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第30話
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「――な、なぜだ……。なぜ、見つからない……?」
ぜえぜえと息を切らしながら民家の壁に手を付いたフィオは、滴る汗を手の甲で拭い取る。
行き違いになってしまったのか、いくら路地を探してもアカネは見つからなかった。
「……」
フィオの頭の中に、諦め、の文字が浮かぶ。
(また今度。次の機会にすれば良い、か)
王都に長い時間留まればそれだけ多くの人の目に付いてしまう。適当なところで切り上げないと。
踵を返そうとして顔を上げると、そこは細い十字路だった。
――どっちから来たのか、分からない……。
どこも似たような道だから、すっかり迷ってしまった。ここは貧民街とは違い、背の高い家屋が大半を占めているのでどこも壁に囲まれているみたいだ。
曖昧な記憶を辿って迷路のような道を進んでいくと、やがて視界が開けてきた。あの、人でごった返した大通りの裏側に出たのか、こちらはかなり静かだ。
まずは王都の外に出ようと、フィオの直感が告げる方へと足を踏み出したら。
「あれは……ハンス?」
見覚えのある人物が、向かい側の建物から出てきた。彼はフィオに気付く様子も無く、どこかへと立ち去ってしまう。 ハンスが出てきたのは外壁が白っぽい煉瓦でできた、三階建ての民家のようだ。彼の商売は表沙汰に出来ないから、普通の家を装った店かもしれない。そしたらアカネもあの中に居るはずだ。
推理が外れた時のことは、外れてから考えればいい。
フィオは恐る恐る民家へと近付いて玄関の戸を叩いてみた。
「……」
返事はない。今度は扉の取っ手を捻ってみる。
「あ、開いてる?」
鍵はかかっておらず、簡単に中に入れる状態だった。
よくある商人や職人の家ならば一階が店舗や作業場のはずだ。そうでない場合は一階がホールになっていて中庭に続いているのが上、中流家庭の一般的な家の造りになっている。だがこの民家には作業場も中庭も無く、その代わりに普通の家よりも奥行きが狭かった。
誰も居ない勘定台 の奥には何かの部屋があり、扉は閉まっている。その手前に上の階へ続く階段があったので、足音を立てないように上っていった。
二階に上がると壁に面して真っ直ぐに延びた廊下があり、四つの部屋が並んでいた。どれも扉が閉まっていて、圧迫感すら感じる。
「アカネ、居ないのか……?」
小声で呼んでみても、返事が聞こえるはずもなく。ぎしぎしと軋む床を慎重に進んでいき、一番手前の部屋の正面に立つ。
緊張で汗ばんだ手を握りしめていると、不意に部屋の中から話し声が聞こえた。
「で、アンタはいくらくれんの?」
「ここの主人 には銀貨一枚って言われてる」
「えー、それだけかよ」
「お前はまだ新人なんだろ? 奉仕(サービス)が良ければ上乗せしてやるよ」
「へぇ……」
(これは、アカネの声――)
やはりレノルフェと同じようにハンスの店で働いているのか。だとすれば、これから客を取ろうというところではないか。友達に頼み事をされていると嘘をついてまでこんな所に来ているなんて。
(そんな……嫌だ、アカネが誰かの手に落ちるなんて)
前から感づいていたはずなのに、いざその場面に直面したら頭が受け容れるのを拒んでいる。大切にしていたものが奪われたようで、腹の底から怒りに似た感情がこみあげてきた。
「じゃ、ヤるなら早くヤってくれ」
「色気がなくて台無しだな……。ま、子供だから仕方ないか。今度主人 に仕込んでもらえ」
「誰が子供だ! もう大人だ――あっ、ちょ…いきなり……」
「そろそろ、可愛い声でも聞かせてくれないか」
「あ、や……ひぁ!」
フィオは扉に耳をぴったりとくっつけて、二人のやり取りを聞いていた。
このままではアカネが襲われてしまう。全く面識もない、見ず知らずの男に。
(嫌だ…やめてくれ――アカネを、返せ!)
その時、フィオの中で何かが爆発した。
「おい! アカネから離れろ!」
扉を突き破りそうな勢いで開けると、そう叫んでいた。
大して広くない部屋に三人は眠れそうな寝台 があり、その上には上半身を裸に剥かれたアカネと、意外にも格式高そうな妙齢の男性が居た。彼はフィオの姿を見るやいなや、アカネの上から飛び退いて言う。
「な、何だお前は!?」
「アカネは俺のものだ。貴様にはここを出て行ってもらう」
何が起こったのか分からない、といった表情で唖然としていた男性が、フィオの言葉で我に返ったように反論を始める。
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