配だった。身分を隠しているとはいえ自分に臆せず接してくれるからだろうか。まだ出逢って一日なのに、小さな身体で強く生きる少年に、無性に惹かれている。 「俺に、出来ることはないか?」 「だったら何か盗ってこい」 「そんなやり方じゃなくて、アカネの役に立ちたいんだ」 「……お前、貧民街での生き方も知らないくせに人の役に立とうとするなよ。まずは自分が生きるために役立つことをしろ。その為には良心を捨ててこい」 「それは出来ない。俺はアカネの役に立つことが自分の役にも立つと思うんだ」  何か、良い解決法はないものか。平和に、穏便に済ます方法は。  懸命に思考を巡らせていると、フィオの目の前に小刀(ナイフ)の尖端が突きつけられた。 「盗みが嫌なら、身体でも売ったらどうだ」 「身体を……?」  どうやって、と言おうとした矢先。頭に手が回ってきて、後ろで結わえていた髪をぐっと握られる。正面から双眸(そうぼう)を見据えられ、フィオは全身を強張らせた。 「知ってるか? 銀髪は一番高く売れるんだ。この長さなら金貨一枚くらいにはなるだろうな」  迫ってくるアカネの顔に、ごくりと唾を飲む。これがそんな大金になるのなら昔から伸ばしてきた自慢の髪も惜しくはない。 「分かった。ただし、これを売った金がなくなるまで盗みはしないでほしい」 「――フィオがそこまで言うなら、良いけど」 「ありがとう」  一時逃れにしかならないかもしれないが、これでしばらくはアカネに泥棒をさせずに済む。 「アカネが切ってくれないか? 自分でやるのは怖くて」 「うん」  するとアカネはフィオの首に腕を回し、片手で髪を掴んだままもう片方の手で小刀(ナイフ)を握り直した。息がかかるほど顔が近付き、無意識のうちに心拍数が上がっていく。言い出したのは自分なのに、この身体の変化は何なのだろう。頬もいつもより熱いような。  そんなことに気を取られていたから、髪の毛を強く引っ張られる痛みはあまり感じなかった。  ざくざくと切り落とされていくフィオの一部は、やがて完全に取り去られる。髪を結っていた紐はその短さを支えきれなくて地面にはらりと舞い落ちた。 「……どうだ?」 「さっぱりしたんじゃないか。ほら」 「こうして見ると、結構長かったんだな」  元々はフィオの胸の辺りまであった髪が、今は馬の尻尾のようにアカネの手に握られている。  これが金貨に変わるのならばいくらでもくれてやろうという気さえした。 「中々(なかなか)上等だな。髪の値段は長さが重要なんだ。早速売りに行くぞ」  そう言いながらアカネは慣れた手つきで小刀(ナイフ)を鞘に収める。 「誰が買ってくれるんだ?」 「ここじゃなくて、王都の商人に売るんだ。高く買ってくれる所を知ってるから、付いてこいよ」  ラジオーグは最奥に王都を構え、そこには貴族や大地主といった上流階級から、一般の中流階級の市民や農民まで多くの者が住んでいる。つまり、王都に行くということはそれだけたくさんの人の目に付くということで、王宮の関係者に見つかってしまう危険もある。 (たった一日で家出が失敗したのでは格好が付かない。でも、俺の髪を売るんだから最後まで見届けたいし……)  あれこれ迷っているうちにアカネが先に行ってしまい、断れる雰囲気ではなくなってしまった。  髪型も変わったし、地面で寝ていたので服も薄汚れているのでばれないだろう。そんな軽い気持ちで、フィオも王都へ向かうのだった。

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