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第29話(第五章)

「そんじゃ、行ってくるな」 「あまり遅くなるなよ」 「分かってるって、子供じゃないんだから。……アレの準備、頼んだぞ」  次の日の朝、フィオはどこかへ出かけようとするアカネを見送っていた。アレとはもちろん昨夜話していたことについてだ。 「任せておけ。俺がちゃんとやっておくから」 「じゃあ宜しくな」  元気よく手を振って出て行くアカネに、フィオも手を振り返した。  見失う寸前までその背中を目で追いかけ、遠くの曲がり角にさしかかった辺りでそっと音を立てないように小屋を出る。昨日の事で疲れていたのか、レノルフェがまだ寝ていたからだ。  アカネには悪いが、彼を危険な目に遭わせたくはない。ハンスのことで隠し事があるのは明らかだ。もしアカネがハンスの裏の顔を知らなかったら――。 (そうなる前に、俺が連れ戻すまでだ)  尾行していることに気付かれないよう、出来るだけ気配を消してアカネの後を付けていく。途中で度々(たびたび)、仲良くなった貧民街の住人達に声をかけられるから気が気でなかった。  だが幸い誰にも怪しまれず、アカネにも悟られず、下流階級の街までやって来た。 (ハンスの店は王都の方にあったな。もう一件の店に行くのだろうか)  下流とはいえ、貧民街よりはまだ豊かな暮らしをしていそうだ。  裸足で歩く者はいないし、家にはちゃんと扉も壁も付いている。肉体労働者や農民が多く住んでいる場所だが、こんなところにハンスの店があるのだろうか。  アカネはどこにも立ち寄らず、すたすたと街を通り過ぎてしまった。  賑やかな商店街や木造の家が建ち並ぶ住宅街、農村を抜けて橋を渡る。その先は王都で、王宮に近付くほど位の高い者が住んでいる。  家出している身なのであまり王都の奥には行きたくないのだが。アカネは一体どこを目指しているのだろう。 (あの様子だと王都に用事があるようだな。王宮には近付かないでもらいたいが……)  そうなった場合、フィオ自身のためにも尾行は断念するしかない。もし見つかって王宮に連れ戻されれば、アカネとも一緒に居られなくなってしまうのだから。  王都の入り口である大きな門をくぐると、急に人の数が増えた。ラジオーグ最大の都市なのだから当たり前だが、尾行に慣れていないフィオは見失わないようにするだけで精一杯だ。 (くそ、人が多すぎて追いつけない)  大体、いつもこんなに人がいただろうか。今日は格別に騒がしい。 「あ…待ってくれ」  大通りから延びる脇道へ逸れていくアカネが見えて、フィオは慌てて人の波をかき分けた。  複雑な路地に入られたら追うのが困難になる。いっそのこと、ここで捕まえて問いただしても良いかもしれない。見失ったり、王宮の者に見つかったりするよりはましだ。  だがアカネが入っていった道までもう少し、というところで誰かと肩がぶつかってしまった。 「す、済まない!」 「あらあら、大変」  そこにはふくよかな女性が立っていて、両手一杯に荷物を抱えていた。何が大変なのかと思って目を白黒させていると、女性は地面を指差す。 「ごめんなさい、あれを拾ってもらえるかしら?」  見ると四、五個の檸檬(レモン)がころころとフィオの足元をくぐり抜けて転がっていた。 (ああもう、何で急いでる時に限って……ッ)  両手が塞がっている女性に代わって檸檬を全て拾い上げると、少々手荒に彼女の荷物の中に押し込んだ。 「ありがとうね、お兄さん」 「いや、俺の方こそぶつかって悪かった」  言い終わらないうちに、フィオはもう走り出していた。  あの路地に飛び込むが既にアカネの姿は見えない。しくじった。 (いや、まだ間に合うかも。遠くへは行ってないはずだからな)  この短時間で移動できる距離などたかが知れている。見つかる可能性はまだ残されているのだ。フィオは細い裏道を、虱潰(しらみつぶ)しに走り回った。

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