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第16話

   *** 「――げほげほ、ゴホ、はっ…ぅん……?」 「レノルフェ、起きたか?」  陽が沈んでからかなり長い時間が経った頃。レノルフェがようやく目を覚ました。 「お前、ずっとそうしてたのか」 「アカネと交代でな」  昼間、レノルフェが眠ってからは二人がかりで看病をしていた。今はアカネが休憩の番なので、壁にもたれて仮眠を取っている。 「腹が減ったんじゃないか。林檎があるけど、どうする?」 「林檎? お前が盗ってきたのか」 「そんなことはしないさ。買ったんだよ、髪を売って」  フィオは首を捻って軽くなった頭を見せた。同時に、力の抜けたアカネの寝顔が目に映る。 「そういやすっきりしたな。ハンスの店に行ったのか」 「そうだ。お陰で、ほら」  貯金箱だという壺を指すと、レノルフェはすげぇな、と声を漏らす。  冗談のつもりで、この金でもっと良いところに引っ越したらどうだと言ったら、ここから出て行くつもりはないと即答されてしまった。  衛生的とは言いがたい上に、病気になっても治療すら受けられない場所で、何が彼を引き留めているのだろうか。 「俺が貧民街(ここ)を離れるのは、それこそ俺が死ぬ時だ」 「そんなにここが好きか?」 「ずっと育ってきた場所だしな。それに、俺が貧民街(ここ)を守らなくちゃならないし」  レノルフェの碧い眼はどこか遠くを見据えていたが、決意の光が灯っていた。  アカネもレノルフェも強い。自分の居場所があって、そこで生きようと、そこを守ろうと懸命になっている。フィオにも、そんな拠り所が欲しかった。  王宮に居ても父からは王として認められず、使用人達は当たり前のようにへりくだる。王子という立場があればフィオでなくても皆そういう態度になるだろう。だから、二人のように“自分にしか出来ないこと”があるのが羨ましい。 「はぁー……」  一人で悶々としていると、勝手に重い溜息が出てしまう。俺は一体、何をしているのだろう、と。 「ぅ、ごほ、ごほごほ……なぁ、林檎があるって言ってたよな」 「食べるか?」 「頼む」  レノルフェが身を起こすと、額に乗っていた布がはらりと落ちる。 「なんだこれ」 「熱がある時は額を冷やすと良いんだ。もう熱は引いたか?」 「多分な」 「どれ?」  彼の額に手をやって自分のと比べると、昼間ほどではないがまだ少し熱かった。それでも顔は(あか)くないし汗もかいていない。アカネとの看病が功を奏したようだ。 「だいぶ下がったようだが、まだ油断は出来ないな」 「……」 「あとは林檎だったな。ここは調理器具らしいものが無くて困ったよ。まあ、俺も料理なんてしたことないから切るだけだが」 「おいフィオ」  口を挟んだレノルフェがやけに難しい顔をしていたので、こちらもそれにつられてしまう。 「ど…どうかしたか」 「何でここまでするんだ?」 「何でって、世話になってるんだ。このくらさせてくれ」  これは本心だ。こうして王宮の捜索から逃れられているのは、ひとえにレノルフェとアカネのお陰げだ。貧民街は隠れるのには丁度良いが、とても一人では生きていけない。だから、二人にはいくら感謝してもし足りないくらいだ。 「俺は助けてくれなんて言ってないんだがな」 「……え?」  耳を疑った。フィオはただ役に立ちたかっただけなのに、必要とされていなかったのだろうか。 「アカネにこんな弱った姿見せたことないし、見られたくもなかった。それなのにお前が勝手に世話焼くから、俺ほんとの病人みたいじゃねぇか」 「レノルフェが病人なのに変わりはないだろう」 「ッ、こんなに体調悪くなったのは初めてなんだよ。俺が言いたいのは、迷惑だからもう看病すんなってこと!」 「めい、わく……?」 「そう。俺はアカネの兄貴だ。こんな風に格好悪いところ見せたら幻滅されるだろうが」  良かれと思ってやっていたことが、相手を煩わせていたとは。見事にやる気が空回りしていたということだ。 「ご、ごめん」 「もう俺に構うな」 「でも完全に熱が下がるまでは」 「あとは自力で治す…ごほっ」 「せめて林檎だけでも食べてくれ。今は栄養を摂らないと」 「チッ……俺がお前を当てにするのは、これが最初で最後だからな」  実を言うと、レノルフェやアカネにはどんどん頼ってほしかった。出来ることは少ないが、その中で力になれることがあれば、フィオの自身に繋がる気がして。  レノルフェが言いたいのは、自分に関わるな、ということではなくアカネの前で自分が弱く見える行為をするな、ということだ。それが彼の自尊心だということも心得ている。 「分かったらさっさと切れよ」 「少し待ってくれ」  (テーブル)代わりの木箱に買ってきたままで放置されていた林檎を手に取ると、アカネの小刀(ナイフ)で八等分に切り分ける。するとその音に気が付いたのか、アカネがのっそりと起き出してきた。 「あーっ! 何二人だけで食おうとしてるんだよ」 「いや、これはレノルフェの分で」 「別に構わん。アカネも食ったらいいだろ」 「そうは言っても、もう八つに切ってしまったし……。アカネとレノルフェが三個ずつ食べるといい」  今さらやり直せないし、患者であるレノルフェの分を減らす訳にもいかない。腹が空いていなくはないが、アカネにも喜んでもらえるのなら我慢できる。 (こういうのも、たまには良いかもしれないな)  これまでは自分が尽くされる側で、自ら進んで何かをする、というのが満足に出来なかった。  こうして誰かのためを想うことで、なぜだか優しい気持ちになれる。 「良いのか? なら遠慮なく頂くぜ」  アカネは嬉々として林檎を口に詰め込んだ。まだ種もヘタも取ってないのに。  それでも、美味しいといって顔を綻ばせるアカネと、そっぽを向いているがもくもくと食べているレノルフェを見ていると、それだけで腹が膨れそうだ。  フィオも林檎をシャクッとかじると、独特の甘酸っぱさが口の中に広がっていく。  その夜は、蝋燭が燃え尽きるまで三人の顔を柔らかい灯火(ともしび)が照らし続けていた。

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