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第19話
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「こ、これは……」
「凄いだろ? さすがにここまではレノでも守りきれない」
二人が立っているのは川のずっと下流。海と陸とが入り組んだ河口だ。そこはあの綺麗な川と繋がっているとは思えないほど汚れていて。得体の知れないゴミや油が入り江を埋め尽くしていた。
「ここにはラジオーグ中の汚水が流れてくるから、国の中で一番汚い所かもな」
「そんな。海は全ての源だというのに」
「今はまだマシだけど、夏になるともっと臭 えぞ」
アカネは当たり前のように言うけれど、暑くなったら臭うだけでなく虫もわいて大変だろう。
貧民街には季節を問わずこういう所がたくさんあるのかもしれないが。
「海の汚染も深刻な問題なんだな」
「おいおい、海の環境を変えるなんて、それこそ国を動かさなきゃならない。フィオに出来るのかよ」
「確かに出来ないだろうな。でも放っておく訳にもいかないだろう」
「なら好きにしろよ。夢を見るだけならタダだしな」
もう王子の権限はないから、国ではなく国民に呼びかけられれば何とかなるかもしれない。これを夢では終わらせたくないが、アカネの言う通り、夢のような、不可能に近い話だ。
「ほら、他の場所行くぜ」
急かされるままに黒い海に別れを告げ、二人は再び歩き出した。
次にやって来たのは、貧民街からほど近い街道。ここはよく商人達が行き交う道で、外国からの品を運ぶ馬車が頻繁に通るのだそうだ。
「ここが、貧民街と関係あるのか?」
「大ありだよ。あそこ見ろ」
アカネが指した方を目で追うと、その先には五人ほどの子供達が通りすがりの商人達に話しかけていた。だが皆様子がおかしい。
ふらふらと歩いて馬にぶつかりそうになっている子や、大げさな身振りで何かを訴えようとしている子、杖代わりの太い枝をついている子もいる。
「あの子達はどうしたんだ?」
「物乞いだよ。親も金もいないから」
「親がいない……やはり捨てられてしまうのか?」
「ああ。眼が見えない、耳が聞こえない、手足が不自由な奴らは働き手にも売り物にもならないからな。あ、親がいても貧乏だから物乞いさせられるのもいるけど」
ラジオーグに奴隷制度はないが、密かに人身売買は行われているらしい。以前、それに関わっている貴族もいると噂で聞いたことがある。
「どうすれば――っ!」
突然、背後から誰かがぶつかってきてフィオの身体が傾く。後ろを見ると、フィオの腰くらいの身長の男の子が立っていた。
「ご、ごめんなさい。ぼく眼が見えなくて」
ぼろぼろの服に裸足の少年は、見当違いな方を向いていた。フィオは地面に膝をついて彼と目線を合わせる。
「何も見えないのか?」
「うん。生まれた時から、ずっとまっくら」
フィオの声がする方を感じ取ったのか、少年はやっとこちらを見てくれた。
「ぼくのお母さんも眼が悪いんです。どうか、ぼく達にお恵みを……」
その年に似合わない台詞よりも、彼の白く濁った瞳の方が雄弁だった。
「アカネ、何か持ってないか?」
「もしかしてそいつに金でも渡すのか? こういうのは数え切れないほどいるんだぞ」
「一人でも多くの人を助けたいだろ」
「……」
気乗りしない様子で衣嚢 から銅貨を取り出したアカネは、まだ躊躇ってそれを手の中に握り込んでいる。
「ひとつ言わせてもらうが、それは俺の髪を売って得た金だ。どう使うかは俺が決めても良いだろう?」
「ぅう……ああクソ、ほらよ」
フィオの胸に突き出された銅貨は三枚。安い芋ならば数日分は買える額だ。それを受け取ると、今度は男の子の手に握らせた。
「いいか。これで君と、君のお母さんが幸せになれるものを買うんだ」
「あ、ありがとう! 大切に使いますね」
男の子は深く頭を下げてから、真っ直ぐ伸びる街道を引き返していった。足下の小さな段差につまずきそうになっている姿が頼りなくて、後ろ髪を引かれる思いで彼を見守る。
「フィオは人が良すぎるんだ」
「そうかもしれないな」
「お前、自分の立場分かってんのか?」
「立場?」
「さっきのガキも生活が苦しいんだろうけど、オレ達だって同じなんだぜ」
「あ……ご、ごめん……」
貧民街では誰が一番貧しいかは問題でない。貧しいからここに居るのであって、皆望むものは同じだ。フィオもその中の一員であることを忘れていた。
「さっきはきついことを言って悪かった。あの金は三人で使おうと決めていたのに」
そもそも自分に盗みは出来なくて、それ以上にアカネにさせたくなかったから髪を売ったのに。
「もういいよ。フィオはああいうの、ほっとけないんだろ」
「それは俺が今まで裕福な暮らしをしてきた分、ここでの大変さが切に感じられるだけだ」
「つまりどっちの気持ちも分かるってことだろ。ラジオーグ中を探してもそんな奴いないと思うぜ。それってフィオの強みになるんじゃねーか? ……お人好しじゃなくて、優しい奴、くらいにはしてやるから頑張れよ」
(もしかして、褒められた?)
悪いことは言われてないが、妙に上からの物言いだったので語尾に疑問符がついてしまう。
「あ、ありがとう」
「そういうことだ。もうすぐ陽が落ちるから帰るぞ」
「え、ちょ…アカネ?」
すたすたと先に歩き出したアカネの後を小走りで追いかける。話はここまでだ、と態度で示されたようで深くは追求しなかった。
人気 の多い街道とはいえ、貧民街に近いので道端には浮浪者と見られる人が至る所に居る。そんな中、人一人がやっと通れるくらいの細い路地に、誰かが座り込んでいるのが見えた。建物の壁に背を預け、力なく項垂れている。
「なあアカネ、あの人大丈夫なのか?」
まるで生気が感じられなかったので、怖くなって前を行くアカネの肩を叩く。
「あの人?」
「ほら、あの路地に座っている」
「ああ……あれはもう駄目だな」
「行き倒れてしまったのか?」
「違うな。あの人の服の胸のあたり、血でべったり汚れてるだろ。無理そうなら見なくて良いけど」
ちらっと見えただけだから、そこまでの注意はしてなかった。まして血が流れているなんて聞いたら、余計に目が向けられない。
だが出血してるということは、空腹や病で倒れたのではないことを意味している。
「誰かがやったのか?」
「あの人は――――王様に殺されたんだ」
「…………今、何と言った?」
王様に殺された? 王様とは、あの王様だろうか。ラジオーグの国王でフィオの父親の。
(父上が、殺した?)
アカネは何を言っているのだろう。一国の王が、自分の父がそんなことする訳がない。
「なぜ、王がやったと言い切れる」
「フィオの方こそよく考えてみろよ、金が無い貧民街の人間を殺して利益がある奴のことを」
「利益……」
確かに、何の目的もなしに人の命を奪うなんてあり得ない。
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