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第40話※

    *** 「な、なんだこれ……」  浴室まで案内すると、アカネはその広さに目を点にしていた。アカネの泥だらけの服を脱がし、ついでだからとフィオラートも中に入る。 「浴槽だけで(うち)よりも大きいんじゃないのか」 「ははっ、確かにそのくらいあるかもしれないな」  うろうろしているアカネを呼び寄せて浴槽の縁に座らせると、石鹸を泡立てて隅々まで洗う準備をする。 「髪も土だらけだな。穴を掘らなくても裏口から入れば良かったではないか」 「レノが一回侵入してるから警備が固くなってたんだよ。あとは人気(ひとけ)が少ない場所を探したら北側の塀しかなかったから」  同じ失敗は繰り返さないようにするのは当然のことだ。塀の防御を固くしたのは正解だが、穴を掘ってまで忍び込んでくるなんて想像もできない。あとで穴を塞ぐよう衛兵達に命じておかなければ。 「貸してみろ、手が真っ黒ではないか。腕も傷だらけで」 「ッ!」 「しみるか?」 「平気だ。そんなことよりフィオ、お前ラジオーグの王子だって何で言ってくれなかったんだよ」 「言えば匿ってもらえなくなると思ったからな。貴族だと嘘をついていたんだ」  フィオラートはアカネの手を爪の間まで念入りに洗いながら苦笑を零す。  しわの間の土も取れるように指を一本一本優しくこすると、気持ちよさそうに目を細めていた。 「レノルフェは他に何か言っていたか? 私の所に来るのをよく許してくれたな」 「あ、うん。レノが寝てる間に家を出てきちゃって」 (もしや責任を取れというのは、アカネが王宮に来てしまうことを見越して……)  フィオラートの手が止まった。  頭の冴える彼のことだ、その可能性は十分にある。こうなることを予期してあんな手紙を出すとは、また無粋なことをしてくれたものだ。  両手を洗い終わったので腕まで手を滑らせていくが、傷のところは避けて泡を塗りつける。反対の腕も同じようにした。 「あとさ、フィオの名前フィオラートっていうんだな」 「済まない、どうしても逃げ切りたかったから名を(いつわ)ってしまった」 「それはまぁ気にしてないんだけどさ、オレまだフィオって呼んでていいのか?」 「アカネがそうしたいのなら、構わない」  フィオはもういなくなったけれど、フィオラートの中に確実に残っていた。レンツに変わったと言われたのは、彼がフィオを見ていたからだ。  貧民街で過ごしたお陰で、フィオラートは生まれ変わることができた。 「じゃあフィオ! オレ、王子様でもお前が好きだぜ」 「――!」 「昨日はオレ達に迷惑をかけないようにするためにあんなこと言ったんだろ? そんくらい分かってんだぞ、バーカ」  改めて『好き』と言われ、目頭が熱くなっていくのを感じた。フィオラートを理解してくれて、まだ好いていてくれて、嬉しかった。  背中を流すからと体勢を入れ替えたのは、緩んだ顔を見られるのが恥ずかしかったから。 「それから、お前のその喋り方は堅苦しくて嫌いだ。いつも通りにしろよ」 「だが王宮の中では……」 「そんな王子っぽくしなくても、フィオはフィオらしくしてれば良いんだ。そっちの方が似合ってるし」  フィオらしく、か。貧民街では王子というしがらみがなかったから、()()()を保てたのだ。人の為に怒ったり、辛いことに落ち込んだり。貧民街に行かなければ気付かなかった自分の一面も、フィオらしさだ。 「ありがとう。俺は、アカネに逢えて果報者だな」 「大げさだろ……ぅわっ、ちょ…それ、ヘン」 「ご、ごめん」  前に回って足の裏を洗おうとしたのだが、力が弱すぎてくすぐったかったようだ。 「そんなに丁寧にやらなくても……」 「しっかりした風呂に入るのは初めてだろ? せっかくだから隅々まで綺麗にしよう」 「待って、オレ…足も、弱いから」 「例えば、こことか?」  くるぶしを指先でくすぐるとアカネの足がびくりと跳ねる。足首を掴んで甲の筋を辿り、その指の間にフィオラートの手の指を滑り込ませた。 「ひっ、う…やめろってば」  身体を洗うだけのはずが、いつの間にかそれ以上のことになっていた。アカネが困っている様子が愛くるしくて手が止められなくなってしまうなんて言えば、意地が悪いと蹴飛ばされるだろう。 「どうした? 身体の汚れを落としているだけだぞ」 「そっ、んな…だって、触り方が……」  足の裏、ふくらはぎ、膝頭とフィオラートの手が上がるほどにアカネの身体は逃げようとする。 「どこへ行くんだ? 俺はここに居る」 「ぅ…フィオ……っ」

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