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第38話
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「くそ、私が何をしたと言うんだ。さすがに家出はまずかったが、謹慎なんて……」
自室に外から鍵をかけられてから、もう何回教会の鐘が鳴っただろう。夜の空は燻 ったように雲がかかっていて月すら見えない。
平らな床を歩き回ったり柔らかい寝台 に腰を下ろしたり、ずっと忙しなく部屋を彷徨 いていたが、困ったことに全く落ち着きを取り戻せない。そわそわしてむずむずして、ここを出たくてたまらない。やり残したことが、多すぎて。
(アカネともあんな別れ方になってしまって、申し訳ないな)
アカネにもレノルフェにも、もう会うことはないだろう。今回の一件で、更にフィオラートの周りの警護が固くなるはずだから。
その証拠に、以前より廊下を歩く足音が多い。窓も開けることは許されず、謹慎どころか軟禁の状態だった。
(貧民街が、あんな腐敗した街が恋しいと思う日が来るとは、八日前の自分に言っても信じないだろうな)
自嘲気味に嗤って、硝子 に映る歪んだ自分と向き合った。
窓硝子がある建物に入ったのも王宮を出て以来だ。ここの他には相当な金持ちの家か教会くらいにしかない代物は、ぴかぴかに磨かれていて曇ることを知らない。
(まさかハンスにしてやられるとはな)
どこまでも底の見えない男だ。知ってしまったからにはファルスム・カーリターテに処罰を与えようかと考えたが、謹慎中の身では何も出来ない。
硝子 に映る顔が憎らしくて拳を構える。
「フィオラート殿下。殿下に速達が届いております」
だがそれは振り下ろされることなく、ノックの音と衛兵の声に止められる。
鍵が外され、扉が開き、フィオラート宛ての速達を受け取るとまたすぐに扉が閉ざされた。手紙には整った文字でフィオラートの名が記されていたが、差出人の記載はない。速達で届くくらいだからすぐに中を見るべきだろう。
封を切ってみると、中には二枚の手紙が入っていた。一枚目の頭には、なんとレノルフェの名が。
「レノルフェ? なぜ手紙なんか……」
それは、彼らしい書き出し文だった。
『今頃部屋にでも閉じ込められているだろうと思って、この手紙を書いている。お前の為に便箋まで買ってきてやったんだ、感謝しろ』
相変わらずの彼の態度に、少しばかり口元が緩んでしまった。
『フィオに伝えたいのは他でもない。アカネのことだ』
フィオラートはごくりと唾を飲み込んだ。彼は自分達のことをどこまで知っているのだろう、と。
『お前、ハンスに掛け合ってアカネをファルスム・カーリターテから辞めさせたらしいな。アカネも店で働いてるなんて知らなかったから驚いたが、あいつを連れ戻してくれたことには礼を言う』
その後ろには、二人であれこれ話し合った旨が書いてあった。
『アカネにはきつく言っておいたから、もうハンスの所へは行かせない。俺がアカネを守り切れなかったのは悔しいがな』
彼のアカネを想う気持ちは、兄というより親のそれに近い気がしていた。
そんな二人の間に、フィオラートが入れるのだろうか。
『それから、俺のことも辞めさせたんだってな。全く、余計な事をしてくれたと思ってるよ』
(で、出しゃばりすぎたか……)
『そうやってお前は、俺から大切なものを奪っていくんだ』
意味深な言葉が、やはり丁寧な文字で綴られていた。まるで文学書の一文のように、フィオラートの心を掴む。
『俺が十年も育ててきたのに、たった八日で俺の手から離れていった。何よりもアカネが大切だったんだ。あいつが俺の、生き甲斐だった』
「レノルフェ……」
フィオラートは人間関係や恋愛経験の乏しさ故の暢気さを思い知らされた。
奪うだなんて、そんなつもりはなかった。むしろ自分はレノルフェよりも遙かに劣っていると思っていた。
『だけどお前は愚かな王子だ。馬鹿で世間の事を何も知らない。そんなお前にアカネを易々と渡すなんて反吐 が出る。だからお前が王として相応しいかを見極めさせてもらうことにした』
これは、宣戦布告?
『ラジオーグ国王の貧民街に対する行 いは弾劾しなければならない。お前が本当の王になれるのなら、アカネはお前のものだと認めよう。フィオの器を、見せてくれ』
手紙はそこで終わっていた。
レノルフェの言いたいことはつまり、国王を弾劾することでフィオラートが新しい王となれということだ。そうすればアカネとの関係を認めてもらえる……。
「――私が、王だと!?」
ろくに政治もしたこともないフィオラートが、いきなり王になんてなれるはずがない。ついさっき父を怒らせたばかりだというのに。
「私にそんなことできるはずが」
いつの間にか握りしめていた手紙の下に、まだ文が残っていたのが目に入った。
『追伸:アカネはお前のものだと宣言したなら、ちゃんと責任は取れるんだろうな?』
(責任を、取る……?)
わざわざ最後に書き添えて、レノルフェが言いたかったこととは一体何だろう。ファルスム・カーリターテを辞めさせてしまったから、その分の金をフィオラートが保証するということか。
王子に戻った今ならばアカネを養えるくらいの資産はある。肝心の、アカネと会える確率はかなり低いが。
「アカネ……会いたい」
昼間は最低なことをしてしまった。
もうアカネが追ってこられないように、自分達は他人だと周りに思わせる為に、あんなことを。
「嫌われてしまっただろうな」
アカネに嫌われたのならレノルフェに認めてもらうだけ無駄だ。心が伴わないのにアカネが手に入っても嬉しくない。
そうなれば、父を弾劾する必要もなくなってしまう。
「どうせ私は父上には一生及ばないんだ。ここでじっとしてる方が身の丈に合っている」
フィオラートは窓辺から離れてふかふかの寝台 に倒れ込む。
(王の器か……あれば家出はしてなかっただろうな)
結局自分は、何事からも逃げていた。その結果、みんな失ってしまった。
「ごめん……」
誰に謝っているのだろう。アカネかレノルフェか、はたまた自分か。
誰でも良いのだ。フィオラートが謝って、少しでも気が楽になるのなら。
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