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第25話

 離れがたくて肩口に顔を(うず)めると、耳元で息を呑む気配がした。髪がくすぐったかったのだろうか。そんな姿が可愛くて、今度は額を押し付けるようにしてしまう。 「っ、ちょ…フィオ」 「あ、済まない」  アカネは焦ったようにフィオの胸を押し返した。調子に乗りすぎてしまったかもしれない。 「もう帰ろうぜ。レノも待ってるだろ」 「……そうだな」 (レノルフェは、どうなったんだろう)  彼とハンスの間に何があったのかは知らないが、さっき見た状況がただ事ではないことくらい分かる。ハンスは怪しいとは思っていたが、いよいよ彼の本性を疑った方が良さそうだ。 (アカネとハンスも関係があるんだったな)  そのことについては、フィオがアカネを嫌いになるかもしれないと思われて何も話してもらえなかった。  もしかして今なら――。 「アカネ、君はハンスとどういった仲なんだ?」 「……」  隣を歩いていたアカネの足がぴたりと止まる。 すぐには止まれなくて数歩追い越してしまった。アカネは俯いていて、前髪で顔が隠れている。()が陰っているせいで彼の白い肌が橙色に染まっていた。 「俺はアカネを嫌ったりしないから、教えてくれないか?」 「んー……、秘密っ」 「どうしても?」 「どーしても! フィオには、教えられないや」  顔を上げ、八重歯を見せて笑うアカネは、眩しそうに目を細める。フィオの眼を直視してくれないのは、沈みかけた太陽が逆光になっているせいだろうか。 「そうか。聞いて悪かったな」 「ううん、気にすんなよ」  レノが待ってると言って歩き出したアカネには、もたもたしていると置いておかれそうで。  だがあんまり急ぐと小屋に入るレノルフェのことを考えてしまい、気が気でない。  あの光景はレノルフェにとって見られたくないもののはずだ。アカネも見たくないだろう。ならば、先にフィオが戻って様子を伺って来た方が安全だ。 「あーそうだ。俺、レノルフェに水を汲んで来るように言われたんだった」  演技などやったことがないから、いささかわざとらしい口調だった。 「はあ? 家までもうすぐじゃねーか。何でもっと早く思い出さねーんだよ」 「あんな事があったんだから、仕方ないだろ」 「威張ってんじゃねーよ。オレが行くから、フィオは先に帰ってろ」 「済まない……。あ、家に桶を忘れてしまって」  上手くアカネを小屋から遠ざけられそうなのに肝心の物を持ってきていなかった。フィオが一人であたふたしていると、アカネがどこからか金属のバケツを取ってくる。 「それは?」 「落ちてた。外に転がってたからもう要らないやつだろ。穴も開いてないし……後で売れそうだな」 「そ、そうか。じゃあ悪いが、後は頼んだぞ」  アカネのたくましさというか、肝の据わった様は尊敬に値する。きっと明日あたりにでも、あのバケツを鋳物(いもの)職人のところに持って行くのだろう。 「さてと、俺も急がないと」  駆け足で小屋に戻ると入り口の布の隙間から蝋燭の光が漏れていた。  中に人が居れば影が映るはずだが、人影どころか物音一つしない。 (どこかに行ってしまったのか?)  いや、もし誰かが居ても寝台(ベット)で寝ていれば人の気配はしない。  思い切って布に手をかけようとすると、小屋の裏からレノルフェが現れた。 「レ、レノ――」 「ぁあ? ごほっ、今頃帰って来たのかよ。アカネは一緒じゃねーのか」 「それが色々あって。今アカネが川に行ってくれてるんだ」 「ふーん」 「レノルフェはどこに?」 「俺は水浴びてきただけだよ。いつまでも突っ立ってないで中に入ったらどうだ」  まるでさっきの事はなかったかのように振る舞っているが、事情の説明はないようだ。もしかしたらレノルフェを通じてアカネとハンスのことも分かるかもしれないと思ったのだが。  彼に促されて小屋に入ると、そこでは短い蝋燭がひっそりと闇の中で揺らめいていた。 「そんで? 俺とハンスのこと知りたいんだろ」 「い、良いのか!?」  ぼすんと寝台に腰を下ろしたレノルフェが投げやりに言う。てっきりもう話題に上がらないと落胆していたので、驚いて身を乗り出してしまった。 「何か言いたそうな顔されて、こっちの方が気まずいっての」 「そんな顔してたか?」 「してたね。アカネもしばらく戻らなさそうだし、あんなところ見られて何も話さないのもお前に悪いしな」 「やっぱり、アカネには聞かれたくないんだな」 「ったりめーだろうが。お前もさっさと座れよ」  レノルフェの威圧的な態度にはすっかり慣れていたから、フィオは床に胡座(あぐら)をかいた。少しでも悪いと感じているのならそれなりに優しくしてもらってもいい気がするが、どんな時も堂々としていられるのは彼の長所だろう。

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