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第3話
最初の二週間は瞬くように過ぎた。
管理するフィールドがむこうより小規模とは言え、マイアミでは十人体制でやっていた作業をここでは四人で回す。そのうち新種の研究に当たるのは煌一人。岡と純子は主に今養殖されているサンゴの管理と拡大を担当している。両方の報告をまとめ、国に上げ、次の対策を練る総監督が西ノ森教授。
煌の責任は大きかったが、センターの設備は整っていて、やり易いのは大いに救いだった。
特に、サンゴの増殖に使うダイヤモンドを削る機械も最新のものが設置されていて、国がどれだけサンゴ礁研究に注目しているかがわかった。
それもそのはず、近年沖縄はハワイとほぼ同等の観光客数を誇るようになった。青く澄んだ海でのバカンスを楽しみに世界中から観光客が継続的にやってくるためにはサンゴ礁という大きな観光資源を絶やすわけにはいかない。
車がない代わりに煌はホームセンターで安いママチャリを一台買った。
とはいえ住む家も勤務地も一緒なので結局海広の運転に甘えているのが現状だ。
休みの日も役所にスーパーに、用事があれば必ず海広から誘って連れ出してくれた。自転車で行けるから、と断っても、
「いいよ、俺もどうせ食材とか色々買いたいし」
とやんわり制される。
「でも、四六時中仕事仲間と一緒だと辛くない?」
「うーん、そもそも仕事を仕事だと思ってないからなー。それ言われると逆に耳が痛いよ」
ある日は自分の終業まで待たなくていい、と言うと、
「だってそんな仕事の仕方じゃ煌先生、すぐセンターに住みつきそうなんだもん。バレてるよ〜ワーカホリックなの。だからエンジン音でプレッシャーかけてんの、俺」
今度はこっちの耳が痛い番だった。
とはいえ海広だって四時間残業が基本の日々ではあるけれど。
こうも頼ってばかりはいけないと、今日は確実に午前様、と確定している日に一度早起きして自転車で出勤したことがあった。
後から出勤した海広に散々置いて行ったとブツブツ文句を言われたのでもう最近は大人しく助手席に乗ることにしている。
海広の仕事内容は多岐に渡った。
煌たち研究員の補佐に始まりサンゴ礁保護に関わるNGOチームや一般企業団体やボランティアと連携を取り定期的に大規模のサンゴ移植を行う。
サンゴ移植は大規模であるがゆえ人手も資金も膨大にかかる。研究費には多少国費の後ろ盾があるとはいえ広大な海を守るにはボランティアの協力が必要不可欠だ。
「あとは呼ばれたり自主的だったりで公民館、本土の大学、沖縄の小学校中学校どこにでも公演に行くよ。子どもたちの意識づけと、新規助っ人の獲得。これが一番頑張ってるかな」
「どんな内容話してくるの?」
「煌先生たちの研究内容だったり、サンゴ礁の重要性をひたすらに訴える。大切じゃない? だよねだよね、だからみんなも一緒にやろぉぉおおおって」
両手を高く合わせる仕草に笑ってしまう。
「神頼みみたい」
「おんなじようなもんだよ」
謙遜だと思った。
例えるなら海広は小さな島と大陸を結ぶ架け橋のような役割だった。どんなに煌たちが閉鎖された空間で革命的な発見をしたとしても進捗を外に伝え認知を拡げる、海広がいなくては研究成果は成就しない。
一番重要な役だと言っても過言ではない。
海広のサンゴや海洋学の知識は煌を唸らせることもあった。
独学英語(十パーセント)とGoogle翻訳(九〇パーセント)を駆使し海外の学術記事もくまなく読んで最新の知識を常に頭に入れている。
それでも自分は助さん角さんに徹底するのだと言う。
「研究員になりたいとは思ったことないの?」
一ヶ月が目まぐるしく過ぎ、歓迎会も今更感満載だったがセンター前の国道をまっすぐ下った沖縄料理食堂で集合ということになっている。
沖縄では漁師をやめて安定した事業を始めるならタクシーか代行業者だとか(海広談)。
車が海岸線を走っている時、ふと聞いてみた。
「全然。俺は、青い海に潜れればそれでいいからさ。あそこ、見える?」
遠くに見える海沿いの巨大なクリーム色の建物を指差す。
「ハルクラニって、ハワイでは五つ星のホテル。の第二号」
「ああ、ガイドブックに載ってたっけ。去年建ったんだってね」
「そう。俺が小さい頃はさ、この辺なんて本当ただのジャングルだったんだよ。海は、そこらへんまでコバルトブルーみたいな綺麗な深い色してて潜るといろんな魚がいて、めちゃくちゃ楽しかった。それがこの十年の間でっかいホテルとかコンビニとかレストランとかばんばん建ってって、最初は便利だな〜て呑気に楽しんでたんだけど、潜るたびに海の色がさ、本当にどんどん薄い水みたいな色になっちゃったんだ」
「赤土流出の調査書も、来る前に目を通したよ。この地帯でも大きな問題になってたね」
都市開発によって流出した赤土が多くの海域でサンゴ礁の破壊をする。一年で何十ヘクタールものサンゴが死んでしまう。
「うん。人間って不思議だよね。青い海を見るためにわざわざ海を破壊してる。魚もここらへんじゃ多くはもう滅多に見れない。こんなに変わっちゃうんだ、もうあの頃の海は一生見れないんだってわかって絶望した。それでああ、なんとかしなきゃ、って思うしかなかった」
「それでサンゴ礁に興味を?」
「てわけでもないんだけど。海を守るって、簡単に言うけど何すればいいのかなって具体的によくわかってなかったから、とりあえず海と関われる保安庁に志願した。で、結果的にこの仕事やれてるのは本当にただの偶然かな」
「なるべくしてなった感じ、あるね」
「そうだったら嬉しいし今後もこの仕事してたいな。煌先生は海洋学に行くきっかけはあった? 最初から決めてたの?」
「僕は、…夢もやりたいこともなくて、なんとなく」
表向きの回答を提示した。
嘘はついていないが本当のことも言っていない。
「それで留学して博士号まで取ったの? それはそれですごいね」
海広が感心したところで目的の建物がちょうど見えてくる。
自制が効いて助かった。
目的地があと数十キロ遠かったら、もしかして打ち明けていたかもしれない。
海広の過去の話や沈みゆく真夏の太陽のせいで感傷的になっていた自分を反省する。今ごろ誰かに話して、一体何になる。全て終わった事だ。
過去に向かいそうになる思考を煌は一旦止めて、海広がかつて見ていた消えゆく海の色だけを、車がブレーキを踏み始めるまで想像するにとどまった。
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